宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

植物から宮沢賢治の『よく利く薬とえらい薬』の謎を読み解く(2)

-大三が手に入れようとした透き通ったバラの実の正体- 

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前報では,〈清夫〉が幻影の中で見た「透き通ったばらの実」の正体が,「みんなのさいはひ」をもたらす手段としての「宗教」でありその「信仰」を手助けする「法華経」のことであることを明らかにした。本編では,童話『よく利く薬とえらい薬』や同時期の他の作品に登場する植物を読み解くことによって,〈大三〉が作ろうとした「透き通ったばらの実」の正体を明らかにする。

 

2.大三が手に入れようとした「透き通ったばらの実」の正体 

〈大三〉は仏教で言うところの三毒(「貪(とん)」・「瞋(じん)」・「癡(ち)」)に侵されている。彼は,肥満で倦怠感や息切れの症状があり苦しんでいた。医者は,彼の症状が食べ過ぎによる肥満(貪に相当)によって生じていると判断して,彼に食事の量を減らすように忠告する。しかし,〈大三〉はその忠告を聞き入れない(瞋に相当)。逆に「むかしは脚気などでも米の中に毒があるためだから米さへ食はなけぁなほるって云ったもんだが今はどうだ,それはビタミンといふものがたべものの中に足りない為だとかう云ふんだらう,お前たちは医者ならそんなこと位知ってさうなもんだ」と言って医者を「いじめ」てしまう(癡に相当)。

〈大三〉は倦怠感や息切れを治して「もっと物を沢山おいしくたべれる」ような「薬」を探していた。そんなときに〈清夫〉の「透き通ったばらの実」の話を聞いて,それを森の中で探そうとする。 

 

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しかし,〈大三〉は100人で探しても「透き通ったばらの実」を見つけることができない。多分,信仰心のないものには「透き通ったばらの実」は見つけられないということだと思う。そんなとき,カケスが〈大三〉の足下に「栗の木の皮」を一切れ落とす。

 

1)カケスが落とした栗の木の皮とは何を意味しているのか

カケスの〈清夫〉と〈大三〉に対してとった行動にはどんな意味が込められているのだろうか。カケス(カラス属)はハト程度の大きさの鳥で,主に昆虫などを捕まえて食べるが「クリ」などの果実も食べる。〈大三〉に落とした「栗の木の皮」とは樹皮ではなく「クリの実」にある「赤茶色」の「鬼皮」のことだと思われる。通常,「クリ」は秋(9 - 10月頃)に実が赤茶色に成熟すると,いがのある殻斗が4分割に裂開して,中から堅い実が現れる。カケスはこの実を取って中の種の部分だけを食べて残りの赤茶色の「鬼皮」(果実に相当)を〈大三〉に落としたと思われる。

 

カケスが「クリの実の鬼皮」と「ドングリ」を落とした理由にはそれぞれの果実の色が関係していると思われる。賢治が原稿に手を加えていたと思われる大正11年(1921)と12年には青(緑)と赤の二つの板に「進メ」と「止レ」を記載した「信号標板」や「交通整理器」(現在の信号機の原型)が考案され,東京の主要交差点で使用されるようになっていた(KAWASAKI,2017)。賢治は,1921年に半年ほど上京しているのでこれら信号機を見ているはずである。多分,これをヒントにしたと思われる。カケスが〈清夫〉には「進メ」すなわち一生懸命に探せと合図している。そして,青い草原の縁で「透き通ったばらの実」を見つけることになる。また〈大三〉には「止レ」すなわちこれ以上探すのは危険だから止めろと合図している。あたかもカケスは,〈大三〉の行く先には危険があるのを予期しているかのようである。

 

2)大三が集めたばらの実はノイバラの実のことか

カケスが落とした「栗の木の皮」の色から,〈大三〉が「透き通ったばらの実」を探していた時期は秋頃と思われる。「モミジイチゴ」,「クマイチゴ」,「ナワシロイチゴ」などの「キイチゴ」が熟成するのは主に初夏だから,〈大三〉は「キイチゴ」の熟成した果実は見つけられなかったと思われる。多分,〈大三〉が集めた「ばらの実」は秋に赤く熟す「ノイバラの実」と思われる。

 

「ノイバラ」(野茨;Rosa multiflora Thunb.)は,日本の山地に自生するバラ科バラ属の落葉性低木である。日本の代表的な野バラである。赤い果実あるいは偽果(生薬名は営実;エイジツ)は,主に瀉下薬として便秘に使われる。煎液が人に瀉下効果を示すことは科学的に証明されている。利尿効果もある。我が国では日本薬局方に収載されている「医薬品」である(厚生労働省,2011)。医者が「営実」を処方することはないが,薬局で販売する家庭用便秘薬の中に配合されている。瀉下作用を示す成分はフラボン配糖体のmultiflorin Aである。

 

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中国では,『神農本草経』に「営実。・・・味酸温。生川谷。治瘍疽悪瘡。結肉跌筋。敗瘍熱気。陰蝕不疹。利関節。」(瘍疽は腫れ物のこと)とあるように,古くから主として皮膚病の治療薬や利水薬として用いられてきた。日本と中国で「営実」の効能が異なるのは「ノイバラ」の基源種が異なるからとも言われている。

〈大三〉は東洋医学的には実証タイプの肥満と思われる。肥満に便秘が関係しているかどうかは定かではないが,〈大三〉が便秘で苦しんでいるなら瀉下薬の「営実」は有用な薬物になるかもしれない。

 

しかし,〈大三〉は不透明な「ノイバラの実」では自分の「倦怠感」や「息切れ」は治らないと思ったようである。〈清夫〉は「キイチゴの実」を「宗教(信仰心)」の力で「透明」にしたが,〈大三〉は「化学(科学)」の力で「ノイバラの実」を「透明」にしようとする。

 

3)透き通るとは何か   

一般に,対象とするものが可視光で透き通っているためには,その対象物内に(1)光を吸収する物質がないこと,(2)光の散乱を誘発する屈折率の異なる物質や局所的な密度(分子の分布)の偏りがないこと,(3)対象物の表面が平滑で光が乱反射しないことなどが必要である。この3つの条件の1つが欠けても透明性は著しく低下する(宮田,1979)。

 

植物の花,茎,葉,果実,根のほとんどは不透明である。花や果実には色もある。可視光線が当たって果実が赤く見えるのは,赤以外の光を果皮の色素が吸収するからである。植物は沢山の細胞から構成されている。また,細胞は細胞膜や細胞壁などの屈折率の異なる種々の構造物からできている。細胞質の屈折率は約1.35で,細胞壁は1.42,細胞膜は1.46~1.60である。細胞内の異なる屈折率を持つ構造物に光が通過すると,その境界面で光は屈折あるいは反射する。だから照射した光は植物を構成する細胞を通過するごとに屈折・反射してしまい,植物の体を真っ直ぐに通過することができない。

透明にするには,植物に含まれる色素やタンパク質を取り除き,屈折率の高い溶媒(1.43の抱水クロラールなど)を細胞質と入れ替えて植物体内の種々の構造物の屈折率を均一化する必要がある。

 

生体を丸ごと透明にする技術は,賢治の生きた時代にすでに知られていた。ドイツの解剖学者シュパルテホルツ(Spalteholz,W.;1861~1940)が1914年にベンジルアルコール(屈折率1.53)と組織透過促進剤サリチル酸メチルを使って動物組織を透明化する方法を開発している(久野ら,2015)。以後,世界中で様々な透明化試薬を使った技術が開発されている。最近では「丸ごとの植物」の観察したい構造にのみ目印をつけ,それ以外を透明化する技術も開発されている(栗原,2016)。 

 

4)大三が造ろうとしたもの

〈大三〉が「ばらの実(エイジツ)」を透き通らせるために使ったものは,液体の透明化試薬ではなく固体のガラスと触媒としての水銀と塩酸である。賢治は当時の液体の透明化試薬を知っていたかどうか定かではないが,〈大三〉を近代以前の化学である「錬金術」の知識を有する者として登場させている。

 

錬金術」とは,鉛などの卑金属から人工的に貴金属の金を作りだそうとする試みである。「錬金術」の起源は古くは古代のエジプトやギリシャの時代まで遡る。エジプトでは紀元前に,金,銀,銅,錫,鉄,鉛,水銀の7種の金属が知られていた。また,ギリシャではこれら金属が4つの元素(土,空気,火,水)の混合物であり,ある金属は他の金属へと変換可能であると考えられていた。

 

錬金術師達は,卑金属を金に変える際の触媒になる物質,すなわち「賢者の石(philosophers’ stone)」があると考え,その発見を目指していた。そして,その有力候補に挙がったのが「水銀」である。「賢者の石」は西洋では「赤い石」であることが多い。「水銀」を含有する「硫黄」(辰砂;HgS)は赤色だが,空気中で加熱(約600℃)すると銀色の水銀単体になる。水銀は空気中で加熱(約350℃)すると辰砂に戻ったかのように再び赤色に戻る(実際は酸化水銀ができている)。酸化水銀はさらに温度を上げて加熱(約450℃)すると水銀に戻る。すなわち,古代人は「水銀」を使えば,ある物質の性質を別の性質のものに変えることが可能と考えたようである(嶋澤,2005)。また,錬金術師達の中には,金属の変換可能性を自然界の全ての物質に当てはめて,不透明なものを水のような透明な物質にすることを考えていた者もいたかもしれない。 

 

〈大三〉は「ノイバラの実」を透き通らせば「もっと物を沢山おいしくたべれる」ような「薬」になると信じたと思われる。〈大三〉は「透き通ったばらの実」の話を「偶然」に知り,そして「衝動的」に古の錬金術師の技術を使って「透き通ったばらの実」を人工的に作ろうとした。〈大三〉は,「賢者の石」としての「水銀」を使って「ノイバラの実」の細胞内液を透明で屈折率の高い「ガラス」に置換しようとしたのだと思われる。しかし,結果的には毒物である昇汞(塩化第二水銀)を作ってしまう。塩化第二水銀は水溶性の無色あるいは白色の針状結晶である。〈大三〉はこれを「透き通ったばらの実」と思い込んだようである。水に溶かして飲んで死んでしまう。

 

「ノイバラの実」が「るつぼ」の中でどうなったかは記載がないので分からない。「ノイバラの実」は,昇汞(塩化第二水銀)ができる加熱温度から推定すれば,「ノイバラの実」の固形成分(ほとんどが炭水化物)は炭化して灰になり,大部分の水分は蒸発したものと思われる。〈大三〉が合成してしまった塩化第二水銀(HgCl2)は,赤色の酸化水銀HgOと塩酸が反応してできたものと思われる。また,酸化水銀は前述したように空気中で水銀を加熱すればできる。反応式は,2Hg+O2→2HgO,HgO+2HCl→HgCl2である。

 

5)予知された危険

〈大三〉が造ろうとした物を,単なる絵空事や妄想として片付けることはできない。同様なことが現実社会で起きてしまったからである。賢治が童話『よく利く薬とえらい薬』を執筆していた時は,電気が全国的に普及していた頃で,余剰電力処理のために電気化学工業カーバイド工業など)が起こっていた。「東北」は水源に恵まれ豊富な電力と北上山地石灰岩生石灰の原料)および安い労働力が確保できるなどのカーバイド工場に適した立地条件を備えていた。花巻周辺でも岩手軽便鉄道(後のJR東日本釜石線)の岩根橋駅付近でカーバイド工場,合金精錬所,製鉄所などが立ち並び,急速に工業化が進んでいた。この工場群に供給している電力は猿ヶ石川に設けられた岩根橋発電所(1918年操業開始)や黄金山発電所1920年創業開始)によるものである(渡辺,1973;なんでもインファ,2020)。賢治もこの工場群に足を運び岩根橋発電所詩群とも言われている沢山の詩を残している。

 

カーバイド(炭化カルシウム;calcium carbide,CaC2)は,生石灰酸化カルシウムCaO)とコークス(C)の混合物を電気炉で加熱することによって作られる。カーバイドは1862年にドイツの化学者ヴェーラー( Wöhler,F.;1800 ~1882)によって初めて合成され,1892年にカナダ人の化学者ウイルソン(Willson,T.;1860 ~1915) によって工業化がなされた。カーバイドは,普通の燃料の燃焼では容易に合成することはできない。反応を容易にするためには,グラファイト電極を備えた電気炉で約2000℃に加熱することが必要である。

 

カーバイドは窒素と反応させると肥料や農薬としてのカルシウムシアナミド(石灰窒素)になる。またカーバイドは水と反応するとアセチレン(C2H2)になる。アセチレンからはアセトアルデヒド・酢酸・塩化ビニル(重合体はポリ塩化ビニル)などができる。ポリ塩化ビニルとは「合成樹脂(プラスチック)」の1つであり,アセトアルデヒドは「プラスチック」の可塑剤の原料として使われる。

 

「プラスチック」は1930年代から工業化が進み,20世紀後半には生活になくてはならない存在にまでなった。プラスチック製品の中には〈大三〉が手に入れたいものが沢山あるはずである。しかし,20世紀後半に有毒物質・メチル水銀((CH32Hg,CH3HgX;X=Cl,OHなど)を原因とする大公害事件が起きる。

 

メチル水銀は,アセチレンを希硫酸溶液に吹き込み「賢者の石」ともいえる水銀触媒下に水と反応させてアセトアルデヒドを合成する過程で出来てしまった。メチル水銀は当時回収されることなく工場廃液として海に捨てられた。流出したメチル水銀は魚介類に取り込まれて濃縮され,それを食べた人間あるいは動物が水俣病を発症した。水俣病資料館(2021)の資料によれば,2020年4月30日現在,認定患者数は2283名(そのうちの死者1961名)である。

 

人間は「偶然」に発見・発明したカーバイド合成法や工業化技術を用いて,また10年先,100年先に生じる事態を予見せず(衝動的)に「透き通ったばらの実」とも言えるカーバイドを大量生産した。そして,カーバイドから農薬や農業用肥料を生産し,さらには現在の「プラスチック文明」の礎を築いていった。しかし,同時に水俣病という悲惨な公害や多量のプラスチックゴミを発生させることにもなった。もしも,ヴェーラーらの化学者の発見・発明がなかったなら,今日の「プラスチック文明」は起こらずに別の文明となっていたかもしれない。これは,電気化学工業に限ったことではない。交通事故との闘いでもあった自動車工業や原発事故を引き起こした原子力工業においても同様である。

 

すなわち,〈大三〉が手に入れたかった「透き通ったばらの実」の「正体」は,「自分」を「さいはひ」にさせる手段としての「科学の力」である。(続く)

 

引用文献

久野 朗広・洲崎 悦生・田井中 一貴・上田 泰己.2015.マウス全脳・全身を透明化 し1細胞解像度で観察する新技術を開発―アミノアルコールを含む化合物カクテルと高速イメージング・画像解析を組み合わせた「CUBIC」技術を実現.生物と化学 53(11):737-740.

KAWASAKI.2017(更新年).信号小話5 そもそも信号機の定義とは?.2021.1.27.(調べた日付).http://roadkawasaki.blog36.fc2.com/blog-entry-338.html

厚生労働省.2011.第16改正日本薬局方解説書.廣川書店.東京.

栗原大輔.2016.植物を丸ごと透明化し,中まで蛍光観察する新技術を開発 細胞レベルでの固体全体の観察を目指して.化学と生物 54(11):794-796.

水俣病資料館.2020(更新年).水俣病認定申請処理状況.2021.1.29.(調べた日付).https://minamata195651.jp/list.html#3

宮田清藏.1979.透き通る.高分子 28(4):252-253.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房

なんでもインフォ.2020(更新年).黄金山発電所~田瀬湖に眠る近代遺産~.2021.1.29.(調べた日付).

https://showacd.co.jp/wp-content/uploads/2020/08/info_2008.pdf

嶋澤るみ子.2005.人類は水銀をどのように利用してきたのか-科学史における水銀の役割-.化学と教育 53(3):148-150.

渡辺四郎.1973.東北地方における電気事業の展開と工業の発達-1950年以前の場合を主として-. 福島大学教育学部論集 25:17-31.