宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『ひのきとひなげし』に登場する葵の花壇は『源氏物語』を参考にしている

賢治の童話『ひのきとひなげし』(最終形)は,美を競って「スター」に成りたがっている〈ひなげし〉が自分たちの大切な「亜片」(阿片あるいはアヘンのこと)を悪魔に騙(だま)し取られそうになる物語である。〈ひなげし〉は〈ひのき〉によって危うく難を逃れることができるのだが,このとき〈ひのき〉は〈ひなげし〉に「あめなる花をほしと云ひ/この世の星を花といふ」という言葉を引き合いに出して美を競うことの無意味さを説く。〈ひのき〉は〈ひなげし〉に「スター」とは特別な人を指すのではなく,「本当は天井のお星さまのことなんだ・・・ちゃんと定まった場所でめいめいのきまった光りようをなさるのがオールスターキャスト・・・スターになりたいなりたいと云っているおまえたちがそのままそっくりスター」なんだと説明する。

 

 この〈ひのき〉の言葉は,土井晩翠(どいばんすい)の『天地有情』に収められている「星と花」の「同じ「自然」のおん母の/御手にそだちし姉と妹/み空の花を星といひ/わが世の星を花といふ」と言う詩の一節を参考にしている。また,〈ひのき〉が声を荒げて〈ひなげし〉を助ける話は賢治が愛読したルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』を参考にしたとも言われている。賢治は自然だけでなく書物からの情報を自分の作品に取り入れるのが上手である。他にも参考にした作品があるかもしれない。

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                  ヒナゲシ(東京都薬用植物園)

 

最近,紫式部の『源氏物語』に登場する植物を調べていたら,第9帖の「葵(あおい)」が目に留まった。なぜ「葵」に注目したかというと,賢治の『ひのきとひなげし』(最終形)に「葵」が登場するからである。

向ふの葵(あふひ)の花壇から悪魔が小さな蛙(かへる)にばけて,ベートーベンの着たやうな青いフロックコートを羽織りそれに新月よりもけだかいばら娘に仕立てた自分の弟子の手を引いて,大変あわてた風をしてやって来たのです。

 「や,道をまちがへたかな。それとも地図が違ってるか。失敗。失敗。はて,一寸(ちょっと)聞いて見よう。もしもし,美容術のうちはどっちでしたかね。」

  ひなげしはあんまり立派なばら娘を見,又美容術と聞いたので,みんなドキッとしましたが,誰(だれ)もはづかしがって返事をしませんでした。

   (中略)

  ひのきがそこで云ひました。

 「もう一足でおまへたちみんな頭をばりばり食はれるところだった。」

 「それだっていゝじゃあないの。おせっかいのひのき」

  もうまっ黒に見えるひなげしどもはみんな怒って云ひました。

 「さうぢゃあないて。おまへたちが青いけし坊主のまんまでがりがり食はれてしまったらもう来年はこゝへは草がはえるだけ,それに第一スターになりたいなんておまへたち,スターて何だか知りもしない癖に。スターといふのはな,本当は天上のお星さまのことなんだ。」

                    (宮沢,1985)下線は引用者

 

『源氏物語』の「葵」は巻名の1つであるとともに〈葵の上〉という〈光源氏〉の正妻の名でもあるが,賢治はこの名を植物名として童話『ひのきとひなげし』に取り込んだ可能性がある。

 

その根拠の1つは,賢治は童話『ひのきとひなげし』を執筆していたときに『源氏物語』を読んでいた可能性があるということである。この童話は現在,初期形と最終形の2つが紹介されているが,「葵」は昭和6年以降の作とされている最終形にしか出てこない。昭和6年頃に賢治が携帯していた手帳(兄弟像手帳)の149~150頁に末摘花(すゑつむはな)の三文字が記載されている。〈末摘花〉は「ベニバナ」の古名だが,『源氏物語』で光源氏と関係をもつ女性の名でもある。すなわち,賢治は最終形を書いているときあるいは書く前に『源氏物語』を読んでいた可能性が高い。

 

2つ目に,『ひのきとひなげし』(最終形)には題名の植物以外に「葵」と「ばら」が出てくるが,「葵」は他の植物に比べて具体的な植物をイメージしにくい。「葵の花壇」とあるので,美しい花の咲く「タチアオイ」,「ゼニバアオイ」などのアオイ科アオイ属の植物や,「ムクゲ」,「モミジアオイ」,「スイフヨウ」などのアオイ科フヨウ属の植物が考えられる。しかし,賀茂神社の葵祭で挿頭(かざし)に用いられるウマノスズクサ科の「フタバアオイ(双葉葵)」も花は地味であるが「葵」の名がつく。すなわち,花壇にどんな植物が植えてあるのか解りづらい。むしろ童話にある「葵の花壇」とは賢治が実際に見た花壇というよりは,「葵」という名が登場する物語(『源氏物語』)を参考にして物語をドラマチックにするために創作した想像上の花壇だったのかもしれない。

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スイフヨウ(八重咲きの園芸品種;小石川植物園)

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ゼニバアオイ(神奈川県大磯町)

3つ目に,『ひのきとひなげし』の最終形には初期形には登場しない「芥子坊主」や「亜片(阿片)」が出てくるが,『源氏物語』の第9帖「葵」にも「芥子」が登場してくる。ただし『源氏物語』に登場する「芥子」が麻薬である「アヘン」の取れる「ケシ」かどうかはよく分かっていない。この『源氏物語』に登場する「芥子」が「アヘン」の取れるケシ科の「ケシ」であると推測する研究者もいれば(星川,1978),アブラナ科の「カラシナ」の実(香辛料)だとする研究者もいる(伊藤,2011)。「芥子」は「からし」とも読む。ちなみに,麻薬になるケシ栽培の最初の記録は,江戸時代の靑森県下での栽培のようである(成田ら,1998)。

 

童話では「ひなげし」から「アヘン」ができることになっているが,観賞用の「ヒナゲシ」(Papaver rhoeas L.)から麻薬である「アヘン」はできない。「アヘン」は,医療用の「ケシ(芥子)」(ケシ科;Papaver  somniferum L.)の未熟果実から作られる。具体的には,「ケシ」の未熟果実である芥子坊主の表面に切傷をつけ,そこから滲出してくる乳液を乾燥して作る。なぜ賢治は,作品で「ひなげし」から「アヘン」ができるとしたのであろうか。これを説明するのが『源氏物語』第9帖の「葵」である。

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ケシ(Papaver somniferum L.)(東京都薬用植物園)

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アヘンがとれるケシ坊主(東京都薬用植物園)

第9帖「葵」のあらすじは次の通り。〈光源氏〉の正妻である〈葵の上〉は,祭見物(賀茂祭)の場所争いで〈光源氏〉の愛人である〈六条御息所(ろくじょうみやすどころ)〉の恨みを買う。〈六条御息所〉は美しく才女であるが嫉妬深く,〈葵の上〉がお産のときに生き霊となって〈葵の上〉を苦しめる。高僧たちが加持祈祷(かじきとう)で悪魔祓いをするのだがいっこうに苦しみから解放されない。〈六条御息所〉にも,自ら生き霊になって〈葵の上〉を苦しめているという自覚がある。それは,実際には〈葵の上〉の住まいを訪れていないのに,自分の衣服や髪に加持祈祷のときに使う「芥子」の香がしみ込んでいて,衣服を取り替えても,髪の毛を洗っても消えないからだ。

 

すなわち,賢治が『ひのきとひなげし』の最終形で「葵の花壇」や「芥子」を出したのは,『源氏物語』第9帖「葵」に出てくる「芥子」を意識してのことと思われる。童話『ひのきとひなげし』に登場する悪魔が「葵の花壇」から出てきて〈ひなげし〉の芥子坊主を食べようとする話は,植物学的に矛盾はあるものの,『源氏物語』において〈葵の上〉に取り憑く生き霊(物の怪)となった〈六条御息所〉の衣服や髪の毛に魔よけの「芥子」の香が付いてしまう話と類似している。

 

引用文献

伊藤博史・熊倉克元・石橋 晃.2011.飼料学(73)-Ⅲ 油実粕類-.畜産の研究 65(2):269-270.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

成田真紀・福田眞人・平井勝利・氏原暉男.1998.ケシ(Papaver ssp.)栽培と阿片の歴史-起源と伝播に関する一考察-.信州大学農学部紀要 35(1):59-64.

星川清親.1987.栽培植物の起原と伝播.二宮書店.