宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

植物から宮沢賢治の『烏の北斗七星』の謎を読み解く(6)

-「サイカチ」には鬼神が宿る-

目次

はじめに

1.物語の戦いの場所とモデルとなった過去の戦争 

 1)戦場は日本列島

 2)物語に登場する栗や杉は戦争が先住民(狩猟採集民)と渡来人(農耕民)の子孫 

   達の争いであることを示唆している

  (1)栗の登場が意味するもの

  (2)杉の登場が意味するもの

 3)他の賢治作品との関係

2.物語は「東北」の「先住民」と朝廷の三十八年戦争が題材になっている

 1)延暦十三年の戦いにおける朝廷軍の編制

 2)胡麻馬鈴薯が示唆する烏の義勇艦隊の特徴

 3)烏の義勇艦隊と延暦十三年の征夷軍の類似点

 4)義勇艦隊が意味するもの

3.人を殺める心理

4.烏の大尉の戦いにおける祈りと泪(涙)の意味

 1)烏の駆逐艦隊の泪の意味

 2)戦い前夜における大尉の祈りの意味

 3)戦いが終わった後に流す大尉の泪の意味

 4)義勇艦隊の戦闘行為に正当性はあるか

 5)戦いが終わった後の大尉の祈りの意味

 6)烏の大尉が祈るマヂエル様とは何か

5.恋物語

 1)恋物語が挿入されているのはなぜか 

 2)戦いが終わった後の桃の果汁のような陽の光と白百合の花は何を意味している

   のか

 3)大尉の許嫁の泪の意味

 4)大尉の許嫁の「マヂエル様」という叫び

6.「サイカチ」には鬼神が宿る

まとめ

 

6.「サイカチ」には鬼神が宿る

 〈許嫁〉は2回目の夢の中でも「先住民」の「神」に対して祈りを捧げるが,今度は「まっ黒で巨きなもの」が具体的な鼻眼鏡をかけた山烏の姿となって現れる。烏には耳介がないので鼻眼鏡である。眼鏡は,13世紀にイタリアで発明されたと言われているが,そのころは神の意思に背いて視力を回復する「悪魔の道具」と言われていたという。『春と修羅』第二集の「北上川は熒気をながしィ」という詩には「魔法使いの眼鏡」とい詩句も出てくる。烏の大尉は,この眼鏡をかけた山烏に殺されてしまう。この怪しい眼鏡をかけた山烏とは何物か。ヒントは〈許嫁〉が夢を見ている場所にある。〈許嫁〉は「さいかちの木」の梢の中で夢を見ている。

 

「サイカチ」(皁莢;Gleditsia Japonica Miq.)はマメ科イカチ属の落葉高木で,川や沢沿いなどの水辺に多い。「サイカチ」の幹や枝には鋭く,長さが15cmにもおよぶ棘がある。我が国では鮮新世洪積世から莢や葉や刺針枝の遺体が散点的に報告されている(北村・村田,1982)。「木」と「鬼」を結びつけた「槐」という漢字は,植物では「エンジュ」のことを指すが,人名では「さいかち」と読ませる場合がある。これは,「サイカチ」の棘を「鬼」の角に見立てたものと思われる。

 

「サイカチ」は,若木(100年くらい)なら至る所に,老木(300年くらい)であれば幹の上部に10cmくらいの棘がある。ネットで老木は棘がほとんど見つからないと記載しているものもある。老木になると細い枝にはまだ鋭い棘があるが幹からは棘がなくなる(あきた森作り活動サポートセンター,2020)。『新宮澤賢治語彙辞典』によれば,北上川支流の豊沢川の「さいかち淵」には,樹齢数百年と言われる「サイカチ」の巨樹が数本,北側の崖下に並び立ち,辺りいっぱいに枝を広げていたと言う(原,1999)。ただし,現存していない。

 

賢治の童話に『さいかち淵』(1923年夏清書)という作品がある。後に,童話『風の又三郎』に組み込まれるものである。『さいかち淵』では,村童で少し乱暴なところがある「舜一(あだ名がしゅっこ)」と他の子供らが「さいかち淵」で「鬼っこ遊び」(鬼ごっこのようなもの)をしている。「しゅっこ」が村童の一人に馬鹿にされたのをきっかけに喧嘩になる。黒い雲も垂れ込めてきた。そのとき烈しい雨の中から「雨はざあざあ ざっこざっこ,風はしゅうしゅう しゅっこしゅっこ。」という不思議な声が聞こえてくる。この声で子供らの争いは収まるのであるが誰が叫んだのであろうか。多分,「さいかち淵」の「サイカチ」に棲む土着の神が「サイカチ」の棘(角)を付けて「鬼神」となって叫んだと思われる。童話『風の又三郎』では転校生の高田三郎がこの「しゅっこ」に変わって登場する。

 

すなわち,夢の中に登場する鼻眼鏡をかけた山烏(まっ黒な巨きなもの)は,大尉らによって繰り返される攻撃に怒って「鬼」(悪魔)となったものであろう。

 

烏の大尉に〈坂上田村麻呂〉だけでなく賢治も投影されているとすれば,賢治が「先住民」の神を怒らせるようなことをしたのかどうかも気になるところである。賢治が「先住民」の「神」を冒涜したとして「先住民」から怒りを買ったと思われる事件が詩の中に残されている。

 

賢治は,童話集『注文の多い料理店』が印刷される1か月前の1924年10月5日に地元の会合に招かれて農事講和をしたとされていて,このときの様子を詩集『春と修羅 第二集』の「産業組合青年会」(1933年『北方詩人』に投稿)という詩に記載している。賢治は,この会合で「山地の稜をひととこ砕き」,「石灰岩末の幾千車か」を得て酸性土壌を改良するという話をしたようだが,聴衆の中の老いた権威者(組合のリーダー格)から「あざけるやうなうつろな声で」,「祀られざるも神には神の身土がある」と批判されてしまう。

 

「祀られざるも神には神の身土がある」の意味は,祠で祀られていないなど,祭司されていない山や土や樹木にも,神としての身体と座(いま)す場所があるということであろう。なぜ賢治の講和内容が批判されたかについては伏線があって,賢治研究家の浜垣(2018)によれば,約2か月前に農学校で上演された『種山ヶ原の夜』という劇で,賢治が「楢の樹霊」,「樺の樹霊」,「柏の樹霊」,「雷神」という土着の神々を「滑稽(こっけい)」に,あるいは「笑い」の対象として舞台に移し登場させたことと関係があるという。劇を見たと思われる会合の聴衆(多分「先住民」の末裔)にとって,賢治の農業を発展させるための大規模な自然開発に関する講和は,農民の古くからの慣習を損なうだけでなく「神の領域への侵犯」であり,「先住民」あるいは「先住民」の信仰する土着の神(精霊)を冒涜するものと同じだったのかもしれない。実際に,神の怒りをかったのか,「雷神」を演じた生徒が次の日に災難に見舞われたという。賢治は科学者でありながら,この災難を偶然の出来事とは思っていない。

 

春と修羅』第二集の「晴天恣意」(水沢臨時緯度観測所にて)という作品の先駆形(1924.3.25)には「古生山地の峯や尾根/盆地やすべての谷々には/おのおのにみな由緒ある樹や石塚があり/めいめいに何か鬼神が棲むと伝へられ/もしもみだりにその樹を伐り/あるひは塚を畑にひらき/乃至はそこらであんまりひどくイリスの花をとりますと/さてもかういふ無風の日中/見掛けはしづかに盛りあげられた/あの玉髄の八雲のなかに/夢幻に人はつれ行かれ/かゞやくそらにまっさかさまにつるされて/見えない数個の手によって/槍でづぶづぶ刺されたり/おしひしがれたりするのだと/さうあすこでは云ふのです。」(傍線は引用者)とある。

 

賢治は,自信作の学校劇が批判され,また「自然開発」と「自然保護」の間で葛藤していただけに,土着の神を劇に登場させたことに対して烈しく「後悔」することになった。同日に書かれた未定稿詩〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕では,『種山ヶ原の夜』の学校劇について述懐して,「わたくしは神々の名を録したことから/はげしく寒くふるえてゐる」とある。すなわち,賢治は「鬼神」の出現を恐れている。

 

賢治は「先住民」の恋人と「恋」をしている時でも,「先住民」の「宗教」あるいは「文化」に敬意を払っていたのであろうか。「石灰岩」の山を切り崩し痩せた酸性土壌の土地を豊かにしようとする行為は,近代科学と合理主義に価値を置く者にとっては当たり前のことであるが,その価値を共有しない「先住民」にとっては神聖な山が切り崩されるのは屈辱と感じることもあると思われる。これは,弥生人や古代の大和朝廷が大陸から持ってきた稲作農耕文化を最高に価値あるものとして,それを狩猟民でもある「東北」や「北海道」の「先住民」に同化政策の一環として押しつけてきたのと同じ行為である。すなわち,賢治も土着の神から罰せられるような行為をしてきたのかもしれない。

 

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まとめ

(1)童話『烏の北斗七星』は反戦童話であり,この物語で扱われている戦争は,京都に都を置く大和朝廷と「東北」の「先住民」が戦った奈良・平安時代の三十八年戦争がイメージされている。これは,この物語に登場する「栗」,「杉」,「胡麻」,「馬鈴薯」がなぜ登場してくるのか読み解くことによって明らかにされた。「栗」は「蝦夷」のような狩猟採集民が利用した木であり,「杉」は弥生人の子孫である農耕民や朝廷軍が利用した木である。また義勇艦隊を形容するのに使われた「胡麻」と「馬鈴薯」は,義勇軍に渡来人がいることを暗示している。童話『烏の北斗七星』に登場する植物と物語の展開との関係は第3表にまとめた。

 

(2)主人公である烏の大尉(後に少佐)には坂上田村麻呂が投影されている。烏の大尉の戦闘前の「マヂエル様」への「祈り」は「あなたのお考のとほり」に「力いっぱいたゝかひます」という誓いの祈りである。この時の「マヂエル様」は天皇である。

 

(3)烏の大尉の戦闘修了後の「泪」は,憎んではいけなかった敵を殺してしまったことの強い「後悔」と烈しい「罪悪感」を伴った「泪」であり,敵を殺してしまった後の「マヂエル様」への「祈り」は「憎しみが生じない世の中」を願う「祈り」である。この時の「マヂエル様」は天皇ではなく「憎悪」の感情を消す能力を有するとされる観世音菩薩(観音様)である。

 

(4)烏の大尉の許嫁は敵側の山烏と同じ種族(先住民)として登場している。許嫁は山烏の文化よりも朝廷側の文化に憧れを持っている。許嫁が義勇艦隊の戦勝報告をする観兵式で流す「涙」は,同族が殺されたことへの「悲しみ」の「涙」である。

 

(5)許嫁は「さいかちの木」の梢で夢をみて「マヂエル様」と2回叫ぶ。最初の叫びは許嫁と大尉が空中から落下しているときで,許嫁が信仰している「神」に二人の幸いを願うものである。この時の「マヂエル様」は,許嫁と山烏(先住民)が信仰している「山の神」としての「熊神」(大熊座;Ursa Major)であろう。二人を落下させたものは,姿を現さないが大尉(あるいは皇軍としての義勇艦隊)に対して「疑い」と「反感」を示す山烏(「先住民」)の共同体意識(共同幻想)である。

 

(6)2回目の叫びは大尉が眼鏡をかけた山烏に夢の中で殺されるときで,このとき大尉(あるいは皇軍としての義勇艦隊)に対する山烏の反感意識は,棘のある「さいかちの木」の中で「鬼神」(魔神)となって姿を現した。

 

(7)烏の大尉に賢治自身も投影されているとすれば,戦闘終了後に流した「泪」は,天皇を中心として世界平和を構築しようとする国柱会の「天皇国家主義」の思想に対する決別を意味している。この時点で賢治は転向したのである。

 

(8)『烏の北斗七星』に挿入されている恋物語は,「移住者」の末裔としての賢治が執筆・推敲中に実際に体験した「先住民」と思われる女性との「悲恋」を題材にしている。また,登場する「桃」や「白百合の花」は大尉に愛されている若い許嫁の比喩として使われている。烏の大尉と許嫁の恋が周囲から反対されているのは(あるいは賢治の恋の破局には),大和朝廷およびそれに続く歴代の中央政権と「東北」の「先住民(蝦夷)」の長い間の対立が深く関与していると思われる。棘のある「さいかち」は鬼となった「蝦夷」の比喩である。また,この恋は賢治に転向を促した要因の1つと思われる。

 

引用文献

あきた森作り活動サポートセンター.2017(更新年).樹木シリーズ140 サイカチ(森と水の郷あきた.2020.12.21(調べた日付).http://aterui8.jp/history/info/aterui_info293.html

浜垣誠司.2014(更新年).宮澤賢治の詩の世界 産業組合のトラウマ?.2020.12.21(調べた日付).http://www.ihatov.cc/blog/archives/2014/08/post_808.htm

原 子郎.1999).新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

北村四郎・村田 源.1982.原色日本植物図鑑・木本編.保育社