宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-イチョウの木と二人の男の子-

 Key words:文学と植物のかかわり, ギリシャ神話,イチョウの生殖メカニズム

 

前稿「幻の匂い」を執筆したとき,理解できずに私の心に強く残ったものがあった。それは,なぜジョバンニとカムパネルラが同時に同じ気配と予知を伴った「幻嗅」を体験したのかということである。2人は,友人という以外に何かあるのだろうか。カムパネルラという名はユートピア物語『太陽の都 La Citta’del Sole』(1602)で知られるイタリアの哲学者,トマーゾ・カンパネルラ(1568 ~ 1639)の名からとったものと推定されている(トマーゾの幼名はジョヴァンニ・ドミンコ)。

 

2人の関係について,賢治研究家の天沢(1989)はトマーゾ・カンパネルラの幼名に注目して,カムパネルラ=ジョバンニの隠れた「双子性」を指摘している。『銀河鉄道の夜』の草稿を見た天沢は,賢治が何度かジョバンニとカムパネルラを混同ないし混同しかけていたと言っている。しかし,「双子性」とはあいまいな表現である。一卵性双生児,二卵性双生児,双子のような兄弟,あるいは双子のような仲の良い友人などと色々と考えられる。本稿では,どのような双子なのかを明らかにしたい。2人の関係を考察するにあたって,ヒントを与えてくれるのが第七章の「北十字とプリオシン海岸」に出てくる以下の文章である。 

 「もうぢき白鳥の停車場だねえ。」

 「あゝ,十一時かっきりには着くんだよ。」

    (中略)

 さはやかな秋の時計の盤面(ダイヤル)には,青く妬(や)かれたはがねの二本の針が,くっきり十一時を指しました。みんなは,一ぺんに下りて,車室の中はがらんとなってしまひました。

[二十分停車]と時計の下に書いてありました。

 「ぼくたちも降りて見ようか。」ジョバンニが云ひました。

 「降りよう。」

 二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口へかけて行きました。ところが改札口には,明るい紫がかった電燈が,一つ点(つ)いてゐるばかり,誰も居ませんでした。そこら中を見ても,駅長や赤帽らしい人の,影もなかったのです。

 二人は,停車場の前の,水晶細工のやうに見える銀杏(いてふ)の木に囲まれた,小さな広場に出ました。そこから幅の広いみちが,まっすぐに銀河の青光の中を通ってゐました。

 さきに降りた人たちは,もうどこかへ行ったか一人も見えませんでした。二人がその白い道を,肩をならべて行きますと,二人の影は,ちゃうど四方に窓のある屋(へや)の中の,二本の柱の影のやうに,また二つの車輪の輻(や)のやうに幾本も幾本も四方へ出るのでした。宮沢,1986(下線は引用者)

 

これは,主人公のジョバンニと友人のカムパネルラが夢の中で銀河鉄道の列車に乗り込み,最初の停車場である「白鳥の停車場」に到着する場面である。文章を注意深く読むと,「二」(あるいはローマ数字のⅡに相当する文字)という数字が短い文章の中に繰り返し登場する。例えば,上記の引用文に「十一時(11時と書けばローマ数字のⅡと類似する)」が2回,「二人」が5回,「二本の針」,「二十分」,「二本の柱」,「二つの車輪の輻」がそれぞれ1回ずつ記載されている。

 

これだけ「二」という数字を繰り返されれば,なぜだろうと疑問に思い,作者の意図を詮索したいと思うのは自然であろう。この文章の中に,二人の関係を明らかにするヒントが隠されていると思われる。ヒントとなる言葉は,「銀杏」,「白鳥の停車場」そして「車輪の輻」である。それぞれ,植物学,文学,神話,天文学そして宗教と照らし合わせて考察してみたい。

 

1.銀杏の木と賢治の童話

「イチョウ」(イチョウ科;Ginkgo biloba L.)は,仏教の伝来に伴って中国から移入されたものであるという(寺や神社の境内に多い)。法華経に帰依した賢治は,「イチョウ」を作品に数多く取り入れている。具体的な使われ方としては,「いてふ」(詩『高架線』),「いてふの男の子」や「銀杏の木」(童話『いてふの実』),「いてふの葉」,「銀杏並樹」(詩『真空溶媒』),「いてふのこずえ」(詩『春と修羅』)などである。代表的な作品である『いてふの実』は,『銀河鉄道の夜』の前に書かれたもので「二人のいてふの男の子」として登場する。「二人」という表現は,「イチョウ」の木の短枝の先から出る長い花柄(かへい)の先に付く2つの実を擬人化したものである。

 

仏教用語に「慈悲」という言葉があるが,これは他の生命に対して自他怨親(おんしん)のない平等な気持ちをもつことを言う。賢治の童話作品には,動物や植物が口をきいたり歩いたりというのがたくさん出てくる。これは,人間も動物も植物も,命あるものは皆平等であるという仏教の慈悲の考え方および輪廻転生の考え方に由来すると思われる。また,「イチョウ」はイチイやマツ(いずれも『銀河鉄道の夜』に登場する)などと共に裸子植物に分類されるが,精子による有性生殖を行うという点で他の裸子植物や被子植物と大きく異なっている(後述する)。イチョウに雄雌(雌雄異株)が有り,精子による有性生殖を行うということは擬人化による違和感を少なくさせている。

 さうです。この銀杏の木はお母さんでした。

 今年は千人の黄金色の子供が生まれたのです。

 そして今日こそ子供らがみんな一緒に旅に発(た)つのです。

  (中略)

 木の一番一番高い処に居た二人のいてふの男の子が云ひました。

 「そら,もう明るくなったぞ。嬉しいなあ。僕はきっと黄金色のお星さまになるんだよ。」

 「僕もなるよ。きっとこゝから落ちればすぐに北風が空へ連れてって呉れるだらうね。」

 (中略)

 その下でもう二人が云ひました。

 「僕は一番はじめに杏の王様のお城をたづねるよ。そしてお姫様をさらって行ったばけ物を退治するんだ。そんなばけ物がきっとどこかにあるね。」

    (『いてふの実』 宮沢,1986) 下線は引用者

 

賢治が「銀杏の木」を「お母さん」と呼ぶのは,「イチョウ」の太い枝から垂れ下がる円錐形の突起(気根)によると思われる。この突起を「乳房」に見立て子宝に恵まれるよう,あるいは安産のシンボルとして崇められることもある。雑司ヶ谷の鬼子母神の大イチョウや北金ヶ沢の垂乳根の大イチョウが有名である。


イチョウ」の「生殖メカニズム」は,複雑であり神秘的でもある。「イチョウ」の雄の生殖器官は,小胞子嚢(しょうほうしのう)となって短枝の先端に形成される。この雄性小胞子嚢穂(ゆうせいしょうほうしのうすい)の雄しべは,成熟すると縦に裂け,4月から5月上旬にかけて花粉が飛び出していく。雌性胞子嚢穂(しせいほうしのうすい)は,短枝の先端に普通2個の胚珠(はいしゅ)を付けてくる。花粉は,胚珠に到達すると胚珠内の花粉室に入る。そこで雌しべから養分をもらって約3カ月を過ごし,無事に成長すると精子になる。この精子が胚珠内の胚嚢上部の2個の卵細胞を目指して泳いでいく(第1図)。

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第1図.イチョウの生殖メカニズム

東京の小石川植物園の「イチョウ」では,9月10日前後に受精が観察されるという。2つの実のそれぞれの胚嚢(はいのう)にある2個の卵細胞は,受精するが胚に育つのはそれぞれ原則的1つのみである(稀に2つ)。胚珠の外側を珠皮(しゅひ)と呼ぶ。珠皮は,発達して種皮となるが,肉質で悪臭のする外層,堅い中層,膜質の内層に分かれる。「ぎんなん」のかたい殻は中層である。すなわち,「イチョウ」の実と称するものは,種子(ぎんなん)とその種子の外層が肉質化したものである。

 

花柄の先端にある2個の実が落下して発芽するのは翌年の5月頃である(佐々木 1993)。このような「イチョウ」の生殖の生態やメカニズムの秘密は,賢治が生まれた年である1896年,東京大学植物学教室の平瀬作五郎が「イチョウ」の精子を発見したことによって解明された(本間 2004)。すなわち,植物学に精通していた賢治は,『銀河鉄道の夜』を制作していたときには,この事実の多くを知っていたはずである。

 

『銀河鉄道の夜』に登場する「イチョウ」は,「停車場の前の,水晶細工のやうに見える銀杏(いてふ)の木」として登場する。「イチョウ」の実は登場してこない。しかし,「蝎の火」の逸話の前に,男の子(ただし)が「あれきっと双子のお星さまのお宮だよ」と窓の外を指して叫ぶ場面がある。この「双子のお星さまのお宮」に対して「小さな水晶ででもこさへたやうな二つのお宮」の説明がつく。「銀杏」と「双子のお星さまのお宮」は「水晶のやう」と同一の形容語が付くこと,および物語の季節が秋であることを考えれば,「水晶細工のやうに見える銀杏(いてふ)の木」にはたくさんの双子の「イチョウ」の実がなっていると考えてもおかしくない。

 

賢治は,盛岡高等農林学校時代に宝石商になる夢を持っていて,宝石や印材の研磨,指輪の製造・鍍金(ときん)などの事業を考えていた(宮沢賢治を愛する会編 1996)。それゆえ,賢治が宝石や印材を売るために,「風水」や「占星術」に関心を持っていたということは容易に想像できる。「水晶細工のやうに見える銀杏(いてふ)の木」は,賢治の作品に多用される「黄水晶(シトリン)」を連想させる。「黄水晶」は,「占星術」では黄道十二宮の双児宮(双子座)に対応する。

 

1つの花柄の先端に付く2個の実が双子かどうか論ずるのは非科学的のような気もする。しかし,あえて言うなら双子のような兄弟実であり,まれに1つの実の中に2つの種子が出来る場合があるので,二卵性双生実である可能性もある。

 

2.白鳥座にまつわるギリシャ神話

賢治は,ギリシャ神話を愛読したとされる(原 1999)。ギリシャ神話で白鳥座にまつわる有名な逸話が残っている(原 1996)。神話では,大神ゼウスが,天上から地上で水浴びをしている絶世の美女レダ(スパルタ王テュンダレオスの王妃)を見染め,愛の女神アプロディアの助力のもと白鳥に化身し思いを遂げる。白鳥の去ったあと,レダは大きな卵を二つ産み落とす。1つの卵からはカストル(兄)とポリュデウケス(弟:ボルックス)という男の双生児が,もう1つの卵からはヘレネとクリュタイメストラという女の双生児が生まれる。 

 

一説では,兄のカストルは人間であるスパルタ王の子だったので,いつか死すべき運命をもっていて,弟のポリュデウケスはゼウスの子であるので神性を持ち不死であったという。兄が戦死したのち,弟のポリュデウケスは神性を兄に与え,ゼウスから「双子座」として夜空に打ち上げられる。

 

賢治は,ジョバンニとカムパネルラの隠された秘密を「二」の数字で暗示し,その秘密を解くカギが「銀杏」という植物名と「白鳥座」という星座名に隠されていることを読者に伝えようとしたと思われる。

 

3.『法華経』に出てくる兄弟の話

「車輪の輻(や)」とは,車のスポーク(spoke)のことであり,その放射線状に広がる様は仏の手の掌や足の裏にある千の輻をもつ車輪の形の文様(千輻輪相;せんぷくりんそう)あるいは仏像の背にある光の文様(光背;こうはい)を連想させる。また,引用文の「二人の影は,ちゃうど四方に窓のある屋(へや)の中の,二本の柱の影のやうに,また二つの車輪の輻(や)のやうに幾本も幾本も四方へ出るのでした」という表現は,宗教的な荘厳さと厳粛さを際立たせている。

 

吉本(2012)は,ジョバンニとカムパネルラが『法華経』の第二十七章「妙荘厳王本事品」に出てくる二人の王子・浄蔵(じょうぞう;兄)と浄眼(じょうげん;弟)になぞらえられるとした。この章には,二人の兄弟が母・浄徳(じょうとく)とともに外道(ここでは法華経以外の信仰)の教えに執着している父・妙荘厳王(みょうしょうごんのう)を仏道に帰依(きえ)させた話が説かれている。

 

第二十七章では,妙荘厳王が仏法の修行を志すようになり現在の華徳菩薩(けとくぼさつ)に,浄徳夫人は光照荘厳相菩薩(こうしょうそうごんそうぼさつ)に,浄蔵,浄眼の二人は現在の薬王菩薩と薬上菩薩になったという因縁も語られる。『法華経』の第二十三章「薬王菩薩本事品」には,薬王菩薩が前世において,みずから妙香を服し香油を身に塗って,その身を燃やし仏の供養をした一切衆生憙見菩薩(いっさいしゅじょうきけんぼさつ)であったとも説かれている(坂本・岩本 1976)。一切衆生憙見菩薩に関しては,前報で「楊(やなぎ)=マッチの軸木」や「蝎の火」の逸話と関連させて論じた(石井 2011)。

 

菩薩とは,菩提薩捶(ぼたいさった)の略である。菩提とは「ほんとうの悟り」,別の言葉で言いかえれば「ほんとうの幸い」のことである。また,薩捶とは「求める人」のことである。すなわち,菩薩とは「ほんとうの幸いを求める人」のことである。賢治は,「ほんとうの幸いを求める」という菩薩そのものになりたかった人であるので,賢治は物語を書き進めるにあたって自分の願望を物語の主人公であるジョバンニやカムパネルラに託したと思われる。ジョバンニは,物語の中で蝎の逸話が出たのち,「あのさそりのやうにほんたうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまはない」と言う。まさに,ジョバンニも菩薩(薬王菩薩あるいは一切衆生憙見菩薩)になりたいと願っている。

 

ジョバンニとカムパネルラの関係の隠された秘密を「銀杏」,「白鳥の停車場」,そして「車輪の輻」を基に解いていくと,同一の母をもつ兄弟ということになる。二人が同級生ということと顔が似てないらしいということを考慮すれば二卵性双生児なのかもしれない。多分,賢治は二卵性双生児のジョバンニとカムパネルラを念頭に物語を書きすすめたと思われる。『銀河鉄道の夜』の草稿を見た天沢は,賢治が何度かジョバンニとカムパネルラを混同ないし混同しかけていたと言っているが,これは賢治が2人を二卵性双生児として見ていたか,あるいは設定しようとしていたからであると思われる。

 

なぜ賢治は,二人を兄弟とせずに友人として登場させたのであろうか。多分,二人を兄弟にすると,『法華経』の第二十七章「妙荘厳王本事品」に出てくる二人の王子・浄蔵と浄眼が連想されてしまう。だから,二人を友人にして,法華経の思想とそれに基づく生命倫理をもって万人を教化しようとする試みが表に出るのを意識的に避けたのかもしれない。ちなみに,『法華経』の焼身供養の教義(第二十三章「薬王菩薩本事品」)が込められている「蝎の火」の逸話は,キリスト教徒である少女(かほる)に語らせている。

 

それでは,最初の疑問に戻って,なぜジョバンニとカムパネルラが列車の中で同時に同じ気配と予知を伴った幻嗅を体験したのかについて考察してみる。これも,多分法華経信仰と関係していると思われる。仏教では,菩薩になろうとして修行(菩薩行)すると神通力(じんずうりき)を獲得することができるとなっている。神通力とは,『法華経』の第五章「薬草喩品」や第七章「化城喩品」にも記載されていて,天眼通(てんげんつう;未来世の生死の相を知る力),天耳通(てんにつう;通常人の聞き得ない音を聞く能力),他心通(たしんつう;他人の考えていることを知る能力),宿命通(しゅくみょうつう;自他の過去の生死の相を知る力),神堺通(しんきょうつう;自由に欲する所に現れ得る能力),漏尽通(ろじんつう;現在の苦相を知って一切の煩悩を断ずる力の6つの力)のことである。六神通ともいう(坂本・岩本,1976)。

 

賢治は,超感覚の能力を有するという自らの資質を土台に,苦しい修練によって六神通の能力を身につけようとしたと思われる(石井 2013)。また,ジョバンニとカムパネルラに,これらの力の一部あるいは多くを与えたはずである。ジョバンニが持っている「何処でも勝手に歩ける通行券」には,「おかしな十ばかりの字が印刷してある」とあるが,これは神堺通のバーリ語iddhividhāの十文字かもしれないすなわち,賢治は,二人を薬王菩薩と薬上菩薩という兄弟の菩薩の前世の姿に戻して,予知を伴った幻嗅を体験させたのかもしれない。

 

引用文献

天沢退二郎.1989. 注解.pp.313-330. 宮沢賢治(著).新版銀河鉄道の夜.新潮文庫.東京.

原 恵.1996. 新装改訂版 星座の神話-星座史と星名の意味-.恒星社恒星閣.東京.

原 子朗.1999.新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

本間健彦.2004. 「イチョウ精子発見」の検証-平瀬作五郎の生涯.新泉社.東京.

石井竹夫.2011. 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する植物.人植関係学誌.11(1):21-24. Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-文学と植物のかかわり-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/05/082232

石井竹夫.2013. 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する幻の匂い(前編).人植関係学誌.12(2):21-23.Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-幻の匂い(1).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/02/094155

草下英明.1975. 宮澤賢治と星.学芸書林.東京.

宮沢賢治.1986.文庫版宮沢賢治全集10巻.筑摩書房.東京.

宮沢賢治を愛する会 編集. 1996. 宮沢賢治 エピソード313. 扶桑社. 東京.

理科ネットワーク.2012.12.22.(調べた日付).裸子植物の生活環・イチョウの受精(動画).独立行政法人科学技術振興機構(JST).http://rikanet2.jst.go.jp/outline.php?db=ippan&id=460300170

坂本幸男・岩本 裕(翻訳).1976. 文庫版法華経(全3冊).岩波書店.東京.

佐々木紀子(編集).1993. 学研ハイベスト教科辞典 植物の世界.学習研究社.東京.

吉本隆明. 2012. 宮沢賢治の世界. 筑摩書房. 東京

 

本稿は,人間・植物関係学会雑誌12巻第2号29~32頁2013年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html