宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

湘南四季の花-Autumn-

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大磯町郷土資料館

 

1.カワラナデシコ (ナデシコ科)

撫でてやりたい愛娘

秋の七草の1つで大和撫子ともいう。神奈川では昔相模川の河原などで見ることができたらしい。秦野市や平塚市民の花でもある。花は淡紅紫色で花弁は細かく糸状に切れ込む。「撫子」は,あまりの愛らしさにずっと撫でてやりたい愛児あるいは愛娘というのが語源とされる。古くから日本人に愛され,日本最古の長編小説『源氏物語』でもたくさんの女性とともに繰り返し登場してくる。賢治の『銀河鉄道の夜』という夢物語の最終章では,空の工兵大隊が天の川に鉄の船(浮き船)を並べで橋を作る架橋演習をしているところに咲いている。この場面は,『源氏物語』の最終帖である「夢の浮橋」をヒントにしていると思われる。なぜなら,「夢の浮橋」に登場する女性の名が「浮船」だから。

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2.オトコエシ (オミナエシ科)

風で飛ばされる種子

「オトコエシ」は,オミナエシ科の多年草で,大磯では高麗山など丘陵地の林の中に生える。オミナエシに比べ,全体に毛が多く,茎も太く葉も大きく華やかさがないことから男の名が付けられた。花期は8~10月。花は白。種子の縁に丸い翼があり風に乗って散布される(オミナエシの種子には翼はない)。賢治の童話『風の又三郎』の「九月四日,日曜」の章に登場する。村童達が転校生の又三郎といっしょに牧場で競馬遊びをしているとき馬が逃げてしまう。年長の村童が見失った馬と又三郎を探しに行くが,その途中にこの「オトコエシ」と「アザミ」に出くわす。「アザミ」の種子も冠毛があって風によって運ばれる。すなわち,馬は,「オトコエシ」や「アザミ」の種子のように風(あるいは又三郎)によってどこかへ飛ばされてしまった。

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3.ススキ (イネ科) 

ぎんがぎがのすすき

丘陵地や水路,川岸でごく普通に見られる大型のイネ科の多年草。秋の七草のひとつで,オバナ(尾花)の名でも親しまれている。賢治は「ススキ」をよく作品に登場させる。『鹿踊りのはじまり』という童話には「銀いろの穂を出したすすきの野原」,「すすきは幾むらも幾むらも,はては野原いつぱいのやうに,まっ白に光つて波をたてました」,「ぎんがぎがの/すすぎの底(そご)の日暮れかだ/苔の野原を/蟻こも行かず」など「ススキ」に関連する詩的表現が多数散りばめられている。「ぎんがぎが」は「銀河」を連想させるが,標準語の「ぎんぎん」,「ぎらぎら」を方言化したもので,「ぎんがぎがのすすき」とは,「ススキ」の穂が太陽の光(夕陽)に反射して眩しいばかりに光っている様子を現わしている。

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4.カヤ (イチイ科)

『どんぐりと山猫』の舞台は碁盤の上

県立大磯城山公園の「ふれあいの広場」に大きな「カヤ(榧)」の木がある。その周りにカシやシイの木があり秋には沢山のドングリが落ちる。この場所にくると宮沢賢治の『どんぐりと山猫』を思い出す。この童話では一番えらいドングリを決める裁判が「カヤ」の森の中の四角く刈った金色の草地の上で行われ,三百でも利かないドングリ達がパチパチ音を立てて争う。賢治研究家によれば『どんぐりと山猫』の舞台は岩手県の早池峰山周辺ということになっている。しかし,この地に南方系の「カヤ」は自生していない。なぜカヤが登場するのか。「カヤ」の心材は年数が経つと金色になり碁盤の材料として使われる。囲碁で使う石の数は三百六十一個で,白石はハマグリから作る。賢治は「カヤ」で作った碁盤と碁石から物語のヒントを得たと思う。

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5.スイセン (ヒガンバナ科)

水車のある水辺が似合う

大磯では県立大磯城山公園や高麗山で見ることができる。花期は長く,11月から翌年の4月頃まで。白い花を5~8枚つける。花の中心には副花冠と呼ばれる黄色い筒がある。賢治の童話『水仙月の四日』では,雪童子(ゆきわらす)という妖精がまつ青な空を見上げ,「カシオピイア,/もう水仙が咲きだすぞ/おまえのガラスの水車(みずぐるま)/きつきとまはせ」と叫ぶ場面がある。カシオペアは秋の北天に位置するM字形をした星座で,北極星を中心に1日1回転する。しかも天の川の中にあることから賢治はこれを水車に見立てた。そういえば,「スイセン」の水辺で横向きに咲く姿も,副花冠を軸部,花弁を水輪部とすれば見ようによっては水車のようにも見える。

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6.ヤブツバキ (ツバキ科)

大きな財布の中身

ツバキ科の常緑高木で林内に自生するものを「ヤブツバキ」と呼ぶ。ツバキは有史以前から日本人の生活と密着した植物だった。縄文時代の遺跡や貝塚などからドングリやクルミと一緒にツバキの実や材が出土することがある。実から油を採取し,材から石斧の柄を作ったらしい。大磯では高麗山や城山公園など昔ながらの自然が残されている照葉樹林の森に生える。花期は12月から翌年の4月頃まで。花は紅色。葉も丈夫で,光沢があり,厚くてかたい。「厚葉木(アツバキ)」が「ツバキ」の語源とされる。賢治の童話『カイロ団長』に面白い記載がある。雨蛙の一匹が大きな財布をもっていたのだが,「開いて見ると,お金が一つぶも入ってゐないで,椿の葉が小さく折って入れてあるだけでした」とある。

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7.ヒガンバナ (ヒガンバナ科)

秋の彼岸ごろに咲くのでこの名がある。大磯では田の畦や土手などで普通に見られる。マンジュシャゲともいう。ずいぶん昔の話ではあるが,山口百恵という歌手の持ち歌に「曼珠沙華」(阿木曜子作詞)というのがあった。彼女は「曼珠沙華」を「まんじゅうしゃか」と発音していた。低音の切ない声で「恋する女はまんじゅうしゃか」と歌われるとファンの方なら魅入られてしまったのではないだろうか。歌詞に「赤い花」ということで「ヒガンバナ(彼岸花)」のことだと思われるが,「はかなく花が散った」ともあるので別種あるいは想像上の花の可能性もある。「ヒガンバナ」の花は「サクラ」のように散ることはなく,ただ色が白く抜けて萎(しお)れていくだけだ。しかし,山口百恵は白髪になるまでファンの前で歌い続けるということはしなかった(21歳の若さで引退)。だから「ヒガンバナ」だとしても歌詞の通りで・・・・。

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8.ヨモギ (キク科)

末摘花の悲哀

秋によく枝分かれして高さは1メートル前後になる。賢治は,詩「冬のスケッチ」で「ヨモギ」の枝分かれした様を,植物が罹る天狗巣病に見立てて「眩ぐるき/ひかりのうつろ,/のびたちて/いちじくゆるゝ/天狗巣のよもぎ」と詠んだ。しかし,なぜ天狗巣病をだすのだろうか。たぶん『源氏物語』十五帖の「蓬生(よもぎう)」を題材にしたようだ。「蓬生」で登場する姫君の名は末摘花(すえつむはな)である。容姿が醜く,特に鼻が天狗のように長くて赤い。源氏の君の訪問も途絶えがちになり,庭の草はしげるにまかせ,蓬は軒端の屋根を越えるまでになる。すなわち,「ひかりのうつろ」を「源氏の君の虚ろ」,「天狗巣のよもぎ」を「末摘花の屋敷の庭に生える蓬」と読めば,まさにこの詩は「蓬生」の場面そのもの。

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9.キキョウ (キキョウ科)

桔梗色の空

秋の七草の一つ。花は直径4~5センチ位の青紫色の釣鐘形で横向きに咲く。伊勢原市の花でもある。賢治は好んで「キキョウ」の花の色を「空の色」として表現する。例えば,童話『銀河鉄道の夜』では「美しい美しい桔梗いろのがらんとした空の下を実に何万といふ小さな鳥どもが幾組も幾組もめいめいせはしく鳴いて通って行くのでした」,『水仙月の四日』には「桔梗いろの天球には,いちめんの星座がまたたきました」,また『まなづるとダァリヤ』には「夜があけかゝり,その桔梗色の薄明の中で」とある。日没後や日の出前の薄明の中では,空が桔梗色になることがある。大気中の塵に太陽光が反射して光る現象である。伊勢原市立山王中学校の校歌(阪田寛夫作詞)にも「・・・花びらは降る/山王原よ/桔梗色の空の下/地球はまわる・・・」と「桔梗色の空」がでてくる。

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10.ワレモコウ (バラ科)

われもこうありたい

枝先に暗紅色の小さな花が多数集まった穂をつける。茎葉には香がある。地味な花だが,秋の紅葉の中で,「われもこうありたい」と草地で穂が茶色に色づくことが語源とも言われる。この語源の信憑性は定かではないが『源氏物語』に登場する「匂宮(においのみや)」のことを考えると合点するものがある。「匂宮」は源氏亡き後の後継者として源氏の実子とされる「薫」と競っていた。「薫」は体から芳香を発する特異体質の持ち主で,「匂宮」はそれに対抗するため特別の香を衣にたきこめて匂わせていた。だから,「匂宮」は香のない花はたとえ美しくても目もくれず,「ワレモコウ」は香があるということで見るも無残な霜枯れの時期まで見捨てない。多分,「匂宮」は「薫」の前で「われもこうありたい」とつぶやいていたにちがいない。

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