宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-イチョウと二人の男の子-

Keywords: 文学と植物のかかわり,双子性,ギリシャ神話,白鳥座イチョウの生殖様式,出自の秘密,チュンセ童子とポウセ童子

 

童話『銀河鉄道の夜』は,「ほんたうのさいはひ」を求めて壮大な銀河宇宙を旅する物語である。最近,賢治に悲恋に終わった相思相愛の恋人が存在していたことが明らかにされ,この二人の恋愛体験が賢治の詩集『春と修羅 第一集』や童話『銀河鉄道の夜』に深い影響を及ぼしたということが指摘されている(澤口,2013;石井,2018;長野,2018)。

 

これまで『銀河鉄道の夜』において,ジョバンニには賢治がまたカムパネルラには妹トシあるいは友人の保阪嘉内が投影されていると考えられてきた。しかし,最近,賢治に悲恋に終わった新しい恋人の存在が知られるようになると,カムパネルラには賢治自身が投影されているという従来とは異なる説も出るようになって混乱している(澤口,2013;石井,2018;長野,2018)。また,著者は以前この童話に登場するジョバンニとカムパネルラの二人に強い「双子性」が認められることを報告したことがある(石井,2013)。

 

本稿ではジョバンニとカムパネルラの「双子性」を考慮に入れながら,カムパネルラを賢治としてジョバンニには賢治の生きた時代のどの人物が投影されていたかについて再検討してみたい。 

1.イチョウの木から読み解くジョバンニとカムパネルラの「双子性」

最初に「双子性」を指摘したのは賢治研究家の天沢(1989)である。彼は,草稿を見て賢治が何度かカムパネルラとジョバンニを混同ないし混同しかけていることに気づくとともに,イタリアの哲学者でユートピア物語『太陽の都』でも知られているトマーゾ・カンパネルラ(Tommaso Campanella;1568-1639)の幼名がジョヴァンニ・ドメニコ(Giovanni Domenico)であることから,賢治がこれを知っていたとしてカムパネルラ=ジョバンニのいわば隠れた「双子性」を指摘していた。

 

著者は,「双子性」を示唆するものとして以下の引用文に記載するように「イチョウ」の木が登場する場面に注目した。前報(石井,2013)ですでに検討しているが新しい事実も加えて再整理してみる。ジョバンニとカムパネルラが夢(死後の世界)の中で銀河鉄道の列車に乗り込み,最初の停車場である「白鳥の停車場」に到達する場面である。

 「もうぢき白鳥の停車場だねえ。」

 「あゝ,十一時かっきりには着くんだよ。」

 (中略)

 さはやかな秋の時計の盤面(ダイヤル)には,青く灼(や)かれたはがねの二本の針が,くっきり十一時を指しました。みんなは,一ぺんに下りて,車室の中はがらんとなってしまひました。

 [二十分停車]と時計の下に書いてありました。

 「ぼくたちも降りて見ようか。」ジョバンニが云ひました。

 「降りよう。」

 二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口へかけて行きました。ところが改札口には,明るい紫がかった電燈が,一つ点(つ)いてゐるばかり,誰も居ませんでした。そこら中を見ても,駅長や赤帽らしい人の,影もなかったのです。

 二人は,停車場の前の,水晶細工のやうに見える銀杏(いてふ)の木に囲まれた,小さな広場に出ました。そこから幅の広いみちが,まっすぐに銀河の青光の中を通ってゐました。

 さきに降りた人たちは,もうどこかへ行ったか一人も見えませんでした。二人がその白い道を,肩をならべて行きますと,二人の影は,ちゃうど四方に窓のある屋(へや)の中の,二本の柱の影のやうに,また二つの車輪の輻(や)のやうに幾本も幾本も四方へ出るのでした。

(『銀河鉄道の夜』第四次稿 七章「北十字とプリオシン海岸」 宮沢,1985)下線は引用者

 この引用文には,短い文章であるにもかかわらず「二」という数字が繰り返される。「二人」が4回,「二本の針」,「二十分」,「二本の柱」,「二つの車輪」がそれぞれ1回ずつ記載されている。「十一時」も2回登場するが,これも「11時」と書けばローマ字のⅡと類似する。二人の関係はこの文章の中に隠したと賢治が言っているようにも思える。二人の関係を明らかにするヒントは,二人が位置する場所である「白鳥の停車場」の「白鳥」とその場所にある「銀杏(いてふ)」,そして時間を示す「十一時」の「十一」にある。

 

賢治は「イチョウ」を題材にして多くの作品を残している。代表的な作品として,童話『銀河鉄道の夜』の前に書かれた短編童話『いてふの実』(1921年作;賢治25歳)というのがある。この童話には「二人のいてふの男の子」が登場する。「二人」という表現は,「イチョウ」の木の短枝の先から出る1本の長い花柄(かへい)の先にできる2つの実を擬人化したものである。

 

イチョウの生殖様式は複雑で,雄と雌があり(雌雄異株),雄株は精子を作るということで動物的でもある。イチョウの雄株の生殖器官は雄しべに相当する小胞子嚢となって短枝の先端に形成される。この小胞子嚢穂の雄しべは成熟すると縦に裂け,4月から5月上旬にかけて花粉が飛び出していく。雌性胞子嚢穂は短枝の先端に普通2個の胚珠を付けている。同一とは限らない雄株からの複数の花粉は雌株の胚珠に到達すると胚珠内の花粉室に入る。そこで雌しべから養分をもらって約3か月を過ごし,無事に成長すると精子になる。これら精子のいくつかが2個ある胚珠内の胚嚢上部のそれぞれ2個ずつある卵細胞を目指して泳いでいく(第1図)。2個の胚珠のそれぞれの胚嚢にある2個の卵細胞は受精するが胚に育つのはそれぞれ原則的に1つのみであるという(稀に2つ)。長い花柄の先の2個の胚珠は成熟すると「ぎんなん」のある2個の実となる。

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第1図.イチョウの受精.Aは花柄の先の2個の胚珠,BとCは雌花の断面図を示す.(理科ネットワークの動画を基に作画). 

このようなイチョウの生殖の生態や様式の秘密は,賢治が生まれた年である1896年に東京大学植物学教室の平瀬作五郎がイチョウ精子を発見したことによって解明された(本間,2004)。植物学に精通していた賢治は『銀河鉄道の夜』を制作していたときにはこの事実の多くを知っていたはずである。賢治は,この「イチョウ」の1つの花柄に付いた2個の成熟した果実を童話『いてふの実』では「二人のいてふの男の子」と表現したりもした。擬人化した1つの花柄に付いた2個の果実(あるいはそれぞれの果実にある種子)が「双子」と論ずるのは非科学的かもしれないが,あえて言うなら「双子」のような「兄弟実」であろうか。この擬人化した「イチョウ」の「双子性」のイメージをさらに『銀河鉄道の夜』にも取り入れたように思える。

 

2.ギリシャ神話から読み解くジョバンニとカムパネルラの「双子性」

賢治はギリシャ神話にも精通していたようである。「白鳥座」にまつわる神話がその中にある。大神・ゼウスが,天上から地上で水浴びをしている絶世の美女であるギリシャのスパルタ王・テュンダレオスの妃であるレダ(Leda)を見染め,愛の女神アプロディテの助力のもと白鳥に化身し思いを遂げる。白鳥の去ったあと,レダは大きな卵を2つ産み落とす。それぞれから「双子」が生まれるが,片方からはカストル(兄)とポルックス(弟)という男の「双子」が,もう1つの卵からは女の「双子」が生まれる。一説では,兄のカストルはスパルタ王の子であるので人間だが,弟のポルックスはゼウスの子で「神性」(不死)を持つとされる。

 

この「白鳥座」にまつわるギリシャ神話の話は,「イチョウ」の雌株の短枝の先からでる長い花柄の先に付く2個の胚珠(それぞれ2個の卵細胞を持つ)が異なった雄株からの花粉を受粉(受精)して2個の果実(ギリシャ神話では2個の卵)を作る過程と似ている。賢治はこの「イチョウ」の実と「白鳥座」にまつわるギリシャ神話から推測される「兄弟」(あるいは「双子」)と「異なる父性」のイメージを童話『銀河鉄道の夜』の主人公達にも投影させたように思える。すなわち,二人の主人公達には父親が異なるかもしれない同一の母親をもつ「兄弟」というイメージが付与されている。

 

物語でジョバンニには北方で漁をしている父と病弱の母が描かれているが,カムパネルラにはジョバンニの父と友人関係にある博士と呼ばれる父は登場するがカムパネルラの母の存在は不明確になっている。あたかも双子の兄弟のうち,狩猟民の子を博士が,博士の子を狩猟民が養育しているように見える。

 

なぜ賢治はジョバンニとカムパネルラに「双子性」と「異なる父性」を付与しようとしたのだろうか。この疑問を解く鍵は,賢治が物語を創作しているときに誰をイメージしてジョバンニとカムパネルラを登場させたかに隠されている。

 

3.ジョバンニには賢治の恋人が投影されている

カムパネルラに賢治が投影される場合があるということを前報(石井,2018)で報告したが,では「双子性」が付与されたもう一人のジョバンニは誰が投影されているのだろうか。考察を進める前に1つ断っておきたいことがある。賢治研究家の澤口(2013)が言うように,物語の中の人物にある特定の人物をモデルとしてそっくり当てはめるのは適切ではない。固定してしまうと辻褄が合わなくなる場合が生じてしまうからである。物語の場面に応じて,あるいは推敲を重ねていく過程で投影されている人物が変わることもあり得るだろう。また複数の人物が重ねられる場合もあるし,まったく架空の人物をあてたのかもしれない。

 

童話『銀河鉄道の夜』の第一次稿は,賢治と相思相愛の恋人との関係が破局を迎え,1924年6月に恋人が異郷の地である米国に渡った半年後(1924.12)に友人達に披露されている。また,この童話が披露された直前に創作されたと思える詩「孤独と風童」(1924.11.23)の先駆形には「こんどの童話はおまへのだから」という語句が添えられていた。多分,カムパネルラに賢治が投影されているなら,童話の主人公であるジョバンニには恋人が多くの場面で投影されている可能性が高い。

 

賢治が生きていた時代,まして地方において自由恋愛は許されなかったという。賢治は,近親者達の猛反対もあり,恋人の将来のことを考慮して恋人の名前を作品の中に登場させることはできなかったと思われる。しかし,詩人で文学者でもある賢治は恋人への思いを作品の中で表現したい気持ちを抑えられなかったようである。そこで,賢治は,カムフラージュ(偽装)として登場人物を親密な関係にある「兄妹」,男性同士であれば「双子」あるいは擬人化した動物や植物にすることで自分達の恋愛体験を表現しようと考えたのかもしれない。

 

例えば,「兄妹」を扱った作品だと『手紙四』(1923年頃),詩集『春と修羅』の「恋と病熱」(1922.3.20),「永訣の朝」(1922.11.27),「白い鳥」(1923.6.4)などがあり,「双子」を扱った作品では童話『双子の星』などがあり,「動植物」では『土神ときつね』などがある(第1表)。賢治はごく普通の恋愛をしたのだと思う。しかし,澤口(2018)が指摘しているように恋人を隠して作品を創作すればするほど,賢治の恋愛に対して,その対象が妹トシや友人の保阪嘉内であるかのような多数派とは異なる愛情表現を強調した論評が目立つようになったのも皮肉なことである(福島,1985;菅原,2010)。

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1)童話『双子の星』のポウセ童子は恋人が投影されるジョバンニの原型

童話『双子の星』には,少年と思われる「双子」の星である擬人化したチュンセ童子とポウセ童子がでてくる。チュンセ童子の「チュンセ」は「双子座」にまつわるギリシャ神話にでてくる「双子」の兄カストルの父である「テュンダレオス」から,またポウセ童子の「ポウセ」は,「ゼウス」の子でもある弟の「ルックス」の名から創作されたものと思われる(下線は著者)。チュンセ童子とポウセ童子の二人は,純粋無垢な「双子」として描かれていて,様々な危険やたくらみにさらされる存在でもある。ある夜,乱暴ものの彗星にだまされて海底に落とされてしまう。

 二人は青黒い虚空をまっしぐらに落ちました。

 彗星は,

 「あっはっは,あっはっは。さっきの誓ひも何もかもみんな取り消しだ。ギイギイギイ,フウ。ギイギイフウ。」と云ひながら向ふへ行ってしまひました。二人は落ちながらしっかりお互いに肱をつかみました。この双子のお星さまはどこ迄でも一緒に落ちようとしたのです。

(『双子の星』 宮沢,1985)下線は引用者

二人が彗星によって海底に落とされるとき,二人は「落ちながらお互いに肱をつかみ,どこまでも一緒に落ちようとした」とある。この「お互いに抱き合ってどこまででも一緒に落ちよう」とする「思い」あるいは「行為」は,大多数の少年同士の友情をはるかに超えている。賢治研究家の佐藤(1996)は,この箇所を読んだときには「不思議に情念の息づき」と,また二人の少年の「星の童子を描きながら,<対幻想>ともいうべき,一種エロス的な感触が伝わってきた」と述べている。まさにここでは大人の「男性」と「女性」の恋愛感情に似た激しい感情の表白が記載されている。

 

『双子の星』の初期形は,1918年頃とされるが,その後推敲が重ねられていて,賢治研究家の浜垣(2018)の再調査によれば,上記引用文が追加されたのは1922年9月以降であるとした。1922年は,詩集『春と修羅』の「恋と病熱」(1922.3.20)や「春光呪詛」(1922.4.10)などが創作されていて二人の恋が近親者達の反対に会いながらも成就していた時期である。

 

童話『双子の星』ではチュンセ童子とポウセ童子という二人の「双子」の少年として登場するが,賢治と相思相愛の女性の恋人をモデルにしたものであろう。すなわち,賢治はこの童話の中で,決して名を明かしてはいけない恋人との恋の物語を語ったものと思われる。主に詩集『春と修羅』の中の「兄妹」を扱った作品と賢治の恋愛体験の関係については澤口(2018)の著書『新版 宮沢賢治 愛のうた』で詳細に検討されている。

 

2)ポウセ童子からジョバンニへ

二人の少年を描いた『双子の星』の最終形が1922年として,それから2年後に創作された童話『銀河鉄道の夜』(第一次稿;1924.12)では賢治と恋人はカムパネルラとジョバンニという仲の良い少年になって物語の中に再登場してくるように思えるが,二人の関係は微妙に変化している。第一次稿の最終の部分に以下の記載がある。

   「あ,あすこ石炭袋だよ,そらの穴だよ。」カムパネルラが少しそっちを避けるやうにしながら天の川のひととこを指さしました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまひました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいてゐるのです。その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずたゞ眼がしんしんと痛むのでした。ジョバンニが云ひました。

 「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこはくない。きっとみんなのほんたうのさいはひをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう。」

 「あゝきっと行くよ。」カムパネルラはさうは云ってゐましたけれどもジョバンニはどうしてもそれがほんたうに強い気持ちから出てゐないやうな気がして何とも云へずさびしいのでした。

(『銀河鉄道の夜』第一次稿 宮沢,1985)下線は著者 

1924年は,二人の恋の終止符が打たれた時期で,恋人は結婚して6月に渡米している。恋人をジョバンニに重ねてみれば,恋人は破局が進行する中でも賢治(=カムパネルラ)と「どこまででも一緒に行こう」(将来を共にする)と決意していたにも関わらず,賢治(=カムパネルラ)は近親者達の反対に遭遇して「あゝきっと行くよ」と口では言うが,心の底では「一緒にいく」ことを躊躇していた。

 

上記引用文の下線部分は,第二次稿(制作年度不明)では下線部分の「ほんたうに強い気持ちから」が「ほんたうのこゝろから」に変更されているだけだが,1926年頃までに書かれたとされる第三次稿および1931年以降に書かれた第四次稿では下線部分が全て削除され以下の文章が新たに追加される。第三次稿と第四次稿執筆の間に恋人は,渡米先で亡くなっている(1927.4.13)。

 「あゝきっと行くよ。あゝ,あすこの野原はなんてきれいなんだらう。みんな集まってるねえ。あすこがほんたうの天上なんだ。あっあすこにゐるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。

 ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむってゐるばかりどうしてもカムパネルラが云ったやうに思はれませんでした。

(『銀河鉄道の夜』第三次稿,第四次稿 宮沢,1985)下線は引用者

第三次稿と第四次稿のこの箇所で,カムパネルラは天上で自分の母を野原の中で見つける。賢治がカムパネルラとジョバンニを「双子座」にまつわるギリシャ神話のように「双子」として設定したとすれば,水死して死んだカムパネルラ(兄カストル=人間)が天上で見かけた母はジョバンニ(弟ポルックス=神性)の死んだ母でもある。

 

第四次稿(三章,家)では,ジョバンニの母は病弱で「白い布(きれ)を被って寝(やす)ん」でいる。この「白い布」に対して,著者は以前,物語の地上世界がアラビア風になっているのでイスラム教圏の女性が顔と手以外を隠すブルカやニカブなどの服をイメージしたものと推測したことがある。しかし,童話『銀河鉄道の夜』は夢(死後の世界)の中で,銀河鉄道の列車の車窓から見える景観は地球を南欧から北米大陸へ西進していくのと同時に東北本線で「東北」(イーハトーブ)の盛岡から一関辺りへ南下していく風景が二重に見えてくる。上記引用文をイーハトーブにおける賢治と恋人との恋物語として捉えて,再度この「白い布」が何かを考えてみる。

 

ジョバンニと母は物語の中では実際に会話をしているので,母は生きているように思えるが,母が被っている「白い布」を死者が顔にかけられる「打ち覆い(あるいは顔かけ)」とすればジョバンニの母は亡くなっているともいえる。第三次稿で登場する母には,激しい動悸,安静時の呼吸困難,紫色の唇(チアノーゼ),四肢冷感,脱力感など重篤な心臓病あるいは呼吸器疾患を思わせる症状が記載されていた。

 

すでに賢治研究家の清水(2018)が第四次稿でのジョバンニの母の死を指摘している。清水によればジョバンニと母との会話は生者と死者の内的な会話だという。もしも賢治が第四次稿でジョバンニの母を死者としてイメージして書いているとすれば,またカムパネルラの母の生死が不明確に記載されていることと合わせれば,ジョバンニと「兄弟」であるカムパネルラが天上で死んだジョバンニの母を「自分の母」として認識することに矛盾はない。

 

しかし,第三次稿と第四次稿でなぜカムパネルラの母を天上に出してきたのであろうか。このカムパネルラの母に関してさらに深読みすれば,この母は「賢治の母(イチ)」がイメージされているのかもしれない。賢治は,第三次稿と第四次稿で恋人の「二人の幸せを願う気持ち」よりも母イチの「みんなの幸せを願う気持ち」を優先させたことを,後悔しながらも告白せざるを得なかったのだろう。なぜなら,カムパネルラの天上の母は,ジョバンニには「そっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむってゐるばかり」で見えないからである。恋人には,賢治が母(イチ)の願い,すなわちカムパネルラに言わせた「みんなのほんたうの天上(幸せ)」を優先させた理由が理解できないでいる。

 

4.ジョバンニの母にも賢治の恋人が投影されている

ジョバンニに賢治の恋人が投影されているとすれば,ジョバンニの母(カムパネルラの母でもある)は賢治の母イチ以外に誰が投影されているのだろうか。ジョバンニの母が物語の中で死をイメージできるとすれば,この母も第三次稿と第四次稿執筆の間の1927年に米国で亡くなった賢治の恋人であろう。

 

すなわち,ジョバンニの母が亡くなった恋人とすればジョバンニには恋人と,恋人の子が二重に投影されていることになる。さらに双子座にまつわるギリシャ神話を基に深読みすれば,恋人の子が投影されているジョバンニあるいはカムパネルラには,賢治と恋人の有り得たかもしれない結婚とその結果生まれたであろう仮想の子(息子)がイメージされているという可能性も否定できない。この仮想の子との関係は定かではないが,賢治の恋人は米国に渡ったあと2児を出産していて,いずれも夭折したということが報告されている(佐藤,1984;澤口,2010)。

 

最近,花巻の賢治研究家・布臺(2019)が米国の国立公文書館などに残された賢治の恋人や夫の記録を調査して,これまで遺族の証言などから恋人の夫の職業は土沢地区出身の医師で名が「修一」とされていたが(澤口,2018),公文書に記載されている夫は大迫(おおはさま)出身のホテル業を営む人で名も「修一」ではなく,恋人が出産した2児のうち一人の男子の名が「Shuichi」だったことを明らかにした。大迫は平成17年まで岩手県稗貫郡にあった町の名でさる。さらに恋人が肺結核ではなく喀血を伴うこともある心臓病(僧帽弁狭窄症)で亡くなったことも明らかになった。 

 

5.恋人と思い描いたドリームランド建設の夢

カムパネルラはギリシャ神話のカストル(兄)のように人間なので死んでしまうが(水死),ジョバンニは「神性(不死)」を持つポルックス(弟)のように死者であるカムパネルラと死後の世界を旅することのできる能力を持っている。賢治は,物語でジョバンニに『法華経』の第五章「薬草喩品」に記載されている「神通力」の1つである「自由に欲する所に現れ得る能力(漏尽通)」(ジョバンニの切符)を与えている。この「通行券」を持っていると幻想第四次空間で「ほんたうの天上」へも行けるし「どこでも勝手にあるく」こともできる。

 

本稿で,全ての場面ではないがカムパネルラには賢治が,ジョバンニには恋人あるいは恋人の子が投影されている可能性について論じた。童話『銀河鉄道の夜』は,「みんなのほんたうのさいはひ」を求める旅物語であるが,具体的にはイーハトーブ岩手県)に住んでいた「先住民」と「移住者」の末裔達が共に幸せに暮らせる世界を実現させるという願いが込められている(石井,2018)。

 

カムパネルラは物語の中では「移住者」として,ジョバンニは「先住民」側の人間として登場してくる。また,ジョバンニはカムパネルラと共に「科学」に興味を示し,また法華経思想も会得しているように描かれている。法華経に帰依した賢治は,恋人との有り得たかもしれない結婚を夢想し,結果として生まれてきたであろう賢治の強い意志を受け継ぐ科学と宗教(法華経思想)に精通する「先住民」の末裔としての息子にイーハトーブにドリームランドを建設する夢を託し,その夢を物語の中で実現しようとしたと思える。

 

引用文献

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澤口たまみ.2013.宮沢賢治春と修羅』の恋について,続報.宮澤賢治センター通信 17:3-6.

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佐藤勝治.1984宮沢賢治 青春の秘唱“冬のスケッチ”研究.十字屋書店.東京.

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菅原千恵子.2010. 宮沢賢治の青春“ただ一人の友”保阪嘉内をめぐって.角川書店

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌18巻第2号47~52頁2019年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html