宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

植物から宮沢賢治の『烏の北斗七星』の謎を読み解く(5)

 

5.恋物語

1)恋物語が挿入されているのはなぜか 

賢治が童話『烏の北斗七星』に恋物語を挿入したのは,賢治自身がこの童話の初稿を書いたとされる日(1921.12.21)からこの童話が掲載されている童話集『注文の多い料理店』の印刷(1924.11.10)までの間に恋と破局を経験していたことと関係があると思われる。

 

花巻の賢治研究家である佐藤(1984)によれば,恋人は,賢治と同じ花巻出身(賢治の家の近く)で,小学校の代用教員をしていていた。二人の出会いは,大正10年(1921)十二月の賢治と友人の藤原嘉藤治が開催したレコード鑑賞会で,恋人はこの鑑賞会に参加していたという。賢治より4歳年下の背が高く色白の美人であったという。かなり熱烈な恋愛であったらしい。

 

その後,宮沢家から相手側に結婚の打診がなされ,近親者の中には,二人の結婚を予想しているものも多かったという。しかし,両家の近親者達の反対もあり1年足らずで破局し,その後相手の女性は渡米(シカゴ)していて3年後に異国の地で亡くなっている。破局の理由はよく分かっていないが,著者は,賢治が「恋」よりも「みんなのさいはひ」を重視していたことと,両者の出自の違いや,それにともなう両家あるいは近親者達の歴史的対立が背景にあったことなどが原因と推測している(石井,2018,2019)。

 

賢治が投影されている〈烏の大尉〉は戦闘の前に,〈許嫁〉に「どんなことがあるかもわからない」から,その時は「おれとの約束はすっかり消えたんだから,外へ嫁ってくれ」と話し,〈許嫁〉を「それではあたし,あんまりひどいわ,かあお,かあお,かあお,かあお」と泣かしてしまう。〈許嫁〉からすれば,「どんなことがあっても必ず帰ってくる」という言葉を期待していたと思われる。大尉にとっては,「二人のさいはひ」よりも「みんなのさいはひ」のために戦場へ行く方が重要なのである。

 

また,賢治の家(あるいは一族)の祖先は公家侍で江戸中期の天和・元禄年間に京都から花巻に下ってきたとされる,いわば「移住者」の末裔である(畑山・石,1996)。〈坂上田村麻呂〉の一族も宮沢家の祖先と類似性が見られ,数朝に渡り宮廷警護に当たっていた者達である。一方,恋人の家(あるいは一族)は少なくとも宮沢一族の祖先が花巻に移住する前から住んでいた「先住民」の末裔と思われる。

 

天皇を中心とした中央政権と東北の「先住民」との対立は,前述したように朝廷側からすれば蝦夷征討とも呼ばれ,京都に都を置いた平安時代まで続く。さらに,その対立の影響は鎌倉,江戸時代の武家中心の時代および明治維新後の賢治の生きた時代にまで及んだ(梅原,2011;高橋,2012)。だから賢治は恋の破局の一因になったと思われる両家の対立と,その対立を引き起こす要因となった賢治の家の一族と「東北」に先住土着した人達(アイヌあるいは蝦夷)の歴史的ルーツに関する違いには並々ならぬ関心を寄せたと思われる。

 

賢治の作品には,童話『ガドルフの百合』や寓話『土神ときつね』のように,この対立をテーマにしているものも少なくない。例えば,後者の『土神ときつね』(1923)は,南から来たハイネの詩を読みライツの望遠鏡を自慢するよそ者の〈きつね〉が北の外れにいる土着の〈樺の木〉に恋をして受け入れられるが,東北方面からやってくる土着の神である〈土神〉がこれに嫉妬して〈きつね〉を殺してしまう物語である。寓話『土神ときつね』の土神(鬼神となった土着の神)を鼻眼鏡の山烏に,〈きつね〉(賢治)を大尉に,樺の木(恋人)を〈烏の大尉〉の〈許嫁〉に置き換えたのが童話『烏の北斗七星』に挿入された恋物語であろう。すなわち,童話『烏の北斗七星』は,延暦13年(794)の「蝦夷征討」と賢治の「恋愛体験」を題材に創作されたものと言える。

 

2)戦いが終わった後の桃の果汁のような陽の光と白百合の花は何を意味しているのか

戦闘後に朝日が山の雪に注がれる。物語では「桃の果汁(しる)のやうな陽の光は,まづ山の雪にいっぱいに注ぎ,それからだんだん下に流れて,つひにはそこらいちめん,雪のなかに白百合の花を咲かせました」と表現している。なぜ戦闘後の陽の光(朝日)を「桃の果汁」と表現するのだろうか。桃の果汁は,ピンク色あるいは薄赤い色をしている。

 

最初に,「桃の果汁のやうな陽の光は,まづ山の雪にいっぱいに注ぎ」という現象を科学的に解説してみる。これは,夜が明けきらない早朝に,山肌が太陽の光を受けてピンク色を帯びた明るい赤色に染まる現象(朝焼け)のことで,登山用語の1つである「モルゲンロート(morugenrot)」のことであろう。太陽が地平線から昇る直後で,山と太陽の間に空気の壁が一番長い状態のときに生じる。このとき波長の短い光は空気中の水蒸気や塵で屈折してしまうが,赤色やオレンジ色などの波長の長い光は屈折せずに山に届く。だから山肌が赤色に染まる。夕焼けも同じ現象だが朝焼けの方が薄くなり,桃の果汁のようなピンク色になることがある。

 

また,太陽が昇って時間が経過すれば「モルゲンロート」は終了し,山肌や雪原は「白百合の花」が咲いたように真っ白に輝くようになる。では,なぜこの「モルゲンロートという現象」を「桃の果汁のやうな陽の光」と表現したのであろうか。またなぜ太陽光で輝く山肌の雪や雪原を「白百合の花」と表現したのであろうか。多分,この表現は烏の大尉が戦闘後に許嫁の元に無事帰還してきたことと関係がありそうである。

 

「桃の果汁」は,詩集『春と修羅』の「有明」(1922.4.13)という詩にも「桃の漿」という表現で出てくる。「起伏の雪は/あかるい桃の漿(しる)をそそがれ/青空にとけのこる月は/やさしく天に喉を鳴らし/もいちど散乱のひかりを呑む」とある。上記引用文とこの詩に共通するのは,雪で白くなった山や丘が薄赤く染まっていることである。血色が良く柔らかで豊満な女性の肌がイメージされているように思える。詩「有明」は,詩集『春と修羅』の中の「いったいそいつはなんのざまだ/どういふことかわかってゐるのか/しんとくちをつぐむ/ただそれつきりのことだ/(中略)/頬がうすあかく瞳の茶いろ/ただそれつきりのことだ」と歌った恋歌「春光呪詛」(1922.4.10)の次の作品として紹介されている。多分,色白だった賢治の恋人と関係があるかもしれない。

 

恋人の瞳を茶色と認識するにはかなり接近しないと分からない。また,「頬がうすあかく」の「うすあかく」は「桃」の果汁の色でもある。新宮澤賢治語彙辞典』でも,「桃の果汁」や「桃の漿」は,色彩的で肉感的な比喩として使われているとある(原,1999)。

 

童話『烏の北斗七星』における戦闘後の「桃の果汁のやうな陽の光は,・・・雪のなかに白百合の花を咲かせました」という「桃の果汁」を使ったエロスの臭いを放つ官能的な文章は,賢治以外の作品の中にも見ることができる。俵万智の第三詩集『チョコレート革命』に「水密桃(すいみつ)の汁すうごとく愛されて 前世の我は女と思う」という短歌がある(俵,1997)。「水密桃」は桃の栽培品種の1つであるが,この言葉に甘い恋愛生活が象徴されている。みずみずしい桃の汁を吸うごとく熱烈に愛されることが女性の幸せであるというのが,俵万智が詠んだ短歌の意味であろう。童話『烏の北斗七星』の上記引用文もほぼ同じ意味と思われる。

 

許嫁は大尉が危険な戦争から無事に自分の所へ戻って来たことから,「愛されていること」を実感し,その夜は悦びの中で情交に及んだのかもしれない。

 

中国では,「桃」は「邪鬼」を払うものとされてきたが,女性の嫁入りの時に歌われる詩の中にも登場してくる。中国最古の詩集『詩経』に収められている詩「桃夭(とうよう)」である。この場合の「桃」は若い花嫁の比喩で,「夭」はみずみずしいという意味。4句ずつ3連からなる詩で,第1連には「桃の夭夭(ようよう)たる/灼灼たる其の華/之の子于(ゆ)き帰(とつ)ぐ/其の室家に宜しからん」(みずみずしい桃よ/花は華やかに/娘は嫁に行く/きっと嫁ぎ先のよい嫁になるだろう)とある。また,中国では「桃」は妊娠初期の「つわり」の苦痛を癒す果物として使われていたらしい(有岡,2012)。

 

「白百合」は,童話『ガドルフの百合』では賢治の恋人の色白だった恋人の比喩として使っている。『烏の北斗七星』に登場する「白百合」も賢治の恋人を投影させた大尉の許嫁のことで,「白百合」の花が咲くとは大尉の許嫁の情交における悦びを表現したものであろう。

 

3)大尉の許嫁の泪の意味

〈烏の新しい少佐〉(元は大尉)が戦勝報告の観兵式で「マヂエル様」に「みんなのほんたうのさいはひ」を祈った後に,少佐の〈許嫁〉は声で泣くのではなく「涙」を流して泣く。

 美しくまっ黒な砲艦の烏は,そのあひだ中,みんなといっし ょに,不動の姿勢を とって列びながら,始終きらきらきらきら涙をこぼしました。砲艦長はそれを見ないふりしてゐました。あしたから,また許嫁といっしょに,演習ができるのです。たびたび嘴を大きくあけて,まっ赤に日光を透かせましたが,それも砲艦長は横をむいて見逃してゐました。        (宮沢,1985)下線は引用者

 

 この「涙」は何を意味しているのか。「なみだ」に使っている漢字が〈烏の新しい少佐〉のは「泪」であるが〈許嫁〉のは「涙」と異なるのもヒントになっているのかもしれない。少佐の「泪」は敵を殺してしまったことの「後悔」と「自責」を意味していたが,〈許嫁〉の「涙」は種を同じにする烏(同じ民族)が殺されたことの「悲しみ」を意味していると思われる。多分,〈許嫁〉の烏は少佐に敵対する「山烏」と同種(あるいは同じ民族)である。

 

童話『烏の北斗七星』に登場する「カラス」は「ハシボソガラス」と「ハシブトガラス」の2種と言われている(国松・藪内,1996;赤田・杉浦・中谷,1998)。烏の義勇艦隊で大砲を装備する大多数の艦は「があがあ」と鳴くので「ハシボソガラス」と思われる。また,「山烏」は「山」に生息していることを示唆する「山」が付いているので,筆者はこの「山烏」は「ハシブトカラス」と思っている。

 

ただ,研究者によっては,「山烏」が「ハシブトガラス」だとする解釈に疑問を呈するものもいる。「山烏」は嘴(くちばし)が太いのが特徴であるが,物語で〈烏の大尉〉が〈許嫁〉に「山烏」は「目玉が出しゃばって,嘴が細くて,ちょっと見掛けは偉そうだよ。」(傍線は引用者)と言っているからである。しかし,これは語り手の説明ではなく,〈烏の大尉〉の言葉である。嘘を言っているのかもしれない。童話『烏の北斗七星』(1921)に登場する烏の艦隊と登場する烏の種および植物の関係は第2表にまとめた。

 

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蝦夷征討軍には,新しく寝返ってきた2人の蝦夷の部族長意外に,過去に寝返った「蝦夷」や積極的に同化しようとした「俘囚(ふしゅう)」の戦士もいると思われる。賢治が物語で山烏側から入隊してきた烏を義勇軍の中に配置していてもおかしくはない。特に砲艦隊の中に入れた可能性がある。砲艦は戦時に敵艦と戦うというよりは平時の河川や沿岸の警備任務に重きを置くもので,土地勘のある山烏を砲艦隊に配属することは理に合っている。そして,その1艦が砲艦隊所属の〈許嫁〉であったのかもしれない。

 

〈許嫁〉は「かおかお」と鳴くので「ハシブトガラス」であろう。すなわち,義勇艦隊は混成部隊である。多分,〈烏の大尉〉は〈許嫁〉が敵である山烏と同じ出身であることを自覚させないように嘘をついたと思われる。だから,〈許嫁〉は観兵式で敵の死骸を見たとき,敵と自分が同じ種(民族)であることを否応なく自覚させられ,同族が殺されたということで涙を流したのである。「涙」に「きらきらきらきら」と形容詞が付くのは〈烏の新しい少佐〉が恋人と同種(民族)の敵を丁重に葬ったからとも思える。また,砲艦長も山烏と同族と思われるから〈烏の新しい少佐〉の〈許嫁〉の「涙」に「見ないふり」をしたのだと思う。

 

また,砲艦長は〈烏の少佐〉の〈許嫁〉がまた一緒に演習できると喜んでいる姿にも「見ないふり」をする。多分,砲艦長あるいは義勇艦隊の多くが二人の関係について快く思っていないからであろう。駆逐艦隊の兵曹長は,戦闘前に〈許嫁〉と一緒に居る〈烏の大尉〉に「首をちょっと横にかしげ」て挨拶をしているが,これは,〈烏の大尉〉が敵側の女性を許嫁にしていることに違和感を持っているからであろう。

 

4)大尉の許嫁の「マヂエル様」という叫び

 〈烏の大尉〉の〈許嫁〉は戦いの前夜に「さいかちの木」の梢の中で次から次といろいろな夢を見るが,その夢の中で「マヂエル様」と2回叫ぶ。この叫びは〈大尉〉には「祈り」と認識されている。

 烏の大尉とたゞ二人,ばたばた羽をならし,たびたび顔を見合せながら,青黒い夜の空を,どこまでもどこまでものぼつて行きました。もうマヂエル様と呼ぶ烏の北斗七星が,大きく近くなつて,その一つの星のなかに生えてゐる青じろい苹果の木さへ,ありありと見えるころ,どうしたわけか二人とも,急にはねが石のやうにこはばつて,まつさかさまに落ちかゝりました。マヂエル様と叫びながら愕いて眼をさましますと,ほんたうにからだが枝から落ちかゝつてゐます。急いではねをひろげ姿勢を直し,大尉の居る方を見ましたが,またいつかうとうとしますと,こんどは山烏が鼻眼鏡などをかけてふたりの前にやつて来て,大尉に握手しようとします。大尉が,いかんいかん,と云つて手をふりますと,山烏はピカピカする拳銃(ピストル)を出していきなりずどんと大尉を射殺し,大尉はなめらかな黒い胸を張つて倒れかゝります。マヂエル様と叫びながらまた愕いて眼をさますといふあんばいでした。

 烏の大尉はこちらで,その姿勢を直すはねの音から,そらのマヂエルを祈る声まですつかり聴いて居りました。                                    

                      (宮沢,1985)下線は引用者

 

〈烏の大尉〉が祈った「マヂエル様」は「上官(天皇)」であり,少佐に昇進した後には「観世音菩薩(観音様)」に変わったが,〈許嫁〉が叫ぶ「マヂエル様」とは何か。〈烏の大尉〉が「マヂエル」と「様」をつけずに呼び捨てにしているので,「上官(天皇)」でも「観音様」でもない。〈烏の大尉〉にとっては〈許嫁〉の叫ぶ「マヂエル様」は忌み嫌うものでもある。

 

夢の中で〈許嫁〉の最初の叫びは,二人が度々見つめ合いながら青黒い夜の空を上っていった後,急に落下し始めるときである。

 

この場面は童話『双子の星』で,仲睦まじく水晶のお宮で暮らす〈チュンセ童子〉と〈ポウセ童子〉が「空の彗星(あだ名は空の鯨」に天の川の「落ち口」に落とされる場面に類似している。『双子の星』では,「二人は落ちながらしっかりお互いの肱をつかみました。この双子のお星様はどこ迄でも一緒に落ちようとしたのです。」とある。「お互いの肱をつかむ」という行為はお互いに抱きあっているようにもとれる。著者は『双子の星』の〈チュンセ童子〉に賢治が〈ポウセ童子〉に賢治の恋人が投影されていると考えている。そして二人を落としたまっ黒で巨きな「空の鯨」は,鯨の形と地形が類似している「北上山系」に住む「蝦夷(エミシ)」の賢治(あるいは宮沢一族)に対して「疑い」と「反感」を示す共同体意識である(石井,2018)。多分,『烏の北斗七星』でも〈烏の大尉〉と許嫁を落下させたのはこの「まっ黒で巨きなもの」であろう。

 

〈烏の大尉〉の〈許嫁〉が見た夢の中で叫ぶ「マヂエル様」はこの「まっ黒で巨きなもの」と関係がある。北上山系に住む「蝦夷」にとって最も尊いもの,すなわち神とは何であろうか。古代蝦夷はアイヌ語(あるいはそれに類した言語)を話すので,アイヌ語で北極星,北斗七星そして「山の神」について調べてみる。 

 

北海道(「蝦夷(エゾ)」)の「アイヌ」は,北極星を「poro nochiu・ポロノチウ」あるいは「poro keta・ポロケタ」と呼んでいたという。いずれも偉大な星という意味である。北斗七星は,「chi nukar kur・チヌカラクル」,「chi nukar kamui・チヌカルカムイ」と呼ばれていた(野尻,1941)。後者は「吾々が・見る・神」という意味である。「kur」も本来は人とか男という意味であるが,「神」という意味に用いることも多いという。例えば「nupuri noshike un kur」は「山の中央の神=熊神」のことで「chi nukar kur」と「chi nukar kamui」は同義であるという。

 

 山の神は,アイヌ語で「kim un kamui・キンムカムイ」(山にいる神の意味)と呼ばれている。熊(ヒグマ:Ursus arctos)のことである。「アイヌ」は動植物などあらゆるものに「神」(カムイ)が宿っていると考えているが,特に熊は最も重要な「神」と考えている。バチラー(1993)によれば,「熊祭(イオマンテ)」では小熊が殺されると,直ちに「chinu kara kamui(チヌ・カラ・カムイ)」と名付けられ,その「魂」は母熊やその祖先が住んでいる北極星(大熊座)へいくと信じられているという。「熊祭」に参加している首長や古老達が,北極星(あるいは大熊座)に向かって矢を放つのは,この小熊の「魂」への別れの挨拶とされている。「東北」の「またぎ」も熊は「山の神」からの授かり物と認識していた。

 

 すなわち,〈烏の大尉〉の〈許嫁〉が夢の中で叫ぶ「マヂエル様」は,北上山系(鯨)で最も重要な神である「山の神」としての「熊神」(大熊座;Ursa Major)のことである。「まっ黒で巨きなもの」は〈許嫁〉が敵側の〈烏の大尉〉に恋をしたことに怒って,〈許嫁〉の夢の中に出て来たのであろう。そして〈許嫁〉は「熊神」の「マヂエル様」に助けを求めたのかもしれない。

 

〈許嫁〉は夢の中で北斗七星が見える北の空に向かって〈烏の大尉〉と一緒に飛び立つ。だから〈許嫁〉は「山の神」がいる「北上山系の山々が,大きく近くなつて,その一つの山(星)のなかに生えてゐる青じろい苹果の木さへ,ありありと見えるころ」へ行けるのである。しかし,二人の関係を妨害する「まっ黒で巨きなもの」が二人を落としてしまう。

 

〈許嫁〉の見た夢は,根拠が弱いかもしれないが,賢治と恋人の「苹果(りんご)」と関係する旅行体験に基づいていると思われる。賢治研究家の米地(2019)は,二人の逢瀬の場所の一つとして「リンゴ」の産地である青森県の陸奥湾に面した浅虫温泉を候補にあげている。この時の様子を詠んだ詩も残されている。詩集『春と修羅 第二集』のアイルランド風というメモ書きのある「島祠」(1924.5.23)には,「鷗の声もなかばは暗む/そこが島でもなかったとき/そこが陸でもなかったとき/鱗をつけたやさしい妻と/かつてあすこにわたしは居た」とある。「前世」では海の底で「人魚」(妖精;Nymph)の妻と結婚していたかもしれないという切ない恋歌である。

 

今でも,浅虫温泉から見える湯ノ島には弁財天を祀る祠がある。「島祠」を書いた日付は恋人が渡米する3週間前である。恋人を「妖精」の「人魚」に喩えたのは,恋人が蕎麦屋を営む実家の手伝いをしていて手が魚の鱗のように荒れていたからだという。物語に挿入された恋物語は,賢治と「東北」の「先住民」である恋人との「恋」が特に恋人側の近親者達の反対などがあって破局したという賢治の悲恋体験と類似している。(続く)

 

引用文献

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バチラー,J.(仁多見巌・飯田洋右訳).1993.わが人生の軌跡-ステップス・バイ・ザ・ウエイ.北海道出版企画センター.

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畑山 博・石 寒太.1996.宮沢賢治 幻想紀行.求龍堂グラフィックス.

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石井竹夫.2019.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-アワとジョバンニの故郷(前編・後編)-.人植関係学誌.18(2):53-69.

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高橋 崇.2012.蝦夷(えみし) 古代東北人の歴史.中央公論新社.

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