宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『氷河鼠の毛皮』考 (2) -タイチとは何者か-

この物語は〈船乗りの青年〉と〈月〉との悲恋物語を主要テーマにしているのではない。この物語の主人公は〈タイチ〉である。本稿では,〈タイチ〉が何者で,〈船乗りの青年〉とどのような関係があるのかを考察する。

 

最初に結論を述べる。〈タイチ〉のモデルは父・政次郎である。根拠は以下の通り。

 

1.〈タイチ〉は父・政次郎がモデルである

〈タイチ〉は,元気そうな顔の赤い肥った紳士でアラスカ金の大きな指輪をはめ,十連発のぴかぴかする鉄砲を持っている。また,自分では「わしはねイーハトヴのタイチだよ。・・・こんな汽車へ乗るんぢやなかつたな。わしの持船で出かけたらだまつて殿さまで通るんだ。」と言っている。また,〈タイチ〉は貧しそうな〈船乗りの青年〉を気にかけていて,なんども自分が持っている外套を貸そうとしている。すなわち,〈タイチ〉はイーハトヴでは「裕福」であり,「殿さま」とも呼ばれ,貧しそうな〈船乗りの青年〉を援助しようとしているキャラクターとして登場する。

 

物語には〈タイチ〉がどのくらい「裕福」であるのかが記載されている。

 

引用文C

まん中の立派な紳士もまた鉄砲を手に持つて何か考へてゐます。けれども俄(にはか)に紳士は立ちあがりました。鉄砲を大切に棚(たな)に載せました。それから大きな声で向ふの役人らしい葉巻をくはへてゐる紳士に話し掛けました。

『何せ向ふは寒いだらうね。』

 向ふの紳士が答へました。

『いや,それはもう当然です。いくら寒いと云つてもこつちのは相対的ですがなあ,あつちはもう絶対です。寒さがちがひます。』

『あなたは何べん行つたね。』

『私は今度二遍目ですが。』

『どれ位ご支度(したく)なさいました。』

『さあ,まあイーハトヴの冬の着物の上に,ラツコ裏の内外套ね,海狸(びばあ)の中外套ね,黒狐(くろぎつね)表裏の外外套ね。』

『大丈夫でせう,ずゐぶんいゝお支度です。』

『さうだらうか,それから北極兄弟商会パテントの緩慢燃焼外套ね………。』

『大丈夫です』

それから氷河鼠(ひようがねずみ)の頸(くび)のとこの毛皮だけでこさへた上着ね。』

『大丈夫です。しかし氷河鼠の頸のとこの毛皮はぜい沢ですな。』

『四百五十疋(ぴき)分だ。どうだらう。こんなことで大丈夫だらうか。』

『大丈夫です。』

『わしはね,主に黒狐をとつて来るつもりなんだ。黒狐の毛皮九百枚持つて来てみせるといふかけをしたんだ。』

『さうですか。えらいですな。』

                (宮沢賢治,1986)下線は引用者,以下同じ

 

〈タイチ〉はイーハトヴで生活するにあたって冬であれば「冬の着物」だけで十分であるはずなのに,これ以外にラッコ裏の内外套,海狸の中外套,黒狐表裏の外外套を所有し,さらに北極兄弟商会パテントの緩慢燃焼外套と450匹分の氷河鼠から頸の毛皮だけで作った上着を所有している。そして,さらに黒狐の毛皮九百枚を作るために900匹の黒狐を殺そうとしている。このように〈タイチ〉は,日常生活では必ずしも必要としない贅沢品を外套だけでもたくさん持っている。〈タイチ〉はイーハトヴではかなり裕福といえる。

 

さらに,「殿さま」や「援助」という言葉も,〈タイチ〉が誰であるのかを知る手がかりとなりそうだ。前稿で〈船乗りの青年〉には賢治が投影されていると述べた。エッセイストの澤口たまみ(2021)は〈船乗りの青年〉には賢治が,そして〈タイチ〉は賢治の恋敵と推測している。私は前述したように別の解釈をしている。「裕福」で,「殿さま」と呼ばれていて,賢治を直接援助している者は父・政次郎くらいしかいないように思える。童話『シグナルとシグナレス』では〈鉄道長〉に父・政次郎が投影されていた。

 

賢治の父方と母方の両方とも,江戸中期の天和元禄年間に京都から花巻に下ってきたとされる藤井将監を始祖としている。この子孫が花巻で商工の業に励んで宮沢まき(一族)と呼ばれる地位と富を築いていった。そして,賢治の父・政次郎は,宮沢まきの一人である父方の祖父・喜助の質・古着商の家業を引き継いだ。質・古着商とは,貧しい庶民や農民たちに高利で金を貸し,質草にとった古着などを,別の農民などに売るというものである。この家業は,のちに賢治の心に重苦しい嫌悪を抱かせた(畑山・石,1996)。大正9(1920)年2月頃親友の保阪嘉内に宛てた手紙に,質店の様子について「古い布団綿,垢(あか)がついてひやりとする子供の着物,うすぐろい質物,凍ったのれん,青色のねたみ,乾燥な計算,その他・・・」(書簡159;宮沢,1986)と記載している。「青色のねたみ」とは質草を持ってきた農民のものであろう。

 

さらに,父・政次郎は質草の古着だけでなく関西・四国まで足を伸ばして古着(流行遅れの新品など)を買い占め,日詰などの近郷の古着屋に卸売りをしたりして財を増やしたという。商売の仕方であるが,宮沢家は,古着を2円以上買ってくれる上客には,座敷にあげ酒肴(さけさかな)でもてなした。第一次世界大戦の景気上昇期には株式投資にも才を発揮した。また,資産家の常として地主であり,また町会議員を務めたこともあった(吉見,1982;板谷,1992;宮沢,2001;鈴木,2013)。政次郎の大正5年の所得納税額(13万円)は花巻で11番目である。宮沢家は花巻ではかなり「裕福」で名も知られている。

 

賢治の家は,財を増やすためには自分の家から出る下肥(人の糞尿)までも金にしていた。これは宮沢家に限ったことではないが,肥料としての下肥を農民へ出し,その代価として金や米を受け取っていた。賢治はこのことに憤慨して,自分の家の糞尿は無料で農民に与えるべきだと祖父を責めたこともあったという(吉見,1982)。戦前,人糞は四斗樽大(約72リットル)の肥桶2本米7升(約10kg)を払うのが通例であった。賢治は,「桜」(羅須地人協会時代)の住居に住んでいた頃,農民が下肥代金を払うのは,「その家から借金をしているからで,<肥やし代金をまけろ>とか<無料(ただ)にしろ>とか言えば,借金の方を催促されるからだ」と話していたという(佐藤,1994)。

 

父・政次郎が地元で「殿さま」と呼ばれていた可能性も否定できない。「殿(との)」は,貴人を敬って言う代名詞である。特に近代以前では公家や武士は相手を呼ぶときに,名前ではなく官職名や相手の邸宅がある地名に「殿」をつけることが多かったという。また,有力豪農の隷属下にある人たちが主人を「殿」,子弟を「若殿」と呼ぶこともあった(Wikipedia)。

 

賢治の口語詩稿「地主」(制作年不明)に「この山ぎはの狭い部落で/三町歩の田をもってゐるばかりに/殿さまのやうにみんなにおもはれ/じぶんでも首まで借金につかりながら/やっぱりりんとした地主気取り」という詩句がある。この小地主のモデルは,賢治研究家の吉見(1982)によれば,賢治と小学校時代同級であった,笹間村横志田(現在の花巻市横志田)の高橋耕一だという。高橋の家が元武士だったのかは分からないが,イーハトヴでは三町歩の田を持っていれば「殿さま」と思われたようだ。

 

政次郎は賢治の叔父・宮沢善治には遠く及ばないものの10町歩(10万平方メートル;東京ドーム2個分)ほどの小作地を所有していたという(鈴木,2013)。昭和2(1927)年頃,賢治は家に出入りする小作人たちに接触して,その一人である佐々木半右衛門に「しばしば」「おれの代になったら土地は全部ただでけるから,無理に借金などして買う気をおこすな。ただ,このことは親には内緒にしてけろ」と「土地解放」を名言したという半右衛門の息子の証言がある。これは,賢治が何か稲作指導をしているときに小作人が「それにしても小作料が1段歩(約1千平方メートル)で一石(2俵分)もとられるのはゆるくながんス」と言ったのに対しての返答だったという(吉見,1982)。

 

賢治は小作人たちに「しばしば」話したとあるので,昭和2年以前にも他の小作人に言っていた可能性はある。当時の収穫髙は1段歩で2石も取れれば良い方だった。すなわち,宮沢家は10町歩ほどの土地を所有していて小作人から収穫の半分は小作料として取っていたということになる。すなわち,賢治の父・政次郎は公家侍の血を受け継ぐ地主であったわけで,小作人から実際に「殿さま」と呼ばれていたかどうかは定かではないが,「殿さま」のように皆に思われていた。と推測できる。

 

また,童話『シグナルとシグナレス』で賢治が投影されている〈シグナル〉は〈本線シグナル附き電信柱〉から「若さま」と呼ばれていた。父・政次郎が〈タイチ〉のモデルになっている可能性は十分にある。

 

当時,「東北」の小作農の暮らしは楽なものではなかった。過酷な凶作,冷害,旱魃などが襲ってくれば,来る年もまた次の年も,借金に追われる生活だった(吉見,1982)。

 

このように,宮沢家は質・古着商,下肥料徴収そして小作料徴収と,貧しい農民から取れる物はほとんど全て取っていたように思える。賢治は,これら商売のやり方をひどく嫌っていたので,童話『氷河鼠の毛皮』では〈タイチ〉に父親を重ね,〈タイチ〉が通常の冬用衣服以外にラッコ裏の内外套,海狸の中外套,黒狐表裏の外外套,さらに北極兄弟商会パテントの緩慢燃焼外套と450匹分の氷河鼠の頸のところの毛皮だけで作った上着を所有していると父親を皮肉ったのであろう。

 

2.〈船乗りの青年〉は貧しかった賢治がモデルである

〈船乗りの青年〉は,冬なのに植物繊維で編まれた帆布の上着1枚しか着ていない。とても貧しい青年として描かれているように思える。前稿で〈船乗りの青年〉には賢治が投影されている可能性があることを述べた。実際,賢治は童話『氷河鼠の毛皮』を執筆していた頃,貧しかったのだろうか。

 

賢治は花巻農学校の教師時代,はじめ80円,後に120円の給与を貰っていた。当時,二食付きの下宿代が月15円という時代であったので,80円という金額はかなりの高給である。賢治はこの給料をレコード,浮世絵,高額な書物あるいは母親への贈り物などの購入に当てていたと思われるが,すぐに「貧しい人たち」のために使いはたし,3日とはもたなかったことが多かったという(板谷,1992)。「3日ともたなかった」の根拠は分からないが,同寮の堀籠文之進も「給料のほとんどレコードと本を買うので,なくなり,残すなどという経済的なことなどは考えないようでした」と述懐している(森,1983)。後年,父・政次郎は賢治の友人である森荘已池(1983)に「あれにとっては,三円も三十円も三千円も,金というものはみなおなじで,自分の持っているだけ,人にやってしまうという性質(たち)でした」と話したという。なお,賢治の給料で買った母への贈り物は10円の角巻であった(森,1983)。

 

具体的にこんな逸話が残されている。賢治には農学校時代の同寮で小学校の同級でもあった奥寺五郎がいた。奥寺は母親と二人暮らしで,学歴の関係で正式の教諭ではなく,給料も後から入ってきた賢治よりも少ない助教諭心得として養蚕と事務を担当していた(50円ほどだったらしい)。奥寺が二十代半ばで結核に罹患し,退職後仙台の病院で療養することになったとき,賢治は土曜日から日曜日にかけて行けるときは毎週のように仙台に見舞いに行き,自分の給料から30円を奥寺に送ったという。初めは奥寺も賢治の真意を疑って憤慨もしていたが,亡くなる頃は感謝していたという(同寮・堀籠文之進の話として;森,1983)。この件については,賢治の親友であった医師の佐藤(1994)が,著書の中で「賢治は,奥寺に初め20円か30円であったが,後になって毎月50円ずつ1年間あげていた。この時賢治の給料は100円だったので,その半分を経済的に困窮していた友達に送っていたことになる。また,賢治は金の受け取りに難色を示す奥寺に配慮して,途中から金の差出人を同寮の堀籠に変更した」とも記載している。

 

また,賢治には貧しそうな身の上話をするウエイトレスがいると,すぐに有り金残らずやってしまうというようなこともやっていたようだ。当時,一緒にあちこち食べ歩いていた親友の藤原嘉藤治は,そのような場面を何度も出くわしていたという。例えば,ある温泉の飲み屋で嘉藤治は酒を飲み,賢治はサイダーを飲んでいたとき,お酌をしていた女が身の上話をした。これを聞いていた賢治は女に同情し,普通チップは50銭ぐらいが相場なのに,気前よく10円を払ったという(森,1983;堀尾,1991;板谷,1992)。

 

極めつきは,この童話が新聞に発表されて4か月の樺太旅行の帰りにあった。友人が料亭に賢治を招待し,芸者を呼んで飲めや唱えの大宴会となったのだが,なにも芸がない賢治は有り金残らず祝儀として芸者にやってしまったというのである(板谷,1992)。賢治にとって「身の上話をするウエイトレス」や「芸者」は貧しい農民の出身だったからであろう。これは,大正9(1920)年末頃の話だが,賢治が質屋の店番をしていたとき,質草としては値もないようなものを持って金を借りに来る者に対して,借りての望むだけの金を父親に相談もせずに貸してやったというエピソードもある(佐藤,1994)。

 

賢治は,お金がなくなると妹(クニ)からも借りていた。ただ,その金も自分のためでなく貧しい自分の生徒のために使ったのだという。賢治は一人一人の生徒の性格や家庭の事情までよく把握していて,修学旅行や岩手山登山のときなど,経済的に参加できない生徒にはそっと援助の手をさしのばしたことも何度かあったという(板谷,1992)。

 

賢治は童話『氷河鼠の毛皮』を執筆していた頃,高額の給料を貰っていたがその多くを貧しい者たちに与えてしまっている。賢治は実家に住んでいたので衣食住には困らなかったと思われるが,所持金はあまり持っていなかったように思われる。すなわち,賢治は〈船乗りの青年〉と同様に童話執筆時は貧乏であったと思われる。

 

3.〈タイチ(=父・政次郎)〉と〈船乗りの青年(=賢治)〉の関係

〈タイチ〉は〈船乗りの青年〉を気にかけていて「援助」しようとしている。

 

引用文D

『君,おい君,その窓のところのお若いの。失敬だが君は船乗りかね』

 若者はやつぱり外を見てゐました。月の下にはまつ白な蛋白石(たんぱくせき)のやうな雲の塊が走つて来るのです。

『おい,君,何と云つても向ふは寒い,その帆布一枚ぢやとてもやり切れたもんぢやない。けれども君はなか/\豪儀なとこがある。よろしい貸てやらう。僕のを一枚貸てやらう。さうしよう』

 けれども若者はそんな言(げん)が耳にも入らないといふやうでした。つめたく唇を結んでまるでオリオン座のとこの鋼いろの空の向ふを見透かすやうな眼をして外を見てゐました。

ふん。バースレーかね。黒狐だよ。なかなか寒いからね,おい,君若いお方,失敬だが外套を一枚お貸申すとしようぢやないか。黄いろの帆布一枚ぢやどうしてどうして零下の四十度を防ぐもなにもできやしない。黒狐だから。おい若いお方。君,君,おいなぜ返事せんか。無礼なやつだ君は我輩を知らんか。わしはねイーハトヴのタイチだよ。イーハトヴのタイチを知らんか。こんな汽車へ乗るんぢやなかつたな。わしの持船で出かけたらだまつて殿さまで通るんだ。ひとりで出掛けて黒狐を九百疋とつて見せるなんて下らないかけをしたもんさ』

                            (宮沢賢治,1986)

 

この童話で〈タイチ〉は繰り返し〈船乗りの青年〉に「服を貸してやろう」と言っている。では,父・政次郎はどうであったのか。賢治の友人であった医師の佐藤隆房(1994)によれば,当時の父は賢治に「服を貸した」というよりは「金を貸して」やったり「足が地に着いたこと」をやるように諭したりしていたという。

 

例えば,父・政次郎は,賢治の経営能力や理財の才能の無さ,あるいは地に着かず空想のみで邁進している姿を心配し,賢治に「いずれ財政を乱して一家はつぶれ,一族は四散する憂き目を見るようになるから,賢治,お前もそのほうに心を入れて下宿料のつもりでいくらか入れてはどうだ」と諭したという。賢治は「はあ」と我関せずといったような返事をしたようだが,実際は金をいれるどころか,何時も空財布を持っているにすぎない有様で,時々は父・政次郎から金を借り出す始末だったという(佐藤,1994)。ただ,佐藤の著書にはそう記載されているが,賢治がかなりの額の収入があったのにも関わらず,さらに嫌悪する家業による金を借りるというのは考えにくい。

 

また,「賢治,お前の生活はただ理想をいってばかりのものだ。宙に浮かんで足が地に着いておらないではないか。ここは娑婆だから,お前のようなそんなきれい事ばかりで済むものではない。それ相応に汚い浮世と妥協して,足を地に着けて進まなくてはならないのではないだろうか」と教えたり,頼んだりしていた。そして,賢治は「はあ」と返事をしたのだという(佐藤,1994)。

 

さらに,父が「お前の書くものなどは,唐人のネゴトだ。チンプンカンプンだ」,「文学をやりたいなら,本屋にいって,いまどういう本がよく売れているか,よく調べるんだナ」と言うと,賢治は「お父さんの信仰する真宗は,全く無気力そのものです」,「財産とか地位などは三文の値もない」と父の世俗の成功を否定していた(森,1983)。

 

ただ,父は賢治を批判しているだけではない。多分,羅須地人協会時代だと思われるが,父は賢治に「お前は,いましている農村相手のことなどは,裸のままで,がつがつした岩へ,われとわが身を,ぶっつけていることと,少しもちがわないことだ。自分がひどく傷ついて死ぬだけだ」と諭したともいう(森,1983)。

 

これらは,童話『氷河鼠の毛皮』の〈タイチ〉が「黒狐」の毛皮を貸そうといったときの,〈タイチ〉と無愛想な〈船乗りの青年〉の関係に似ている。父・政次郎と賢治は,この物語を執筆していた頃家業と宗教で激しく対立していた。しかし,賢治の伝記を読む限り,父は賢治の行く末をとても心配していたことは確かである。

 

童話『氷河鼠の毛皮』に登場する〈船乗りの青年〉と〈タイチ〉には賢治と父・政次郎が投影されているように思える。当時実在した人物と童話『やまなし』,『氷河鼠の毛皮』,『シグナルとシグナレス』に登場するキャラクターたちの相関を第1表にあげておく。次稿へ続く。

 

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参考・引用文献

畑山 博・石 寒太.1996.宮沢賢治幻想旅行.求龍堂グラフィックス.

堀尾青史.1991.年譜宮澤賢治伝.中央公論社.

板谷栄城.1992.素顔の宮澤賢治.平凡社.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集8.筑摩書房.

宮沢賢治.2001.新校本宮澤賢治全集第十六(下)補遺・資料 年譜篇.筑摩書房.

森 莊己一.1983.宮沢賢治の肖像.津軽書房.

佐藤隆房.1994.宮沢賢治-素顔のわが友-.桜地人館.

鈴木 守.2013.宮澤賢治の里より-宮澤一族は超大地主揃いhttps://blog.goo.ne.jp/suzukikeimori/e/ac8437b1d1ea5247389e7c35a9ff1875

吉見正信.1982.宮沢賢治の道程.八重岳書房.

童話『氷河鼠の毛皮』考 (1) -青年はなぜ月に話かけているのか-

童話『氷河鼠の毛皮』は,大正12(1923)年4月15日に地方紙である岩手毎日新聞の三面に掲載されたものである。この童話はイーハトヴ発ベーリング行きの最大急行列車の車内で〈タイチ〉という裕福な紳士が〈熊のやうな人たち〉に襲われるが,その列車内に偶然乗り合わせた青年に助けられるという物語である。この童話は同じ新聞に発表された童話『やまなし』(1923.4.8)の1週間後に,また童話『シグナルとシグナレス』(1923.5.11~23)の1か月前に発表されたものでもある。3つの童話は同じ地方紙にほぼ同時に発表されているので,内容も密接に関係していると思われる。

 

童話『シグナルとシグナレス』は,本線の金(かね)でできた信号機〈シグナル〉と軽便鉄道の女性名である木でできた信号機〈シグナレス〉の結婚が〈シグナル〉の近親者である〈本線シグナル附き電信柱〉,〈鉄道長〉,〈本線の電信柱〉によって反対されるというものである(石井,2022a)。この物語は上野から北の盛岡へ鉄道設置が進行した東北本線と岩手県の北上山系を横断する在来線である岩手軽便鉄道が舞台になっている。また,童話『やまなし』は谷川の移入種と思われる〈鉄色の魚〉が在来種と思われる〈クラムボン(=カゲロウの幼虫)〉に求婚しようとするが妨害されてしまうというものである(石井,2021,2022b)。

 

童話『シグナルとシグナレス』と童話『やまなし』に共通するのは,南から来たものたちと先住のものたちの対立が原因で結婚が破綻に向かうということである。また,両童話に登場するキャタクターである〈シグナル〉と〈鉄色の魚〉,〈シグナレス〉と〈クラムボン〉には賢治と大正11(1922)年に相思相愛だった恋人が投影されているのも共通している(石井,2022b)。

 

本稿(1)では童話『氷河鼠の毛皮』が童話『シグナルとシグナレス』や童話『やまなし』と同様に悲恋物語であるのかどうか,そしてこの童話に登場する人物にも賢治,恋人あるいは近親者たちが投影されているのかどうか検討する。次稿(2)は「タイチは誰がモデルになっているのか」について,次次稿(3)は「熊のやうな人たちとは何者か」について,次次次稿(4)は「先住していた者たちの止むに止まれない反感」について検討する。

 

1.舞台と登場人物

舞台はイーハトヴ発ベーリング行きの最大急行の車内である。多分,「東北本線」や「樺太庁鉄道」がモデルとなっていると思われる。この物語の主要な登場人物は,ベーリング行きの最大急行に最初から乗車している〈タイチ〉,3~4人ほどの〈商人風の人〉,〈船乗りの青年〉,〈痩せた赤ひげの男〉,そして物語の後半で乗車してくる20人ばかりの〈熊のやうな人たち〉である。この稿では,〈船乗りの青年〉について考察する。

 

〈船乗りの青年〉は,〈タイチ〉から「ふん。バースレーかね・・・」と言われている。船が港に停泊していることで休暇をとっているようだ。ネットからの情報だが「バースレー(berth ley)」は海軍用語で停泊中の休暇という意味らしい。ただ,「バースレー(verse lay)」なら「verse;詩句,詩を作る」,「lay;物語詩」ということで「詩を作る」という意味で使っているともとれる。いずれにせよ,物語で〈船乗りの青年〉はかたい黄色の帆布(はんぷ)の上着を1枚しか着ておらず,いつも月に話しかけているかのように窓の外を見ている。帆布は綿や麻で織られた平織りの厚手生地である。寂しげで貧しい青年のようだ。

 

2.青年はなぜ月に話しかけているのか

引用文Aにあるように,〈船乗りの青年〉はイーハトヴ発ベーリング行きの最大急行の車内から「鉄いろをしたつめたい空」の「いまみがきをかけたやうな青い月」に話しかけている。

 

引用文A 

黄いろな帆布の青年は立つて自分の窓のカーテンを上げました。そのカーテンのうしろには湯気の凍り付いたぎらぎらの窓ガラスでした。たしかにその窓ガラスは変に青く光つてゐたのです。船乗りの青年はポケツトから小さなナイフを出してその窓の羊歯(しだ)の葉の形をした氷をガリガリ削り落しました

 削り取られた分の窓ガラスはつめたくて実によく透とほり向ふでは山脈の雪が耿々(かうかう)とひかり,その上の鉄いろをしたつめたい空にはまるでたつたいまみがきをかけたやうな青い月がすきつとかゝつてゐました

 野原の雪は青じろく見え煙の影は夢のやうにかけたのです。唐檜(たうひ)やとゞ松がまつ黒に立つてちらちら窓を過ぎて行きます。じつと外を見てゐる若者の唇(くちびる)は笑ふやうに又泣くやうにかすかにうごきました。それは何か月に話し掛けてゐるかとも思はれたのです。みんなもしんとして何か考へ込んでゐました。

     (中略)

『君、おい君、その窓のところのお若いの。失敬だが君は船乗りかね』

 若者はやつぱり外を見てゐました。月の下にはまつ白な蛋白石(たんぱくせき)のやうな雲の塊が走つて来るのです。

『おい、君、何と云つても向ふは寒い、その帆布一枚ぢやとてもやり切れたもんぢやない。けれども君はなか/\豪儀なとこがある。よろしい貸てやらう。僕のを一枚貸てやらう。さうしよう』

 けれども若者はそんな言(げん)が耳にも入らないといふやうでした。つめたく唇を結んでまるでオリオン座のとこの鋼いろの空の向ふを見透かすやうな眼をして外を見てゐました。      

                (宮沢賢治,1986)下線は引用者,以下同じ

 

この〈船乗りの青年〉が「鉄いろ」の「つめたい空」の中にある「青い月(3)」を眺めている様子(第1図C)は,童話『やまなし』の〈蟹(4)〉が「青くくらく鋼のやうな」水の中の〈鉄色の魚(2)〉と「青じろい水の底」の〈クラムボン(3)〉の話を聞いていた様子と類似している(第1図A)。〈船乗りの青年〉は〈鉄色の魚〉,そして〈クラムボン〉は〈月〉に対応すると思われる。前稿で報告しているように〈鉄色の魚〉には賢治が,そして〈クラムボン〉には恋人が投影されている可能性があるとした。多分,童話『氷河鼠の毛皮』の〈船乗りの青年〉と〈月〉には賢治と恋人が投影されていると思われる。

 

「文語詩未定稿」の〔セレナーデ恋歌〕には「江釣子森の右肩に/雪ぞあやしくひらめけど/きみはいまさず/ルーノの君は見えまさず」とある。「ルーノ(luno)」はエスペラント語で「月」である。この文語詩に登場する「ルーノの君」が誰を指しているのか分からないが,賢治は恋人のことを「月」に喩えることがあるようだ。童話『氷河鼠の毛皮』に登場する「月」が賢治の恋人であるという仮説に関しては,すでにエッセイストの澤口たまみ(2021)が指摘していた。すなわち〈船乗りの青年〉は〈月〉に恋人を重ねて話しかけている。〈船乗りの青年〉は「月」とどのような会話をしていたのであろうか。

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第1図.『やまなし』(A)と『氷河鼠の毛皮』(B)の舞台

 

引用文Aとほぼ同じ内容の文章を習作『氷と後光』(1924年冬頃に清書)に見ることができる(他の研究者も指摘している)。

 

引用文B

車室の中はほんたうに暖いのでした。

(ここらでは汽車の中ぐらゐ立派な家はまあありゃせんよ。)

(やあ全く。斯うまるで病院の手術室のやうに暖かにしてありますしね。)

 窓の氷からかすかに青ぞらが透いて見えました。

「まあ,美しい。ほんたうに氷が飾り羽根のやうですわ。」

「うん奇麗だね。」

 向ふの横の方の席に腰かけてゐた線路工夫は,しばらく自分の前のその氷を見てゐました。それから爪でこつこつ削(こそ)げました。それから息をかけました。そのすきとほった氷の穴から黝(くろず)んだ松林と薔薇色の雪とが見えました。

「さあ,又お座りね。」こどもは又窓の前の玉座に置かれました。小さな有平糖(あるへいたう)のやうな美しい赤と青のぶちの苹果を,お父さんはこどもに持たせました。

「あら,この子の頭のとこで氷が後光のやうになってますわ。」若いお母さんはそっと云ひました。若いお父さんはちょっとそっちを見て,それから少し泣くやうにわらひました。

「この子供が大きくなってね,それからまっすぐに立ちあがってあらゆる生物のために,無上菩提を求めるなら,そのときは本當にその光がこの子に来るのだよ。それは私たちには何だかちょっとかなしいやうにも思はれるけれども,もちろんさう祈らなければならないのだ。」

 若いお母さんはだまって下を向いてゐました。

 こどもは苹果を投げるやうにしてバアと云ひました。すっかりひるまになったのです。

                         (宮沢賢治,1986)

 

いずれの作品も,汽車に乗っていること,窓に羊歯のような形の氷の結晶が付いていてそれを削ること,そして若い男が「笑ふやうに泣く」ことである。習作『光と後光』では,若い夫婦と子供が乗っていて,若い夫婦が暖かい車室の中で子供の未来を語っている。多分,童話『氷河鼠の毛皮』でも〈船乗りの青年〉は恋人といずれ授かるだろう子供の将来について語っていたのかもしれない。ただ,若いお母さんが「だまって下を向いて」いるのは気にかかる。

 

3.〈船乗りの青年〉が着ている黄色い帆布の上着

当時,賢治は花巻農学校の教師をしていて,教壇に立つときは背広とネクタイであったが,農業実習や野外活動時には,いつも麦わら帽子にカーキ色(黄色に茶色を混ぜたような色)の作業着にゴム靴を履いていた(板谷,1992)。また,家にいるときでも「仕立ておろしのような洋服や着物は大嫌い」で,「いつも古ぼけた洋服にゴム靴,それに日焼けした帽子という姿で,どこへでも出かけた」という。(森,1983;佐藤,1994)。

 

賢治の服装に対する考え方は19世紀の歴史家で評論家のトーマス・カーライル(Thomas Carlyle, 1795~1881年)の『衣裳哲学』の影響を受けているという(大沢,2018)。童話『ビヂテリアン大祭』に「元来きものというものは,東洋風に寒さをしのぐという考(かんがえ)も勿論ですが,一方また,カーライルの云う通り,装飾(そうしょく)が第一なので結局その人にあった相当のものをきちんとつけているのが一等ですから,私は一向何とも思いませんでした。」とあり,また童話『花椰菜(はなやさい)』には「私はふっと自分の服装を見た。たしかに茶いろのポケットの沢山ついた上着を着て長靴をはいてゐる。そこで私は又私の役目を思ひ出した。そして又横目でそっと作物の発育の工合を眺(ながめ)た」とある。賢治にとって服装とは「装飾」であり,「その人にあった相当のもの」あるいは「その人の役目のもの」と考えている。

 

では,童話『氷河鼠の毛皮』を執筆していた頃の賢治にとって,「その人にあった相当のもの」あるいは「役目のもの」とはどういうものであったのか。賢治が実際にに農作業などに着ていたカーキ色の作業着以外に考えてみる。この時期,賢治は熱心な「法華経」の信者であった。また童話でも,〈船乗りの青年〉は「月」を見ながら習作『氷と後光』の若い男のように「子供が大きくなってね,それからまっすぐに立ちあがってあらゆる生物のために,無上菩提を求めるなら,そのときは本當にその光がこの子に来るのだよ。」と語っていたとすれば,〈船乗りの青年〉が着ていた「黄色い帆布」は仏教あるいは「法華経」と関係している可能性がある。当時賢治は「法華経」に帰依している修行僧のようなものであった。

 

そうであるなら,「黄色い帆布」は釈迦や日蓮が着ていた「袈裟」がイメージされているのかもしれない。なぜなら,物語の後半で〈船乗りの青年〉は列車に乗り込んでくる〈熊のやうな人たち〉に銃で撃たれるが,「黄色い帆布」が落とされるだけで無傷であったからである。「黄色い帆布」が〈船乗りに青年〉の身代わりになっている。ただの布きれではない。「袈裟」は梵語で「混濁色」あるいは「黄褐色」を意味するカシャーヤ(Kasaya)を音訳したものである。使い道が無くなり捨てられたぼろ布などを拾い集め綴(つづ)り合せて身を覆う布を作った。そして,草木や金属の錆で染め直し黄土色(茶色がかった黄色)あるいは青黒色をしていた(japanese-wiki-corpus.2022)。「袈裟」は「糞掃衣」とも呼ぶ(松村,2011)。日本では少ないが東南アジアでは僧侶は黄色(オレンジ系統)の「袈裟」をまとっている。

 

また,「黄色い帆布」は「かたい」とあるので,賢治が所持していた「法華経」に関する本がイメージされている可能性も考えられる。ただ,座右の書である島地大等の『漢和對照妙法蓮華經』は赤い経巻と呼ばれているので違うと思われる。賢治が所持していたとされる『日蓮聖人御遺文』(霊艮閣蔵版)の表紙が黄色なら可能性はある。

 

航海中の〈船乗りの青年〉を修行僧とすれば,前述したように停泊中の休暇は,さしずめ修行を一時中断した恋愛のためだったのかもしれない。

 

ただ,この物語は〈船乗りの青年〉と〈月〉との恋愛物語や「法華経」を主要テーマにしているのではない。この物語の主人公は〈タイチ〉である。〈タイチ〉が何者で,〈船乗りの青年〉とどのような関係があるのかが重要である。この関係が明らかになれば,なぜ〈熊のような人たち〉が〈タイチ〉を列車から連れだそうとしたのかが理解できるし,〈船乗りの青年〉と〈月〉との恋愛物語の関係も明らかになるのかも知れない。それがこの物語の主要テーマである。次稿へ続く

 

参考文献

石井竹夫.2021.童話『やまなし』は魚とクラムボンの悲恋物語である.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/20/090540

石井竹夫.2022a.シグナルとシグナレスの反対された結婚(1)-そのきっかけはシグナレスが笑ったから-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/01/16/145446

石井竹夫.2022b.童話『やまなし』考-クラムボンは笑った,そして恋は終わった-https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/02/01/101846

板谷栄城.1992.素顔の宮澤賢治.平凡社.

松村薫子.2011.糞掃衣の変遷. file:///C:/Users/TISHII/Downloads/symp_016__25__23_35__25_37%20(1).pdf

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集.筑摩書房.

森 莊己一.1983.宮沢賢治の肖像.津軽書房.

大沢正善.2018.宮沢賢治とカーライル『衣服哲学』.岐阜聖徳学園大学国語国文学 32:48-69.

佐藤隆房.1994.宮沢賢治-素顔のわが友-.桜地人館.

澤口たまみ.2021.クラムボンはかぷかぷわらったよ 宮澤賢治おはなし30選.岩手日報社.

japanese-wiki-corpus.2022(調べた年).袈裟.https://www.japanese-wiki-corpus.org/jp/culture/%E8%A2%88%E8%A3%9F.html

童話『やまなし』考 -クラムボンは笑った,そして恋は終わった-

キーワード : 誤解,ぷかぷか,かぷかぷ,失笑,嘲笑

 

童話『やまなし』は地方紙の岩手毎日新聞に大正12(1923)年4月8日に掲載されたものである。「クラムボンはわらつたよ。クラムボンはかぷかぷわらつたよ。・・・」と「アイヌ」の叙事詩ユーカラのような「韻」を踏んだ繰り返し(リフレイン)の多い文章で始まる。前報で,私は童話『やまなし』が谷川の川底に先住していた〈クラムボン〉と移入種の〈魚〉の悲恋物語であるということを報告した(石井,2021a,b)。この物語は,〈魚〉が〈クラムボン〉に婚約指輪を真似て「口を環(わ)のように円(まる)く」して近づいたとき,「カワセミ」に天空へ連れ去られて恋が終わるというものである。

 

同じような悲恋物語は1か月後に同じ新聞に発表された童話『シグナルとシグナレス』(1923.5.11-23)にも見られる。この童話で本線側の「金(かね)」でできた信号機〈シグナル〉と軽便鉄道側の「木」の信号機〈シグナレス〉は相思相愛の中である。〈シグナル〉は〈シグナレス〉に琴座の環状星雲(フイツシユマウスネビユラ;魚口星雲)を婚約指輪に見立てて渡している。しかし,〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚は〈シグナル〉の近親者たちによって猛反対を受ける。

 

童話『やまなし』と童話『シグナルとシグナレス』は周囲から反対され悲恋で終わるという点で類似している。類似しているのは二つの童話の主人公たちのモデルが同一人物だからと思われる。〈シグナル〉と〈魚〉には賢治が,〈シグナレス〉と〈クラムボン〉には賢治の恋人が投影されていると思われる(石井,2022)

 

私は童話『シグナルとシグナレス』を読んだとき,童話『やまなし』に登場する〈クラムボン〉の笑った理由がこの童話『シグナルとシグナレス』の主人公たちの会話の中に隠されていると思った。本稿は二つの童話を比較することによって,クラムボンがなぜ「かぷかぷ」と笑ったのかについて考察する。 

 

1.童話『やまなし』と童話『シグナルとシグナレス』の主要登場キャラクターを重ねてみる

童話『やまなし』の主要な登場キャラクターは〈クラムボン〉と〈魚〉と兄弟の〈蟹〉である。前報(石井,2021a,b)では,〈魚〉は1匹だけと思っていたが,『シグナルとシグナレス』を読んで,少なくとも2匹はいると確信した。「白い腹をしていて鉄いろにへんに底びかり」する魚と「銀のいろの腹」をした魚である。本稿では前者を〈鉄色の魚〉,後者を〈銀色の魚〉とする。

 

一方,童話『シグナルとシグナレス』の主要なキャラクターは〈シグナレス〉,〈シグナル〉,〈本線シグナル附きの電信柱〉そして〈耳のいい軽便鉄道の電信柱〉である。

 

童話『シグナルとシグナレス』の登場キャラクターを『やまなし』と重ねてみる。女性がイメージされている〈シグナレス〉には〈クラムボン〉を,この女性と結婚する予定だった男性(賢治)がイメージされている〈シグナル〉には「口を環(わ)のやうに円(まる)く」して〈クラムボン〉に近づく〈鉄色の魚〉を,そして〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚に反対する〈本線シグナル附きの電信柱〉にはもう一つの〈魚〉である〈銀色の魚〉を重ねてみる。また,〈耳のいい軽便鉄道の電信柱〉には弟の〈蟹〉をあててみる。

 

2.〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚が反対された理由

童話『シグナルとシグナレス』で〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚が反対された理由についてはすでに報告した(石井,2022)。ここでは要約だけにとどめる。

 

〈シグナル〉が「風上」にいた〈本線シグナル附きの電信柱〉が聞こえないことをいいことに〈シグナレス〉に〈本線シグナル附き電信柱〉の容姿についての悪口を「真面目な顔」をして言った。〈シグナレス〉は優しい性格の持ち主なので,その悪口を事実に基づくものとは知らずに冗談だと思い,また〈シグナル〉が「真面目な顔」で言ったので思わず笑ってしまった。俗に言う「失笑」である。〈本線シグナル附き電信柱〉を軽蔑して笑ったのではない。例えば,大正時代に活躍した喜劇王のチャップリンがいる。彼は「真面目な顔」で「おかしなこと」をする。だから,観客は思わず笑ってしまうのである。観客にチャップリンに対する「侮蔑」の感情はない。

 

シンガーソングライター・井上陽水の初期の作品に『ゼンマイじかけのカブト虫』という失恋を歌ったものがあった。「きみの顔 笑った なにもおかしいことはないのに きみの目がこわれた ゼンマイじかけ・・・」という詩句が入っている。何も「おかしいこと」もないのに笑ったのは「嘲笑」である。

 

「風上」にいた〈本線シグナル附き電信柱〉は〈シグナレス〉の笑い顔を見て「嘲笑」されたのではないかと疑い〈シグナル〉と〈シグナレス〉の「風下」にいた〈耳のいい軽便鉄道の電信柱〉に電話で〈シグナレス〉の笑いがどのようなものであったか問いただした。〈耳のいい電信柱〉は「空」を見ながら〈シグナル〉と〈シグナレス〉の会話を聞いていた。〈耳のいい電信柱〉は〈シグナル〉の「真面目顔」を見ていないので,〈シグナレス〉が〈本線附きシグナル電信柱〉の容姿に関して嘲笑ったと勘違いした。そして,その情報を〈本線シグナル附き電信柱〉へ伝えた。〈本線シグナル附き電信柱〉はその情報が事実に基づいていると自覚しているから〈シグナレス〉から「嘲笑」されたと確信して激怒し,四方の近親者に連絡し結婚反対に対する同意をとってしまう。

 

すなわち,結婚が反対されるきっかけを作ったのは〈シグナレス〉が笑ったことである。そして,その笑いが「嘲笑」と誤解され近親者から結婚を反対されることになったのである。

 

3.なぜ〈クラムボン〉は「かぷかぷ」と笑ったのか

では,童話『やまなし』で〈クラムボン〉が笑った状況を考えてみる。一人で笑ったのか。それとも誰かと会話を交わしながら笑ったのか。童話『やまなし』を読む限りそれは分からない。そこで,『やまなし』と『シグナルとシグナレス』は同じ人物をモデルとして,また同じ出来事を元にして創作されたものと仮定して推論してみたい。

 

『シグナルとシグナレス』では,第1図Bに示すように〈シグナレス(3)〉は近くの〈シグナル(2)〉と「風上」にいた〈本線シグナル附きの電信柱(1)〉の会話を聞いて笑っている。そして,「風下」にいた〈耳のいい電信柱〉がその会話と〈シグナレス〉の笑い声を聞いていた。すなわち,〈シグナレス〉が笑った場面には4つのキャラクターが,「風上」から「風下」へ〈本線シグナル附き電信柱〉→〈シグナル〉→〈シグナレス〉→〈耳のいい軽便鉄道の電信柱〉の順に並んでいる。そこで,『やまなし』でも「川上」から「川下」へ同じよう位置に並んで,〈クラムボン(3)〉は〈鉄色の魚(2)〉と〈銀色の魚(1)〉の会話を聞いて笑い,その笑い顔を「川上」の〈銀色の魚〉が見て,「川下」の兄弟の〈蟹(4)〉が聞いていたとする。

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第1図 A.〈銀色の魚(1)〉は〈クラムボン(3)〉が笑ったのを見た。そして,〈蟹(4)〉はそれを聞いていた。第1図 B.〈本線シグナル附き電信柱(1)〉は〈シグナレス(3)〉が笑ったのを見た。〈耳のいい電信柱(4)〉は「空」を見ながらそれを聞いていた。

 

この物語には「ほんたう」のことと,「うそ」が混在している。「ほんたう」と「うそ」を区別するために必要な事柄を4つほど挙げておく。

 

(1)「カニ」は陸上では体内に貯めておいた水を使って呼吸するので,そのとき泡を吐くが,水中では泡は吐かない(「カニ」はエラ呼吸)。

(2)音源から放射された音は川下(あるいは風下)には伝わりやすいが,川上(あるいは風上)には伝わりにくい。

(3)ある色の物体は同系色の背景の中では識別できない(闇夜の烏)。

(4)前述したように〈シグナレス〉の笑いは「失笑」であって「嘲笑」ではない(石井,2022)。

 

では,童話『やまなし』で『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』がどのようなものであったか再現してみる。

 

引用文(1)

二疋(ひき)の蟹(かに)の子供らが青じろい水の底で話てゐました。

『クラムボンはわらつたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』

『クラムボンは跳てわらつたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』

                    (宮沢,1986)

 

「2匹の蟹の子供らが青白い水の底で話てゐました」(下線は引用者;以下同じ)と言っているので,第1図Aに示すように兄弟の〈蟹(4)〉は川底にいる。〈クラムボン(3)〉も跳ねて笑っているので川底にいる。そして,〈鉄色の魚〉と〈銀色の魚〉は水中にいて〈蟹(4)〉と〈クラムボン〉の上を行ったり来たりしている。川底は「青じろい」とあるので,ある程度川底にいる生物(蟹とクラムボン)はお互いに姿を認識することはできていると思われる。また,〈銀色の魚(1)〉は暗い水の中を泳いでいるが〈蟹(4)〉と〈クラムボン(3)〉は見ることができる。多分,第1図Aのような位置にいれば〈クラムボン(3)〉の笑った顔を見ることができる。しかし,「川上」にいるので話し声や笑い声は聞きづらいか聞こえない。また,兄弟の〈蟹(4)〉は〈クラムボン(3)〉の横側くらいは見ることはできるかも知れないが〈クラムボン〉の笑い顔は確認できない。

 

語り手は「上の方や横の方」を,「青くくらく鋼のやうに見えます」と表現している。〈クラムボン(3)〉が笑っていた所の上方はかなり暗そうだ。兄弟の〈蟹(4)〉は〈クラムボン(3)〉の上方で話している〈鉄色の魚(2)〉も見ることはできていないと思われる。なぜなら〈クラムボン(3)〉の上は「青くくらく鋼のやうに」見えるので同系色の「ごく暗い青緑」の〈鉄色の魚(3)〉は闇夜の烏と同じで見ることはできないからである。すなわち,兄弟の〈蟹(4)〉は〈鉄色の魚(3)〉の顔の表情も見ることはできていない。

 

笑いには色々な笑いがある。「苦笑」,「失笑」,「冷笑」,「嘲笑」などがある。ここでは,〈クラムボン〉の笑いに相手への否定,別の言葉で言えば「冷笑」や「嘲笑」のように「侮蔑」の意味が含まれていたかどうかについて考えたい。会話の中での笑いがどのようなものなのか知るには声だけでなく顔の表情を見ることも重要である。

 

童話『シグナルとシグナレス』では〈シグナル〉が「風上」にいた〈本線シグナル附きの電信柱〉が聞こえないことをいいことに〈シグナレス〉に〈本線シグナル附き電信柱〉の悪口を「真面目な顔」をして言った。それなら,同じように,〈鉄色の魚〉が「川上」にいた〈銀色の魚〉が聞こえないことをいいことに間近で〈クラムボン〉に〈銀色の魚〉の容姿に対する悪口を「真面目な顔」をして言ったとしてみよう。〈クラムボン〉は優しい性格の持ち主と思われるので,その悪口が事実に基づくものとは知らずに冗談だと思い,また〈鉄色の魚〉が「真面目な顔」でいったので怖いながらも思わず笑ってしまった。〈クラムボン〉には〈鉄色の魚〉が間近にきているので暗くても顔を確認できる。すなわち「失笑」である。〈銀色の魚〉への「蔑視」の感情はない。後述するが〈魚〉と〈クラムボン(=カゲロウ)〉は捕食する者と捕食される者の関係である。〈クラムボン〉にとって〈魚〉は怖い相手であり,蔑視する相手ではない。

 

〈銀色の魚(1)〉は〈クラムボン(3)〉の笑い顔しか見ていないので笑いがどんなものであったのか分からなかった。しかし,弟の〈蟹〉は〈クラムボン〉の笑いを「かぷかぷ」と形容しているので「嘲笑」と受け取ったようだ。「ぷかぷか」は軽いものが水に浮く様あるいは浮いて流れる様をいう。だから,「ぷかぷか笑う」とは川底にいる〈蟹〉からは「見上げているような笑い」である。一方,「かぷかぷ」は賢治の造語と思われるが,「ぷかぷか」の逆だから,重いものが水に沈む様あるいは沈んで転がる様を言っているように思える。すなわち,「かぷかぷ笑う」とは「見下すように笑う」ということであろう。すなわち,弟の〈蟹〉には〈クラムボン〉が「嘲笑っている」ように聞こえたというのだ。本当であろうか。そのように聞こえたにせよ,聞こえなかったにせよ,弟の〈蟹〉は「クラムボンはかぷかぷわらったよ」と言った。

 

次にまた〈クラムボン〉が笑う。

引用文(2)

 上の方や横の方は,青くくらく鋼のやうに見えます。そのなめらかな天井を,つぶつぶ暗い泡が流れていきます

『クラムボンはわらつてゐたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』

『それならなぜクラムボンはわらつたの。』

『知らない。』 

                  (宮沢,1986)

 

ここでは, 語り手は「青くくらく・・・・・そのなめらかな天井を,つぶつぶ暗い泡が流れていきます」と語る。この表現は矛盾している。「青く暗い」水の中に流れる「つぶつぶ」の「暗い泡」が見えるはずはない。そして,また弟らしき者が『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』と繰り返して語る。どうも弟の話しがだんだん怪しくなってくる。

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第2図。〈銀色の魚〉が兄弟から〈クラムボン〉の笑いがどんなものだったのか聞いている。

 

『それならなぜクラムボンはわらつたの。』という問いは誰だろうか。兄ではない。多分,第2図Cに示すように兄弟の近くに「川上」から泳いできた〈銀色の魚(1)〉と思われる。〈銀色の魚(1)〉が〈クラムボン(3)〉がどういうことで笑ったのか兄弟の〈蟹(4)〉に尋ねていたのだと思われる。多分,兄は「知らない」と答えたが,弟が〈鉄色の魚(2)〉と〈クラムボン(3)〉の会話の内容を〈銀色の魚(1)〉に話したのだと思われる。

 

引用文(3)

つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽつぽつぽつとつづけて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のやうに光つて斜に上の方へのぼつて行きました。

つうと銀のいろの腹をひるがへして,一疋(ぴき)の魚が頭の上を過ぎて行きました。

『クラムボンは死んだよ。』

『クラムボンは殺されたよ。』

『クラムボンは死んでしまつたよ………。』

『殺されたよ。』

『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は,その右側の四本の脚の中の二本を,弟の平べつたい頭にのせながら云(い)ひました。

『わからない。』

                      (宮沢,1986)

 

ここで,「蟹の子供らもぽつぽつぽつとつづけて五六粒泡を吐きました」とある。「カニ」は水中では「泡」は吐(は)かない。「うそ」である。子供らは「うそ」を5~6回吐(つ)いたのである。弟の〈蟹〉は〈クラムボン〉が「かぷかぷわらった(見下して笑っていたよ)」と言っているが,そのようには聞こえていなかったのだ。「うそ」を吐(つ)いていたのだ。「水銀のやうな光」とは明るい光ではない。何か重苦しい陰湿な感じを受ける。子供らは〈銀色の魚〉に「かぷかぷわらったよ」(見下して笑っていたよ)と「うそ」の情報を伝えたのだと思う。子供らは同系色の背景の中にいる〈鉄色の魚〉の姿を見ることはできない。繰り返すが,声だけの情報では笑いの意味を正確に判断するのは難しい。

 

子供らから「うそ」の話しを聞いた〈銀色の魚(1)〉は「銀のいろの腹をひるがへし」て〈クラムボン〉の所へ向かうことになる(第3図D)。童話『シグナルとシグナレス』で,〈銀色の魚〉と思われる〈本線シグナル附き電信柱〉は『くそつ,えいつ。いまいましい。あんまりだ。犬畜生,あんまりだ。犬畜生,ええ,若さま,わたしだって男ですぜ。こんなにひどくばかにされてだまつてゐるとお考へですか。結婚だなんてやれるならやつてごらんなさい。電信ばしらの仲間はもうみんな反対です。シグナルばしらの人たちだって鉄道長の命令にそむけるもんですか。そして鉄道長はわたしの叔父ですぜ。結婚なりなんなりやつてごらんなさい。えい,犬畜生め,えい』とえらい剣幕で怒り出す。多分,童話『やまなし』の「つうと銀のいろの腹をひるがへして,一疋(ぴき)の魚が頭の上を過ぎて行きました。」という語り手の言葉にはそんな意味が込められていたのであろう。

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第3図.〈銀色の魚〉は〈クラムボン〉を叱ったのだろうか。

 

この後,〈シグナレス〉は「しくしく泣なきながら,・・・しょんぼりと腕をさげ,そのいじらしいなで肩はかすかにかすかにふるへておりました」,そして「ええ,みんなあたしがいけなかつたのですわ」となる。「なで肩」とは「大正ロマン」を代表する画家・竹久夢二の描くほっそりした背の高い女性をイメージさせる。〈シグナル〉は〈シグナレス〉を世界で一番美しいと言っていた。その〈シグナレス〉が震えるほどに泣いた。童話『やまなし』では兄には「死んだ」と思わせ,弟には「殺された」と思わせた。

 

多分,〈クラムボン〉は〈銀色の魚〉からひどいことを言われ泣いてしまったのであろう。殺されたのではない。兄から『それならなぜ殺された。』と聞かれたとき弟は『わからない』と答えている。兄が自分の「脚の中の二本を弟の平べつたい頭にのせ」ながら質問するやり方は,ジークムント・フロイト(1856~1939)が実施した精神分析法の一つである「前額法(ぜんがくほう)」というものである。例えば,ヒステリーの症状のある患者に,「いつからこの症状が現れましたか」,「原因は何ですか」と質問して,「私にはわかりません」と答える患者がいた場合,片手を患者の額に置き,「こうして私が手で押さえていると,今に思い浮かびますよ。私が押さえるのを止めた瞬間にあなたには何かが見えるでしょう。さもなければ何かが思い浮かぶでしょうから,それを教えてください」と言う。この方法でフロイトは患者のヒステリーの原因を突き止めた。結局,弟の〈蟹〉が「わからない」としか答えられなかったので,弟の「殺された」というのも「うそ」である。

 

その証拠に〈銀色の魚〉が下流へ戻ると〈クラムボン〉はまた笑うことになる。死んでいない。

引用文D

 魚がまたツウと戻って下流の方へ行きました。

『クラムボンはわらつたよ。』

『わらつた』

             (宮沢,1986)

 

この後,谷川は「にはかにパツと明るくなり,日光の黄金(きん)は夢のやうに水の中に降つて」来る。谷川の底で何が起こっていたのかが明らかになる。多分,「ほんたう」のことが語られている。

 

引用文E

魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるつきりくちやくちやにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして,又上流(かみ)の方へのぼりました。

『お魚はなぜあゝ行つたり来たりするの。』

弟の蟹がまぶしさうに眼を動かしながらたづねました。

『何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。』

『とつてるの。』

『うん。』

そのお魚がまた上流から戻つて来ました。今度はゆつくり落ちついて,ひれも 尾も動かさずたゞ水にだけ流されながらお口を環(わ)のやうに円(まる)くしてやつて来ました。その影は黒くしづかに底の光の網の上をすべりました。

『お魚は……。』

その時です。俄(にはか)に天井に白い泡がたつて,青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾(だま)のやうなものが,いきなり飛込んで来ました。 

兄さんの蟹ははつきりとその青いもののさきがコンパスのやうに黒く尖つてゐるのも見ました。と思ううちに,魚の白い腹がぎらつと光つて一ぺんひるがへり,上の方へのぼつたやうでしたが,それつきりもう青いものも魚のかたちも見へず光の黄金(きん)の網はゆらゆらゆれ,泡はつぶつぶ流れました。

                              (宮沢,1986)

 

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第4図.〈鉄色の魚〉は婚約指輪を真似て「口を環(わ)のように円(まる)く」して〈クラムボン〉に近づいている。

 

兄弟の〈蟹(4)〉には〈鉄色の魚(2)〉が何か悪いことをしているように思えている。しかし,実際は〈鉄色の魚(2)〉は〈クラムボン(3)〉に求婚していたのだ。ヤマメの婚姻色とも思える〈鉄色の魚(2)〉が〈クラムボン(3)〉に婚約指輪を真似て「口を環(わ)のように円(まる)く」して近づいた。

 

ことの詳細を谷川の「神」の化身である「カワセミ」が上空から見ていた。谷川に先住していた〈蟹〉や〈クラムボン〉たちが信仰する「神」であるが少し乱暴な「神」でもある。なぜなら兄弟は「カワセミ」を怖いと言ったが,父は「おれたちはかまはないんだから」と答えているからである。すなわち,〈蟹〉にとって「カワセミ」は同族あるいは味方である。また,兄弟が見た「カワセミ」の眼は黒色なのだが,父は「そいつの眼は赤かったかい」と子供らに尋ねてもいる。赤は「怒り」を象徴することがある。この「神」は谷川の先住民からは「鬼神」と呼ばれている。「鬼神」は,〈クラムボン(3)〉の身を震わせながら流した涙が〈鉄色の魚(2)〉によるものだと察した。

 

詩集『春と修羅』の「晴天恣意(水沢臨時緯度観測所にて)」(1924.3.25)に「鬼神」が怒るとどうなるかが記載されている。

      

古生山地の峯や尾根

盆地やすべての谷々には

おのおのにみな由緒ある樹や石塚があり

めいめい何か鬼神が棲むと伝へられ

もしもみだりにその樹を伐り

あるひは塚を畑にひらき

乃至はそこらであんまりひどくイリスの花をとりますと

さてもかういふ無風の日中

見掛けはしづかに盛りあげられた

あの玉髄の八雲のなかに

夢幻に人はつれ行かれ

かゞやくそらにまっさかさまにつるされて

見えない数個の手によって

槍でづぶづぶ刺されたり

おしひしがれたりするのだと

さうあすこでは云ふのです。

                 (宮沢,1986)

 

下線部の「イリス」は,植物の「アイリス」のことでアヤメ科アヤメ属の学名である。賢治の詩に登場する「カキツバタ」(Iris laevigata Fisch)や「シャガ」(I. japonica Thunb.)を指す。いずれも「在来種」である。「カキツバタ」は茎先に青紫色の花をつける。「イリス」は「先住民」の女性の比喩として使われているように思える。童話『やまなし』では〈クラムボン〉のことである。この詩の「あんまりひどくイリスの花をとりますと・・・/かゞやくそらにまっさかさまにつるされて・・・/槍でづぶづぶ刺されたり・・・」という詩句は,童話『やまなし』の兄弟の〈蟹〉の「魚が何か悪いことしてるんだよとつてるんだよ」という会話を彷彿させる。『やまなし』ではこの後に〈鉄色の魚〉が〈カワセミ〉の槍のような嘴で挟まれて天空に連れ去られる。

 

このように,童話『やまなし』は〈クラムボン〉が笑ったことで〈銀色の魚〉が激怒し〈クラムボン〉と〈鉄色の魚〉との恋が終わったという悲恋物語である。ただ,〈クラムボン〉の笑いは「失笑(ぷかぷか)」だったのだが,魚側だけでなくクラムボン側の近親者にも「嘲笑(かぷかぷ)」と誤解された。

 

〈クラムボン〉は,アイヌ語で「kut・岩崖, ra・低い所,un・にいる, bon・小さい」(kut ran bon)に分解できるかもしれない。石の下にいる小さな者という意味で「カゲロウ」の幼虫のことと思われる(石井,2021a,b)。「カゲロウ」の幼虫は英語で「Nymph;妖精」と呼ばれる。

 

賢治が,「杉」(在来種)の近くで,恋人の名前を呟く詩がある。詩集『春と修羅』(第三集)の〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕(1927.5.14)には,「枯れた巨きな一本杉が /もう専門の避雷針とも見られるかたち/・・・けふもまだ熱はさがらず/Nymph,Nymbus,,Nymphaea ・・・ 」(宮沢,1986)(NymbusはNimbusの誤記?)とある。この詩を書いたのは,恋人がシカゴで亡くなってから1か月後である。「枯れた杉」は,失恋した背の高い恋人のことを言っていると思われる。賢治は,また恋人をNymph,Nimbus,Nymphaeaと形容している。Nymphは「カゲロウ」の幼虫と同じ英語名で,Nimbus(ニムバス)は雨雲(積乱雲)で,Nymphaea(ニンフェア)はスイレン属の植物のことである。

 

雨雲は,『新宮沢賢治語彙辞典』によれば,前述した積乱雲のLipido像のように「官能的なイメージを惹起させるもので,性欲を否定したがる賢治にとって,「誘惑者」であり邪気を含んだもの」であるとしている(原,1999)。

 

「スイレン属」の植物は,「Tearful eye(涙ぐむ目)」という目(眼)を象った花壇設計のスケッチ図に記載されている(文字は英語)。このスケッチ図の眼の両側にある涙を作って貯める涙腺と涙嚢に相当するところにはスイレン属(Nymphaea)らしい植物を浮かせた水瓶(Water Vase)を置くとしている。すなわち,賢治の詩に登場する「Nymphaea」は,失恋した恋人の涙を意味しているかもしれない。

 

すなわち,〈クラムボン〉は賢治にとって世界一美しい「Nymph(妖精)」であり,「Nimbus(誘惑者)」であったのだが,「Nymphaea(涙ぐむ目)」になってしまったのである。賢治が童話『やまなし』を地方紙に発表したのは童話『シグナルとシグナレス』と同様に自分たちの結婚が反対されているのは「誤解」によるということを訴えたかったからと思われる。

 

参考資料と引用論文

原 原子.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書店.

石井竹夫.2021a.童話『やまなし』は魚とクラムボンの悲恋物語である.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/20/090540

石井竹夫.2021 b.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/08/095756

石井竹夫.2022.シグナルとシグナレスの反対された結婚 (1) -そのきっかけはシグナレスが笑ったから-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/01/16/145446

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

シグナルとシグナレスの反対された結婚 (3) -本線シグナル附きの電信柱とは何者か-

キーワード:安楽行品第十四,法華経,普賢菩薩

 

澤口(2010)は〈本線シグナル附きの電信柱〉(=太っちょの電信柱)が何者かについては言及していない。米地(2016)も「最も矛盾に満ちた不自然な性格」であり「該当者不明」としている。しかし,この電信柱は繰り返し登場してくるので脇役とは思えない。多分,この物語は,単なる恋物語ではないような気がする。本稿では,この〈本線シグナル附きの電信柱〉が具体的に誰なのかというよりは,この人物に二重に投影されている得体の知れない者の本性を示すことで賢治が物語で本当に言いたかったことを明らかにする。

 

1.8年の間,夜昼寝ないで世話できる者とは

物語では〈本線シグナル附きの電信柱〉は鉄道庁の甥であることと,〈シグナル〉を「八年の間,夜ひる寝ないでめんどうを見て」いることになっている。また,〈シグナル〉からは「お前にチヨークのお嫁さんをくれてやるよ」と言われている。賢治の近くに住んでいて,このキャラクターに一致するような人物はいるのであろうか。鉄道庁の「甥」であることがヒントになるのかもしれない。しかし,人物を特定しても物語の本意は明らかにはされないと思われる。また,前稿で述べたが〈シグナル〉と〈シグナレス〉および結婚をサポートした人物以外の特定は避けたい。

 

ただ,後見人として「八年の間,夜ひる寝ないで面倒を見て」というのが気になる。米地(2016)もこのキャラクターを「最も矛盾に満ちた」存在としていた。当然である。夜昼寝ないで世話できる人間などいない。〈本線シグナル附きの電信柱〉には,人間を超えた存在としてのキャラクターが二重に投影されているように思える。

 

「八年の間,夜ひる寝ないで面倒を見て」の「八年」とは何を意味しているのか。この物語が大正11(1922)年に創作されたものとすれば,8年前とは大正3(1914)年である。この年,18歳になった賢治にとって重要な出会いがあった。人間ではない。それは,『法華経』との出会いである。

 

賢治の弟の清六は,賢治が盛岡高等農林学校へ進学するための受験勉強をしていた頃(大正3(1914)年秋)の兄について,「賢治は,赤い経巻である島地大等編纂の『漢和対照妙法蓮華経』に出会い,その中の特に「如来寿量品第十六」を読んで感動し,驚喜して身体がふるえて止まらず,この感激を後年ノートに「太陽昇る」と記していた。そして,以後賢治はこの経典を常に座右に置いて大切にし,生涯この経典から離れることはなかった」と回想している(宮沢,1991)。翌年(大正4年),賢治は盛岡高等農林学校へ進学し寮生活が始まるが,2年のとき毎朝寮の2階より賢治の法華経読経の声が聞こえたという。そして,大正8(1919)年に日蓮主義を唱える田中智学の講話を聞き共感し,翌年に国柱会に入会している(原,1999)。

 

この頃,「法華経」への信仰心がますます強くなり,父母一家の改宗を熱望するが聞き入れられず,また父子が激しく論争するようになる。大正10(1921)年1月23日夕刻「頭の上の棚から日蓮の御書(おんふみ)が2冊背中に落ち」たのを機に,無断で上京する。そして,アルバイトをしながら国柱会の奉仕活動を始めることになる。帰花したのは,同年8月頃で,翌年の大正10年12月に稗貫郡立稗貫農学校教諭(後の県立花巻農学校)となる。賢治がある女性と運命的な出会いをしたのはこの頃と言われている(前稿参照)。

 

すなわち,賢治は8年前からこの女性と恋に落ちるまで島地大等編纂の『漢和対照妙法蓮華経』を寝るときも含め,常に身近な所に置いていたと思われる。岩波文庫のではあるが,『法華経』は28品の章から校正されているが,「如来寿量品第十六」以外に重要な章としての「安楽行品(あんらくぎょうほん)第十四」がある。この「安楽行品」には,「法華経」を広めるために菩薩などの修行僧が心がけるべき4つの行法(四楽案行)が説かれている。第1に行動と交際の範囲を厳守せよ(人々の集まる娯楽の場所や色街あるいは女性に近づくな)。第2に他人を非難し敵視せず,また他人と論争するな。第3に依怙贔屓(えこひいき)するな。そして第4に他人を信仰させ,さとりを達成しうるように成熟させるべし。という教えである(坂本・岩本,1994)。

 

「如来寿量品第十六」を読んで感動した賢治が,修行するために必須の「安楽行品第十四」を読まないわけがない。しかし,賢治は「四楽案行」のうち特に第1の「人々の集まる娯楽の場所や色街あるいは女性に近づくな」の教えにどのように対処していくべきか悩んだと思われる。修行の身ではあるが20代という多感な時期の賢治にとって娯楽や女性の誘惑に打ち勝つのはかなりの労力が必要だったと思われる。

 

関徳彌が賢治三十歳前後の頃のことを回想して自著『賢治随聞』に次のようなことを書き留めている(信時,2002)。

 

ある朝,館の役場の前の角で旅装の賢治に会い,「どちらへおいでになったのですか」ときくと「岩手郡の外山牧場へ行って来ました。昨日の夕方出かけて行って,一晩中牧場を歩き,いま帰ったところです。性欲の苦しみはなみたいていではありませんね。」と言ったということです。

多分,「法華経」を読経しながら歩いていたのであろう。

 

2.本線シグナル附きの電信柱は普賢菩薩の化身である

「法華経」には「法華経」の信者を娯楽や女性の誘惑から守ってくれる菩薩がいる。この菩薩は,「法華経」の「普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼっぽん)第二十八」に登場する「普賢菩薩」である。

 

「普賢菩薩勧発品第二十八」には「世尊若後世。後五百歳。濁悪世中。・・・求索者。受持者。読誦者。書写者。欲修習是法華経。・・・我当乗六牙白象。・・・現其人前。・・・亦復与其。陀羅尼呪。得是陀羅尼故。無有非人。能破壊者。亦不為女人。之所惑乱。我身亦自。常護是人。唯願世尊。聴我説此陀羅尼。・・・阿檀地 檀陀婆地 檀陀婆帝 」(世尊よ,若し後の世の後の五百歳の濁悪の世の中に・・・求索せん者,受持せん者,読誦せん者,書写せん者,この法華経を修習せんと欲せば・・・われは当に六牙の白象に乗りて・・・その人の前に現われて・・・陀羅尼呪を与えん。この陀羅尼を得るが故に非人の,能く破壊する者あること無からん。亦,女人に惑乱(わくらん)する所とならざらん。わが身亦,自ら常にこの人を護らん。唯,願わくは世尊よ,わがこの陀羅尼呪(だらにしゅ)を説くことを聴(ゆる)したまえ。・・・・(以下陀羅尼呪が続く)あたんだい たんだはち たんだばてい・・・)とある(坂本・岩本,1994)。なお,「陀羅尼呪」は呪文のことで秘密の法であることから翻訳すべきではないとされている。

 

少し砕いて説明すれば,「普賢菩薩」は,釈迦如来に次のことを誓っている。わたしは法華経を一心に修業して学ぶ者がいれば,その者の前に白い象に乗って現れ,常に修行を妨害する者,誘惑する女から守る。また,そのためには必要な呪文を説くであろう。

 

すなわち,物語の〈本線シグナル附き電信柱〉は「普賢菩薩」の化身であり,〈シグナル〉が〈シグナレス〉に近づかないように「八年の間」,人間では出来ない力を発揮して「夜ひる寝ないでめんどうを見て」いたということになる。〈シグナル〉は昼だけでなく,夜も夢の中に現れる「普賢菩薩」の化身としての〈本線シグナル附き電信柱〉から世話を受けていたのであろう。

 

〈本線シグナル附き電信柱〉は〈シグナル〉と〈シグナレス〉がおしゃべりを始めると「出鱈目(でたらめ)の歌」を歌う。例えば「ゴゴンゴーゴー,やまのいわやで,熊が火をたき,あまりけむくて,ほらを逃にげ出す。ゴゴンゴー,田螺(たにし)はのろのろ。うう,田螺はのろのろ。田螺のしやつぽは,羅紗(ラシャ~の上等(じょうとう),ゴゴンゴーゴー」と歌う。〈シグナル〉と〈シグナレス〉はこの歌を聞くと黙り込んでしまう。これは,「法華経」の陀羅尼呪にあたるもので,〈シグナレス〉などの女性が〈シグナル〉に近づけさせないための〈本線シグナル附き電信柱〉の呪文である。「法華経」の呪文でもあるので何を言っているのかは分からない。

 

しかし,この呪文の効果は絶大で,〈シグナル〉と〈シグナレス〉の恋は近親者たちの猛反対を受けることになる。すなわち,破局に向かっているということを暗示させて物語が終わる。

 

これは私の単なる推測にすぎないが,賢治が童話『シグナルとシグナレス』を岩手毎日新聞という地方紙で発表したのは,〈シグナル〉に自分を投影させて自分は「法華経」の教えに叛いてでも結婚したかったが,「誤解」がもとで結婚が反対されてしまったということを近親者たちに伝えたかったからと思われる。すなわち,結婚に対する理解を求めたのだと思う。

 

だから,この物語を発表した時,賢治と恋人はまだ結婚を諦めてはいない。童話で二人は「ああ,シグナレスさん,僕たちたった二人だけ,遠くの遠くのみんなの居ないところに行つてしまひたいね」「えゝ,あたし行けさへするなら,どこへでも行きますわ」と,近親者たちの理解を受けられなければ駆け落ちも辞さない覚悟を語っている。

 

実際に「法華経」の力が勝って二人の恋の終止符が打たれるのは大正13(1924)年である。二人は駆け落ちすることもなく,恋人は新天地での生活を求めて6月14日に渡米する。多分,賢治はこの物語を執筆してから恋人が渡米するまでの間に,「自分たちの幸せ」よりも「みんなの幸せ」,すなわち恋を諦め「法華経」を選んでしまったのであろう。(了)

 

参考資料と引用文献

原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

信時哲朗.2002.宮沢賢治とハヴロック・エリス-性教育・性的周期律・性的抑制・優生学-神戸山手大学環境文化研究所紀要 6:23-37.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

宮沢清六.1991.兄のトランク.筑摩書房.

坂本幸男・岩本 裕(訳注).1994.法華経(上)(中)(下).岩波書店.

澤口たまみ.2010.宮澤賢治 愛のうた.盛岡出版コミュニティー.

米地文夫.2016.宮沢賢治「シグナルとシグナレス」の三重の寓意 ― 岩手軽便鉄道国有化問題と有島武郎の恋と天球の音楽と ―.総合政策 17(2):177-196.

シグナルとシグナレスの反対された結婚 (2) -実在した人物に対応させることができるか-

キーワード: 移住者,先住民,出自

 

前稿で〈本線シグナル附き電信柱〉が激怒して2人の結婚に反対した理由について,特に反対のきっかけになったことを中心に話した。本稿では,賢治が生きた時代に〈シグナル〉と〈シグナレス〉のキャラクターに当てはまる実在の人物がいたのかどうか検討する。ただし,「シグナルと「シグナレス」,および2つのキャラクターの結婚をサポートしたものなどに限る。また,〈シグナレス〉に対応すると思われる人物の名は示さない。

 

賢治は大正13(1924)年に9つの童話を集めた童話集『注文の多い料理店』を出版しているが,その広告文に「これらは決して偽でも仮(ママ)空でも窃盗でもない。多少の再度の内省と分折(ママ;「析」の誤植)とはあっても,たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである。どんなに馬鹿げてゐても,難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である。卑怯(ひきょう)な成人たちに畢竟(ひっきょう)不可解な丈(だけ)である」(下線は引用者,以下同じ)と記載している。また,詩集『春と修羅』では詩のタイトル下に「mental sketch modified」と記載し,心象スケッチを修正したものもあるとしている。『シグナルとシグナレス』は賢治の心象をそのままスケッチしたかもしれないが,悲恋物語ということもあり,かなりの修正が加えられた可能性が高い。だから,100年前の出来事とはいえ実在する人物との対応は慎重でありたい。

 

「mental sketch modified」として知られている詩に「原体剣舞連」がある。昔,平泉の達谷窟という洞窟に住んでいたと伝えられる採取・狩猟文化を有する先住民族「蝦夷(えみし)」のリーダー悪路王の伝説にもとづくものである。やがて,侵略してきた大和朝廷によって,はげしい激戦の末滅ぼされてしまった。賢治研究家の力丸光雄は,この詩の「気圏の戦士わが朋たちよ/青らみわたる顥気をふかみ/楢と椈とのうれひをあつめ」という詩句には,「一万数千年のあいだ,サケ・マスとともにナラ林ないしブナ林に支えられてきた縄文の文化が,弥生の勢力に押され,いつしか山林の奥に消え去った先住の人たちの怨念が籠められていて,その怨念や地霊を鎮める祈りが,大地を踏みしめて踊る剣舞に表現されている」と述べている(力丸,2001)。

 

しかし,実際に見た剣舞からは詩に書かれてあるようなことは全く感じられない。少なくとも私には。第1図は,原体剣舞の様子を撮ったものである。踊っているのは大人ではなく小学生高学年くらいの子供たちである。また,詩にあるように踊り手が「菩提樹皮と縄とをまとふ」ということもない。きらびやかな衣裳をまとっている。観光化してしまったことによると思われるが,詩に書かれてあるような勇壮なイメージはない。修正された「mental sketch」というよりは別物に見えてしまう。賢治の心象スケッチは場合によっては,かなり修正されるとみたほうがよい。

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第1図.原体剣舞(宮沢賢治生誕120年記念行事にて)

 

これまで,『シグナルとシグナレス』に登場するキャラクターと実在する人物を対応させたものとして,2つの仮説が提出されている。一つはエッセイストの澤口たまみ(2010)によるもので,この物語は大正11年に賢治自身が実際に体験した悲恋に基づいているとしている。具体的には,賢治が東北本線側・シグナル側で,恋人が岩手軽便鉄道側・シグナレス側に属していると考えている。私も澤口の説を支持する。もう一つは,賢治研究家の米地文夫(2016)によるもので,小説家である有島武郎と恋人(新渡戸稲造の姉の娘)との悲恋がモデルであるとした。

 

この作品は事実がかなり修正されて作られていると思うが,それでも主要登場キャラクターにはかなり事実が重ねられていると思っている。本稿では,私が澤口の説を支持する理由を2つのキャラクターが所属する「本線」と「軽便鉄道」のモデルとなった鉄道の歴史的背景や賢治と恋人の出自から明らかにしていく。

 

1.物語の舞台

物語の舞台は,国営の東北本線と私鉄の岩手軽便鉄道が合流する花巻駅周辺がモデルになっている。両鉄道の創設目的など物語の理解に役立つので最初に簡単に紹介しておく。

 

国営の東北本線(上野~青森間)の前身は明治14年(1881)に開設された日本鉄道株式会社(私鉄)である。この会社は旧大名(士族)・公卿(華族)の財産(金禄公債など)を鉄道に投資することにより,彼らの物質的地位を安定させること,ならびに沿線の産業開発や開拓を急いでいる北海道への人材や物資の輸送を目的にし,京都生まれで父が公卿であった岩倉具視らが中心となって設立された(中村,2011)。当初の資本金は2000万円で,小説家の有島武郎の父であり,薩摩藩の郷士の出である有島 武やNHK 大河ドラマ「青天を衝け」でもお馴染みの渋沢栄一が取締役として名を連ねている。この頃は,華族・富豪・高級官僚などが土地の開拓・農牧場の経営を盛んにしていた時期であった。明治17(1884)年の上野~高崎間の開業式典には,それが一民間企業のものにも係わらず皇族・大臣・参議・各国公使などに伴われて明治天皇が出席している。明治23年(1890)に東北本線が盛岡駅まで延伸開業した翌年には,盛岡に副社長の小野義眞,大株主で三菱財閥の岩崎彌之助,鉄道庁長官の井上勝の三名で共同創始者となった「小岩井」農場が開設された。

 

資本金2000万円の現在的価値はどのくらいだろうか。ネットでの企業物価指数(戦前基準指数)を用いた計算によると大正10年の1円は平成29年(2017年)では530.7円になるそうだ。ようするに,旧大名や公卿たちが東北本線に投資した額は当初約100億円であった。

 

一方,岩手軽便鉄道(花巻~仙人峠)は,資本金100万円(今では約5億円)で本社は花巻町に置かれ,筆頭株主は釜石製鉄所長で宮沢賢治の母方の祖父・宮沢善治も株主として出資していた。しかし,株主の大半は沿線住民であったという。多くの沿線住民が株に投資したのは,東北本線での士族・華族の投資目的と違って,「全県血行不良」と報じられるほどに県内,ことに内陸部と海岸部の連絡がむずかしかった現状をなんとかしたいという願いがあったからと言われている(信時,2007)。すなわち,県民の足としてなくてはならないものであった。

 

2.異説への反論

話しを元に戻す。米地文夫は澤口の説に対して以下の4つの根拠を基に反論している。

 

(1)岩手軽便鉄道や花巻電鉄,花巻電気などの諸会社は相互に密接に結びついていており,賢治の母方の宮沢家も父方の宮沢家も,ともにこれらの事業に深く関わっていた。したがって,賢治は岩手軽便鉄道側・シグナレス側の人間であり,東京と結びついた東北本線側・シグナル側には属していない。

 

(2)恋する二人を応援する立場をとる「倉庫の屋根」は賢治の父・政次郎を思わせる,と澤口はいう。しかし,その「倉庫の屋根」は二人の恋に口出しすることを「何を縁故で」口出しするのかと咎(とが)められた時に「おれは縁故と云へば,大縁故さ,縁故でないと云へば,一向縁故でも何でもないぜ」と答えている。実の親子でありながら,こんなことを言うはずはない。したがって,「倉庫の屋根」のモデルは父・政次郎ではない。

 

(3)澤口は二人の結婚に反対する「鉄道庁」が誰を指すか確定できず,ただ「近親者」とのみ書いており,説得力に欠けている。

 

(4)また,賢治は花巻の裕福な家の出身とはいっても,商家の子息を「若さま」などと呼ぶことはないし,まして賢治自身が自分を「若さま」と呼ばれる存在として登場させることはありえないであろう。

 

私は澤口の説を支持しているので,ここで米地の主張(1)~(4)に対して反論(counterargument)してみる。(1-C)は(1)に対する反論を意味する。

 

(1-C)確かに,賢治の叔父にあたる宮沢善治は直接経営に携わっていないものの岩手軽便鉄道の株を持っていた。しかし,株も所有していない父・政次郎や賢治が岩手軽便鉄道側かどうかは疑問である。むしろ,東北本線側のようにも思える。賢治の父方の祖父・喜助は質・古着商で財を成したが,それは利益の少ない貧しい農民相手ではあったが,勤勉に働いたことと,明治24(2891)年に全線開通した東北本線の土木工事によって流入してきた労働者がお客になってくれたことによる。沿線の町々は好景気に沸き,祖父・喜助もその恩恵を受けた。家業を引き継いだ父・政次郎も,貧しい農民相手の商売ではあったが,さらに東北本線を利用して関西・四国まで足を伸ばして古着(流行遅れの新品など)を買い占め,日詰などの近郷の古着屋に卸売りをしたりして財を増やした。また,第一次大戦の景気上昇期には株式投資にも才を発揮した。後年,父・政次郎は「自分は仏教を知らなかったなら三井,三菱くらいの財産を作れただろう」と述懐したという(宮沢,2001)。

 

東北本線の鉄道建設工事は南から北へ北上する形で進められ,宮城県,岩手県を北上するときは北上川に沿って進められた。これは,古代の聖武,桓武朝時代に「蝦夷征討(えみしせいとう)」と称して東北の北上川に沿って造営された城柵,多賀(たが)城→胆沢(いさわ)城→志波(しわ)城の北上と類似している。まさに,東北本線は近代の「蝦夷征討」のようなものにも思える。宮沢一族は後でものべるが京都の公家侍・藤井将監を始祖としている。

 

賢治もまた,東京の図書館や本屋あるいは水沢緯度観測所などに行くために繰り返し東北本線を利用している。また,賢治は大正9年(1920)に「天皇制国家主義」(あるいは超国家主義)の思想を組み込んだ日蓮主義を主張する田中智学の「国柱会」に入会している。さらに,1921年1月に家出して国柱会へ行くが,2日目に明治天皇を祭神とする明治神宮を参拝している。賢治は数ある法華経教団から「国柱」会を選んでいるわけであるから,当然,入会時には田中智学の「天皇制国家主義」にも賛同しているはずである。すなわち,入会時に賢治は,天皇家に対する国民の服従こそ最高の道徳であり,世界中が天皇家を中心にまとまれば,「みんなのほんたうのさいはひ」が実現できると信じたと思われる(石井,2021)。前述したように,東北本線は,京都出身で華族の岩倉具視が鉄道創設に係わっている。すなわち,賢治と父・政次郎を東北本線側といっても良いように思える。

 

一方,賢治の恋人は,生粋の東北人と思われる。花巻の賢治研究家である佐藤(1984)によれば,この女性(恋人)は,賢治と同じ花巻(賢治の家の近く)の家業が蕎麦屋である娘で,花城小学校で代用教員をしていた。この蕎麦屋は宮沢一族が花巻に移住してくる以前に創業していたとされている。すなわち,花巻では宮沢一族よりも先住と思われる。恋人は賢治より4歳年下の背が高く頬が薄赤い色白の美人であったという。出会いは大正10(1921)年12月に賢治が稗貫郡立稗貫農学校教諭(後の花巻農学校)になり,その頃から隣の女学校教師・藤原嘉藤治と一緒に始めたレコード鑑賞会であった。かなり熱烈な恋愛であったらしい。その後,宮沢家から相手側に結婚の打診がなされ,近親者の中には,二人の結婚を予想しているものも多かったという。しかし,両家の近親者たちの反対があったようで1年足らずで破局した。恋人は破局後に渡米(1924.6)し,3年後に異国の地で亡くなっている。

 

また,岩手軽便鉄道は花巻から仙人峠を繋ぐ岩手軽便鉄道は東北人の祖先でもある古代蝦夷が住んでいた北上山地を横断する。

 

すなわち,京都からの移住者の末裔である賢治や父・政次郎は東北本線側・シグナル側であり,先住の女性である恋人は岩手軽便鉄道側・シグナレス側である。

 

前稿で推測した〈シグナル〉と〈シグナレス〉の両家の間にあるのっぴきならない事情とは,「朝廷」とまつらわぬ民としての「東北人」の歴史的対立のことである。これは,賢治が生きていた時代にも影響を及ぼしていると思われる。例えば,明治元(1868)年~明治2年の間,「王政復古」を経て樹立された新政府軍と,旧幕府軍・奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)が戦った日本最大の内戦があった。「王政復古」では岩倉具視ら倒幕派公卿が参加し明治天皇より勅令「王政復古の大号令」が発せられた。東北を戦場にした戦いでは仙台藩が奥羽越列藩同盟の盟主として戦ったが敗れた。仙台藩は戦後処理で領地の2/3を失い多くの藩士が路頭に迷った。中には開拓民として咸臨丸で北海道へ渡ることを余儀なくされたものもいる。ちなみに,恋人の母親は仙台藩の客分であった高級武士の娘であったという(佐藤,1984)。客分とあるので,恋人の母方の家は伊達家と主従関係のない同格の家柄ということになる。童話で〈シグナレス〉が〈シグナル〉に話しかけるとき叔母さんたちの目をしきりに気にしていたことと関係があるのかもしれない。 

 

農学校時代の同僚・白藤慈秀の話として,「宮澤さんの生涯の仕事は,大きい構想を立ててやられたものです。農村と農民に味方して,あらゆることの,土台になっています。「町の人たちが,農村をバカにしているのは怪(け)しからない」と,言い言いしておりました。糞尿(こえ)をくまないで町の人たちをこまらしてやれといった事も言ったりしておりました。化学肥料を使えば,いっこう町のコエを使わなくてもいいと言うのです。花巻黒沢尻あたりの財閥は,農村を搾取してできたものだ。これをまた農村に返させるのが自分の仕事だといっていました。」という逸話が残っている(堀尾,1991)。

 

この逸話の「町の人たち」を「東北」に移住してきて財を成した商人や地主,「農民」を没落した先住の商人や小作人とすれば理解しやすいかもしれない。当然,「町の人たち」には宮沢家が含まれる。

 

(2-C)澤口は,「倉庫の屋根」のモデルを父・政次郎とは言っていない。政次郎あるいは政次郎の妹の嫁ぎ先の岩田家など,親戚筋の誰かかもしれないと言っているだけである。私は,父・政次郎ではなく政次郎の妹の嫁ぎ先の親戚筋の誰かだと思っている。物語で「倉庫の屋根」は〈シグナル〉や〈シグナレス〉の近くにいて「親切」で「ずいぶん太っている」というキャラクターに設定されている。賢治の近くに住んでいて親切そうな人物とは誰であろうか。

 

賢治の友人である藤原嘉藤治は「親切」であったが親戚ではないし住まいも盛岡である。賢治がこの物語を書いた前年にあたる大正11年の書簡によれば(大正12年の書簡は1通の年賀状以外まったく残されていない),この頃,賢治は同郷の関徳彌(とくや)(関とあるが本名は岩田)と何度か連絡を取り合っている。関は賢治と同じ花巻生まれで,徳彌の父が賢治の祖父・喜助の妻の異母兄にあたる。賢治より3歳年下である。徳彌は後年岩田家と養子縁組をして岩田姓となっている。徳彌にとって賢治は「縁故と云へば,大縁故さ,縁故でないと云へば,一向縁故でも何でもないぜ」にあたると思われる。徳彌は賢治を兄のように敬慕していて,結婚や信仰など,人生上の重大事を賢治に相談していた。法華経に帰依していて同時期に国柱会に入っている。また,『新宮澤賢治語彙辞典』の写真を見る限り体格も良いように見える(原,1999)。多分,「倉庫の屋根」は,澤口がすでに指摘しているように父・政次郎の妹の嫁ぎ先の人物をモデルにしたのかもしれない。

 

(3-C)澤口は「鉄道庁」が誰だかは明らかにしていないが,私は父・政次郎であると思っている。賢治の結婚に最終的な判断を下せるのは当時絶大な権限を有していたと思われる家長の父であろう。賢治が18歳の頃に岩手病院の看護師に恋をしたが,父親に反対されて断念している。ただ,この恋は片想いであったらしい。

 

(4-C)米地は,「たとえ賢治が花巻の裕福な家の出身とはいえ,商家の子息が「若さま」などと呼ばれることはない」と異議を唱えている。しかし,賢治の出自を考えればそれもあり得る話しである。賢治の母方・父方の先祖は,江戸時代初期に京都から花巻に下った公家侍・藤井将監を始祖としている。この子孫が花巻の地で商工の業を営み「宮沢一族」と呼ばれる地位と富を築いた。中でも母方の祖父・宮沢善治は一代で実業家として,あるいは県内の山林原野を手中に納める大地主として財をなし,県でも有数の多額納税者となった。花巻銀行,花巻温泉,岩手軽便鉄道の設立にも尽力した。ちなみに,大正5年の所得納税額(90万円)は県内で18番目(花巻では4番目),地租納税額(164万円)は9番目(花巻では3番目)である。

 

この善治の娘・イチが,同族の宮沢政次郎と結婚し賢治が生まれた。それも実家である宮沢善治の家で生まれた。同族同士の結婚は宮沢家では珍しいことではない。賢治の妹のシゲは父・政次郎の妹の子と結婚している。これらは,同族間の強い絆の表れである。「移住者」の一族が移住先で強い絆で結ばれることはよく知られている。また,賢治の父・政次郎も家業の質・古着商を引き継ぎ事業に成功し,総合花巻病院の設立に関与した。政次郎の大正5年の所得納税額(13万円)は花巻で11番目である(畑山・石,1966;堀尾,1991,;深澤,2005)。米地は賢治の家を「たとえ賢治が花巻の裕福な家の出身とはいえ」と言って過小評価しているが,宮沢家は花巻ではけっこう裕福な家である。叔父の善治の家にいたっては岩手県の中でも指折りに数えられる。

 

賢治も自分の祖先が武家であることと,そして「東北」以南から下ってきて花巻の地で財をなした「移住者一族」の末裔であることを自覚していたと思われる。「春と修羅 詩稿補遺」の未定稿詩に「そもそも拙者ほんものの清教徒ならば・・・」で始まる詩や,『春と修羅』の「過去情炎」(1923.10.15)に「わたくしは移住の清教徒(ピユリタン)です/・・・わたくしは待つてゐたこひびとにあふやうに/応揚(おうやう)にわらつてその木のしたへゆくのだけれども/それはひとつの情炎(じやうえん)だ/もう水いろの過去になつてゐる」とあるからである。すなわち,賢治には裕福になった武家出身という自覚があり,さらに自分を清教徒と呼ぶくらいだから,若さまと呼ばれたり,自分を若さまと思ったりすることがあっても不思議ではない。賢治が作品の中で自分を若さまと書くはずはないと考える人もいるかもしれないが,むやみに賢治を聖人扱いにする必要はないと思う。賢治だって,「若さま」あるいは類似した言葉を言われて気持ちよくなったこともあったと思う。晩年,教え子の柳原昌悦に出した書簡(488)では,「私のかういうみじめな失敗は・・・「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します」と述懐しているではないか。

 

米地は,澤口の説を否定して代わりに新しい説を出してきた。〈シグナル〉と〈シグナレス〉の恋は小説家である有島武郎と恋人(新渡戸稲造の姉の娘)との悲恋がモデルとなっているというものである。しかし,有島の恋人は花巻ではなく有島が北海道の札幌農学校に編入学し,新渡戸家に寄留していた頃(明治29年)に出会った人である。有島はこの恋人をモデルとして大正11(1922)年に小説『星座』を執筆した。米地は,賢治がこの小説を読んだ可能性が高いとして,有島武郎と恋人をモデルにして『シグナルとシグナレス』を創作したとしている。しかし,賢治がすでに小説化されているものを,参考にするくらいなら分かるが,同じモデルを使い舞台を花巻に変えて創作するとは思えない。童話集『注文の多い料理店』の広告文でも「窃盗はしない」と言っている。また,有島武郎と恋人の結婚に反対したのは父・武であり近親者ではない。

 

以上,米地の主張に対して自分の考えを述べた。私は,〈シグナル〉と〈シグナレス〉の恋は澤口がすでに指摘していたように賢治と恋人との大正11年の恋がモデルになっていたと考える。ただ,賢治と恋人以外の人物に関しては候補を挙げたものの想像の域をでないものと思っている。あるいは特定する必要もないのかもしれない。次稿は澤口が触れずに,また米地が「最も矛盾に満ちた不自然な性格」であり「該当者不明」とした〈本線シグナル附き電信柱〉について考察する。(続く)

 

参考資料と引用文献

深澤あかね.2005.近代化過程における地方都市商業者の関わり-岩手県花巻市地方のインフラ整備を中心に-.東北大学大学院教育学研究年報 54(1):215-239.

原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

石井竹夫.2021.植物から『烏の北斗七星』の謎を読み解く(4).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/05/04/085337

畑山 博・石 寒太.1996.宮沢賢治 幻想紀行.求龍堂.

堀尾青史.1991.年譜 宮澤賢治伝.中央公論社.

中村建治.2011.日本初の私鉄「日本鉄道」の野望 東北線誕生物語.交通新聞社.

信時哲朗.2007.鉄道ファン・宮澤賢治 大正期・岩手県の鉄道開業日と賢治の動向.https://www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/papers/tetsudo.html

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

宮沢賢治.2001.新校本宮澤賢治全集第十六(下)補遺・資料 年譜篇.筑摩書房.

力丸光雄.2001.《賢治と植物》-心象の博物誌.宮沢賢治16:50-61.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治 青春の秘唱“冬のスケッチ”研究.十字屋書店

澤口たまみ.2010.宮澤賢治 愛のうた.盛岡出版コミュニティー.

米地文夫.2016.宮沢賢治「シグナルとシグナレス」の三重の寓意 ― 岩手軽便鉄道国有化問題と有島武郎の恋と天球の音楽と ―.総合政策 17(2):177-196.

シグナルとシグナレスの反対された結婚 (1) -そのきっかけはシグナレスが笑ったから-

キーワード:  エルサレムアーティチョーク,失笑,嘲笑

 

童話『シグナルとシグナレス』は大正12(1923)年5月11日~23日にかけて岩手毎日新聞に掲載されたものである。タイトルにある〈シグナル〉は,本線側の金属製で電燈と信号腕木が付いた新式の信号機のことで擬人化されていて話すことができる。〈シグナレス〉は軽便鉄道側の木製でランプと信号腕木が付いた信号機で〈レス,less〉とあるように女性がイメージされている。この物語は,本線側の〈シグナル〉と軽便鉄道側の〈シグナレス〉の相思相愛の結婚が,特にシグナル側の近親者から組織だった反対を受けるというものである。この悲恋には実際の恋のモデルがあると言われている。エッセイストの澤口たまみ(2010,2018)は,この悲恋物語は大正11年に賢治自身が実際に体験した恋愛に基づいているとしている。異論もある。賢治研究家の米地文夫(2016)は小説家である有島武郎と恋人(新渡戸稲造の姉の娘)との恋愛がモデルであるとした。しかし,悲恋のモデルが誰であるかは次稿(2)と次次稿(3)で考察するとして,本稿では〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚が反対された理由を物語に記載されている事のみから推測してみたい。

 

まずは,結婚が反対された理由が記載されている場面を引用する。賢治の文体は歴史的仮名遣いを用いているので拗音である「ゃ ゅ ょ」 は大書きして,「や ゆ よ」になっている。少し読みづらいが以下に示す。

引用文A

『ね,僕ぼくはもうあなたの為なら,次の汽車の来るとき,頑張って腕を下げないことでも,なんでもするんですからね,わかったでせう。あなたもその位の決心はあるでせうね。あなたはほんたうに美しいんです,ね,世界の中にだって僕たちの仲間はいくらもあるんでせう。その半分はまあ女の人でせうがねえ,その中であなたは一番美しいんです。もっともほかの女の人僕よく知らないんですけれどね,きっとさうだと思ふんですよ,どうです聞こえますか。僕たちのまはりに居るやつはみんな馬鹿ですね,のろまですね,僕とこのぶつきりこが僕が何をあなたに云つてるのかと思って,そらごらんなさい,一生けん命,目をパチパチやつてますよ,こいつときたら全くチヨークよりも形がわるいんですからね,そら,こんどはあんなに口を曲げてゐますよ。呆(あき)れた馬鹿ですねえ,僕のはなし聞こえますか,僕の……』

『若さま,さつきから何をべちやべちや云っていらつしやるのです。しかもシグナレス風情と,一体何をにやけていらつしゃるんです』

 いきなり本線シグナル附きの電信ばしらが,むしやくしやまぎれに,ごうごうの音の中を途方もない声でどなつたもんですから,シグナルは勿論シグナレスも,まつ青になつてぴたつとこつちへ曲げてゐたからだを,まっすぐに直なおしました。

『若さま,さあ仰しやい。役目として承(うけたまわ)らなければなりません』

 シグナルは,やつと元気を取り直なおしました。そしてどうせ風のために何を云っても同じことなのをいいことにして,

『ばか,僕はシグナレスさんと結婚して幸福になつて,それからお前にチヨークのお嫁さんをくれてやるよ』と,こうまじめな顔で云つたのでした。その声は風下のシグナレスにはすぐ聞こえましたので,シグナレスは恐いながら思はず笑つてしまひました。さあそれを見た本線シグナル附きの電信ばしらの怒りやうと云つたらありません。早速ブルブルツとふるへあがり,青白く逆上(のぼせ)てしまひ唇をきつとかみながらすぐひどく手をまわして,すなわち一ぺん東京まで手をまわして風下に居る軽便鉄道の電信ばしらに,シグナルとシグナレスの対話がいつたいなんだつたか,今シグナレスが笑つたことは,どんなことだつたかたずねてやりました。

 ああ,シグナルは一生の失策をしたのでした。シグナレスよりも少し風下にすてきに耳のいい長い長い電信ばしらが居て,知らん顔をしてすまして空の方を見ながらさつきからの話をみんな聞いてゐたのです。そこでさつそく,それを東京を経て本線シグナルつきの電信ばしらに返事をしてやりました。本線シグナルつきの電信ばしらはキリキリ歯がみをしながら聞いてゐましたが,すつかり聞いてしまうと,さあ,まるでばかのやうになつてどなりました。

『くそつ,えいつ。いまいましい。あんまりだ。犬畜生,あんまりだ。犬畜生,ええ,若さま,わたしだって男ですぜ。こんなにひどくばかにされてだまつてゐるとお考へですか。結婚だなんてやれるならやつてごらんなさい。電信ばしらの仲間はもうみんな反対です。シグナルばしらの人たちだって鉄道長の命令にそむけるもんですか。そして鉄道長はわたしの叔父ですぜ。結婚なりなんなりやつてごらんなさい。えい,犬畜生め,えい』

 本線シグナル附きの電信ばしらは,すぐ四方に電報をかけました。それからしばらく顔色を変へて,みんなの返事をきいてゐました。確かにみんなから反対の約束を貰ったらしいのでした。それからきつと叔父のその鉄道長とかにもうまく頼んだにちがいありません。シグナルもシグナレスも,あまりのことに今さらポカンとして呆れてゐました。本線シグナルつきの電信柱は,すつかり反対の準備ができると,こんどは急に泣き声で言ひいました。

『あゝあ,八年の間,夜ひる寝ねないでめんどうを見てやつてそのお礼がこれか。あゝ情ない,もう世の中はみだれてしまつた。あゝもうおしまいだ。なさけない,メリケン国のエジソンさまもこのあさましい世界をお見すてなされたか。オンオンオンオン,ゴゴンゴーゴーゴゴンゴー』

 風はますます吹ふきつのり,西の空が変に白くぼんやりなつて,どうもあやしいと思っているうちに,チラチラチラチラとうとう雪がやって参まいりました。       

                       (下線は引用者;以下同じ)

 

1.物語の登場キャラクター

主要な登場キャラクターは,本線側の擬人化された信号機〈シグナル〉と〈本線シグナル附きの電信柱〉,そして軽便鉄道側の〈シグナレス〉の3キャラクターである。これ以外に本線側と思われる〈倉庫の屋根〉と軽便鉄道側の〈耳のいい長い長い電信柱〉がいる。この物語は岩手県花巻の東北本線と岩手軽便鉄道が合流する花巻駅周辺が舞台になっている。登場キャラクターの立っている位置を『新宮澤賢治語彙辞典』(1999)に添付されている大正時代の花巻付近図を参考に推定してみる(第1図)。

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第1図.大正時代の花巻駅周辺と登場キャラクターの位置(イメージ図)

 

〈シグナル〉と〈シグナレス〉は岩手軽便鉄道の線路を挟んで北に〈シグナル〉,南に〈シグナレス〉という位置関係で立っている。〈シグナル〉のさらに北で東北本線の線路を越えたところに盛岡電燈(株)花巻変電所があるが,この変電所近くに〈本線シグナル附きの電信柱〉が立っていて,〈シグナル〉に電灯用の電気を送っている。多分,この電信柱は変電所と繋がっている「柱上変圧器のついた電信柱」であろう。当時,賢治の親友である保阪嘉内がこれと同様なものと思われる「柱上変圧器のついた電信柱」のスケッチ図を残しているので参考に挙げておく(第2図)。バケツの形をした変圧器を柱上に備え付けている。この変圧器で送電線から送られてくる高圧の電気の電圧を100Vあるいは200Vに下げて〈シグナル〉に電灯用の電気を送っていたと思われる。

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第2図.柱上変圧器のついた電信柱(保阪嘉内のスケッチ図)

 

〈耳のいい長い長い電信ばしら〉は〈シグナレス〉の遠く離れた南側に立っている。この電信柱は岩根橋発電所から花巻に電気を送る高圧送電線を支える電信柱の一つであろう。多分,高圧送電線は太い電線なので,それを支える電信柱は第1図に示すように2本の木製電柱をアルファベットの「A」の形にした高い電信柱と思われる(送電鉄塔のようなもの)。〈倉庫の屋根〉は東北本線の引き込み線の先端にある稗貫農業倉庫がモデルになっていると思われる。

 

〈シグナル〉は〈本線シグナル附きの電信柱〉からは「若さま」と呼ばれていて,せっかちな性格を有している。〈本線シグナル附きの電信柱〉は,本線〈シグナル〉に夜電気を送る背が低くて太い電信柱で,鉄道長の甥にあたり,また自ら〈シグナル〉の世話をする後見人と名乗っている。物語の語り手からは「太い電信柱」あるいは「太つちょ」と呼ばれ,〈シグナル〉からは「ぶつきりこ」と呼ばれ,礼式も何も知らない野蛮なものとして扱われている。

 

〈シグナレス〉は〈シグナル〉と相思相愛の恋人として登場するが,〈本線シグナル附きの電信柱〉から快く思われていない。〈本線シグナル附きの電信柱〉は,常日ごろから〈シグナル〉が〈シグナレス〉に話しかけたりすると,「若さま,いけません。これからはあんなものに矢鱈(やたら)に声をおかけなさらないやうにねがひます」とか,「シグナレス風情と,一体何をにやけていらつしゃるんです」とか言って〈シグナル〉に注意したりしている。これは,軽便鉄道側にも言える。〈シグナレス〉は朝目覚めたときに「今朝は叔母(おば)さんたちもきつとこつちの方を見ていらつしやるわ。」と独言を言ったりする。〈シグナレス〉はいつも叔母さんたちの目を気にしているのだ。多分,〈シグナレス〉と〈シグナル〉の恋は両方の近親者から快く思われていない。何か両家の間にはのっぴきならない事情があるようだ。

 

2.反対される「きっかけ」になったのは〈シグナレス〉の笑い

この引用文Aを読む限り,反対される「きっかけ」になったのは〈本線シグナル〉と〈本線シグナル附き電信柱〉の会話を聞いて〈シグナレス〉が笑ったことにある。最初〈本線シグナル附き電信柱〉は,風上にいたせいか〈シグナル〉の言葉が良く聞き取れずに,「一ぺん東京まで手をまわし」て〈シグナレス〉の近くにいた軽便鉄道の電信柱に尋ねる。返事を聞いた〈本線シグナル附き電信柱〉は激しく怒り,本線側の近親者に連絡をとって結婚反対の同意をとってしまう。〈シグナレス〉の笑いを誘導したのは,〈本線シグナル〉が〈本線シグナル附き電信柱〉に風上で聞こえにくいことをいい事にして「馬鹿でのろまなぶつきりこ」とか,「チヨークよりも形がわるい」とか,「僕はシグナレスさんと結婚して幸福になつて,・・・お前にチヨークのお嫁さんをくれてやるよ」ということを真面目な顔で言ったことに対してである。

 

結婚が反対された「きっかけ」は以上のことなのだが,難解な言葉がいくつかあって読んだだけでは〈シグナレス〉が笑った理由がよく理解できない。〈シグナレス〉が直接〈本線シグナル附き電信柱〉に悪口を言ったわけではないのに,〈本線シグナル附き電信柱〉は〈シグナレス〉の笑い顔だけで怒る必然性はあるのだろうか。

 

難解な言葉としては,「ぶっきりこ」,「一ぺん東京まで手をまわして」,「チョーク」などである。

 

調べてみた。「ぶっきりこ」は,「ぶっきらぼうな者」から造語されたものとされている。「打 (ぶ) っ切った棒」の意から物の言い方や挙動などに愛想がない人のことをいうそうだ。

 

直接に尋ねることをしないで,「一ぺん東京まで手をまわして・・・たずねる」,また尋ねられた方も「それを東京を経て・・・返事をした」とはどういうことであろうか。研究者によっては賢治流のユーモアなのだという。そうかな。私は大正時代にあった「電話」がイメージされていると思っている。明治23年(1890)に,日本初となる東京〜横浜間での電話サービスが開始される。電話をかけるには,まず電話機についているハンドルを手で回して発電させ「交換手」を呼び出し,つないでほしい相手の電話番号を口頭で伝えて通話の申し込みをする。すると交換手が手動で交換機の線でつないで,通話が成立するというものである。「交換手」は東京と横浜にいた。だから,「一ぺん東京まで手をまわして・・・たずねる」という表現になったのであろう。大正8年(1919)の賢治が書いた書簡(139)に東京に滞在していた賢治が妹・トシの入院で電話を使ったことが記載されている。ただ,花巻には当時電話はなかったと思われる。だから,電話とは書かなかったのかもしれない。

 

すなわち,〈本線シグナル附きの電信柱〉は電話で〈軽便鉄道の電信柱〉に尋ねたのだと思われる。この場合,〈軽便鉄道の電信柱〉はすぐに返答しているので本線側に味方する間諜(かんちょう)あるいは密告者だったのかもしれない。この童話『シグナルとシグナレス』の約1か月前に新聞発表された童話『氷河鼠の毛皮』では「間諜」(スパイ)の役割を担う人物が登場する。

 

では,「チヨーク」とは何であろうか。多分,この言葉を解説することが本稿の結婚反対理由を説明することになると思われる。「チヨーク」は現代仮名遣いでは「チョーク」のことであろう。「チョーク」は英語の「chalk」なら「白墨」,「choke」なら「息が詰まること」あるいは「窒息」のことである。賢治は「白墨」という言葉を詩の中で使うとき「チヨーク」とルビを振ることがある。しかし,「白墨の嫁さん」では意味が通じない。「窒息よりも形がわるい」とも言わない。多分,「チヨーク」は「白墨」の意味でも「窒息」の意味でも使っていないと思われる。

 

賢治が他の童話や詩の中で「チヨーク」あるいは「チョーク」という単語を含む言葉を使っているかどうか調べてみた。

 

すると,「春と修羅 詩稿補遺」〔そもそも拙者ほんものの清教徒ならば〕に「エルサレムアーティチョーク」という言葉を見つけた。

引用文B

そもそも拙者ほんものの清教徒ならば/或ひは一〇〇%のさむらひならば/これこそ天の恵みと考へ/町あたりから借金なんぞ一文もせず/八月までは/だまってこれだけ食べる筈/けだし八月の末までは/何の収入もないときめた/この荒れ畑の切り返しから/今日突然に湧き出した/三十キロでも利かないやうな/うすい黄いろのこの菊芋/あしたもきっとこれだけとれ,/更に三四の日を保する/このエルサレムアーティチョーク/イヌリンを含み果糖を含み/小亜細亜では生でたべ/ラテン種族は煮てたべる/古風な果蔬トピナムボー/さはさりながらこゝらでは/一人も交易の相手がなく/結局やっぱりはじめのやうに/拙者ひとりでたべるわけ/但しこれだけひといろでは/八月までに必らず病む/参って死んでしまっても/動機説では成功といふ

 

引用文Bに登場する「エルサレムアーティチョーク」は,キク科ヒマワリ属の「キクイモ」(菊芋;Helianthus tuberosus L.)のことである。他の別名としてアメリカイモ,ブタイモ,サンチョーク,トピナンブールがある。「キクイモ」の食用部は塊茎である。塊茎とはジャガイモのように地下茎の部分が肥大したものである。芋の形はジャガイモのように滑らかな丸さではなくでこぼこして手や足が付いているような形をしている。強いて喩えるなら縄文時代の遺跡で発掘される「むっくり」とした土偶のような形をしている。ネットで検索すれば見ることができる。

 

「キクイモ」は北アメリカ北部から北東部が原産地であり,幕末から明治の時期に飼料用作物として日本に導入されたものである。だからブタイモという別名があるのかもしれない。塊茎部は,ジャガイモなどの他のイモ類と比較しデンプン質が少ない。食物繊維と難消化性多糖類のイヌリンが多く含まれる。100g中にイヌリン2.2g含む。イヌリンはブドウ糖に果糖が 2~60 個程つながった多糖であるが,難消化性とあるように人間の小腸で消化(分解)されにくく,ブドウ糖あるいは果糖として吸収されることはほとんどない。だから,キクイモはジャガイモの半分以下のカロリーしかないとされている。また,イヌリンは腸内で水分を吸収してゲル状になるので,キクイモを食べれば満腹感が得られやすいという。

 

このように「キクイモ」は食べて満腹感は得られるがこれだけでは十分な栄養を得ることはできない。実際に,賢治は詩の中で「一人も交易の相手がなく・・・拙者ひとりでたべる」,あるいは「但しこれだけひといろでは/八月までに必らず病む/参って死んでしまう」かもしれないと言っている。「一人も交易の相手がなく」は,この詩の先駆形「菊芋」では「とは云へこゝらあたりでは/誰も一人も買い手がない/結局おれが/焼いたり漬けたり/毎日毎日食ふだけだ」となっている。

 

すなわち,賢治が生きた時代では,「キクイモ」の塊茎は姿形がふっくらしてでこぼこしているだけでなくカロリーが十分取れないことから「誰からも相手にされないもの」であった。

 

難解な言葉を解明できたと思われるので引用文Aを要約してみる。

〈シグナル〉は,風上にいた〈本線シグナル附き電信柱〉に自分たちの会話が聞こえにくいということをいい事に,「僕は世界で一番美しい女性と結婚する」が,お前には「チヨーク」な嫁さん,すなわち「誰からも見向きもされない」「貰い手のいない」嫁さんをくれてやると言ってしまった。風下の〈シグナレス〉はこれを聞いて怖いながらも思わず笑ってしまった。

 

〈本線シグナル附きの電信柱〉は二人の会話をはっきり聞き取ることはできなかったが〈シグナル〉が真面目な顔で話している様子と〈シグナレス〉の笑い顔は確認できた。そこで,〈本線シグナル附きの電信柱〉は悪口を言われているのかも知れないと疑って,〈シグナル〉から離れていたが風下にいた〈耳のいい長い長い電信柱〉に「電話」で二人の会話と〈シグナレス〉の笑いがどのようなものだったのか尋ねた。

 

〈耳のいい長い長い電信柱〉は「知らん顔をしてすまして空を見ながら」二人の話しを全て聞いていたので直ぐに〈本線シグナル附き電信柱〉に「電話」で回答した。〈本線シグナル附き電信柱〉はそれをすっかり聞いてしまうと激怒して,四方の親族に「電報」を打って2人の結婚の反対の約束を貰ってしまう。ということになる。

 

以上のように要約してみると,ある重要な事実に気づく。それは〈本線シグナル附きの電信柱〉が二人の会話を直接聞いたのではなく,〈耳のいい長い長い電信柱〉から間接的に聞いただけで,それを本人たちに確かめもせずに激怒したということである。

 

〈本線シグナル附きの電信柱〉は〈シグナル〉の真面目な顔で話している様子と〈シグナレス〉の笑い顔を確認しているが,話しの内容を確認できていない。〈耳のいい長い長い電信柱〉は聴力に長けていて二人の話の内容は確認できているが,「知らん顔をしてすまして空を見ながら」聞いていたので〈シグナル〉の真面目な顔で話している様子と〈シグナレス〉の「恐いながら思はず笑つて」しまった顔を見ていない。すなわち,〈本線シグナル附きの電信柱〉は耳のいい長い長い電信柱〉の不正確な情報を鵜呑みにして激怒している可能性がでてきた。

 

3.〈シグナレス〉の笑いは嘲笑ではなく失笑だった

では,ことの真相はどうであったのか。

 

多分,〈シグナル〉の〈本線シグナル附き電信柱〉への「チヨークよりも形がわるいんですからね」とか「お前にはチヨークの嫁さんを呉れてやる」という言葉は本意ではなかったと思われる。〈シグナル〉は〈シグナレス〉が不断から〈本線シグナル附き電信柱〉からひどい言葉を浴びせられていたので,それを気にしていて,風上で〈本線シグナル附き電信柱〉が聞こえにくいのをいい事として「冗談」(ジヨーク)を言ってしまったのだと思われる。つまり,「チヨーク」は「ジョーク」の意味もある。

 

〈シグナレス〉が「恐いながら思はず笑ってしまった」のは,物語の語り手が語っているので事実(「ほんとうのこと」)である。だから,〈シグナレス〉が笑ったのは「嘲笑」ではなく「失笑」である。〈シグナレス〉は〈本線シグナル附き電信柱〉を怖い存在とみなしているので,「嘲笑」できるはずもない。〈シグナレス〉は,〈シグナル〉の〈本線シグナル附き電信柱〉への言葉を「冗談」と認識したが,それを真面目な顔で言っていたから,そのギャップに「おかしい」と感じ,いつも怖い存在と感じていたけれど笑いをこらえられず思わず笑ってしまったのだと思う。喜劇役者のチャップリンの芸を観客が笑うのは,真面目な顔をしてずっこけたことをするからである。観客の笑いにチャップリンへの軽蔑の気持ちがないように,〈シグナレス〉の笑いにも〈本線シグナル附き電信柱〉への軽蔑の意味は含まれていない。

 

一方,〈本線シグナル附き電信柱〉は〈シグナレス〉から自分の醜い容姿に対して「嘲笑」されたと思っている。〈耳のいい長い長い電信柱〉は,〈シグナル〉が真面目な顔をして話したことを知らないから,〈シグナレス〉の笑い声を単なる「失笑」とはみなさなかった。すなわち,〈耳のいい長い長い電信柱〉は〈シグナレス〉が〈シグナル〉の容姿に対して笑ったと認識したと思われる。勘違いである。そして,〈本線シグナル附き電信柱〉には〈シグナレス〉が〈本線シグナル附き電信柱〉の容姿に対して笑ったと電話で「ほんとうではないこと」を説明した。では,なぜ〈本線シグナル附き電信柱〉は激怒し結婚に反対したのであろうか。これは単なる私の推測だが,〈本線シグナル附きの電信柱〉(=柱上変圧器のついた電信柱)は他の電信柱と違って「キクイモ(=チヨーク)」の塊茎のようにでこぼこして太っているので自分の体型を内心気にしていた。物語の語り手からも「太つちよ」と呼ばれていた。すなわち,〈本線シグナル附き電信柱〉は自分よりも下位の者に自分の気にしていることを笑われたから激怒したのである。

 

確かに,結婚がシグナル側の近親者に反対されたのは〈シグナレス〉が笑ったことによる。しかし,その原因となったのは〈シグナル〉自身が〈本線シグナル附き電信柱〉に語った,「冗談(ジョーク)」と思われるが,「チヨークよりも形がわるいんですからね」とか「お前にはチヨークの嫁さんをくれてやる」という〈本線シグナル附き電信柱〉を傷つける辛辣な言葉である。物語の語り手にも「シグナルは一生の失策をしたのでした。」と言わせている。 

 

ただ,これは結婚が反対された「きっかけ」にすぎない。それも些細なことであり,しかも「誤解」によって引き起こされたものである。結婚が反対された本当の理由は,些細な事を近親者同士の争いにまで拡大してしまう〈シグナル〉と〈シグナレス〉の両家の間にあるのっぴきならない事情にあると思われる。しかし,それはこの物語では隠されている。

 

参考資料と引用文献

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

澤口たまみ.2010.宮澤賢治 愛のうた.盛岡出版コミュニティー.

澤口たまみ.2018.新版宮澤賢治 愛のうた.夕書房.

米地文夫.2016.宮沢賢治「シグナルとシグナレス」の三重の寓意 ― 岩手軽便鉄道国有化問題と有島武郎の恋と天球の音楽と ―.総合政策 17(2):177-196.

自分よりも他人の幸せを優先する宮沢賢治 (3)-それによって築いたものは蜃気楼にすぎなかったのか-

本稿は,法華経をもとに創作したたくさんの童話あるいは菩薩行が賢治にとって満足できるものであったのかを問いたい。

 

法華経に陶酔した賢治は,大正9年(1920)に純正日蓮主義を主張する田中智学により創設された「国柱会」の信行部に入会する。その後,賢治は国柱会の奉仕活動に従事しながら,会の高知尾智耀の勧めに応じて法華文学の創作を志すようになる。またこの頃,賢治は浄土真宗を信仰する父と生き方や宗教について激しく対立するようになっていた。妹のシゲは,そのときの様子を「あんまり二人で激しく毎日のように言い合うので,母をはじめみんな命がちぢむ思いでした」と話している(森,1974)。

 

日蓮の教えを日々勉学する日々が続いていたが,大正10年(1921)に賢治が稗貫農学校の教諭となり環境が変わると賢治にも転機が訪れる。賢治が友人の藤原嘉藤治と開催したレコード鑑賞会である女性と出会うことになる。法華経の安楽行品には,菩薩行をする者の心得として「娯楽の場や女性に近づかない」との戒めが書かれてある。賢治は法華経の教えに叛いたことになる。

 

賢治は,大正11年(1922)頃に結婚まで考えた相思相愛の恋をするようになる。詩集『春と修羅』の「春光呪詛」には「いったいそいつはなんのざまだ/どういふことかわかってゐるのか/髪がくろくてながく/しんとくちをつぐむ/ただそれっきりのことだ・・・・頬がうすあかく瞳が茶いろ/ただそれっきりのことだ」とある。

 

花巻の賢治研究家である佐藤(1984)によれば,この女性(恋人)は,賢治と同じ花巻出身(賢治の家の近く)で,小学校の代用教員をしていた。恋人は賢治より4歳年下の背が高く頬が薄赤い色白の美人であったという。かなり熱烈な恋愛であったらしい。その後,宮沢家から相手側に結婚の打診がなされ,近親者の中には,二人の結婚を予想しているものも多かったという。しかし,両家の近親者たちの反対もあり1年足らずで破局した。恋人は破局後に渡米(1924.6)し,3年後に異国の地で亡くなっている。27歳であった。

 

近親者が反対した理由には,諸説がある。私は,反対するきっかけになったのは些細なことだったと思うが,それを大きくしたのは両者の出自の違いや,それにともなう両家あるいは近親者たちの歴史的対立が背景にあったからと考えている(石井,2021f)。賢治は京都からの移住者の末裔であり,花巻で財をなした家の息子である。一方,恋人は生粋の東北人と思われ,家業は蕎麦屋である。歴史的対立とは京都に都を置いた大和朝廷とまつろわぬ民としての東北人の争いである。しかし,賢治は厳格な父と信じる宗教で激しく対立しても,自分の信念を曲げずに家出するぐらいなので,周囲から反対されたぐらいで相思相愛での結婚を諦めるとはとうてい思えない。実際に,レコード鑑賞会で生まれた別の教員カップルは周囲の反対にもめげず遠く函館へ逃避行している(佐藤,1984)。賢治にも駆け落ちなどの選択肢は残されていた。私は,この破局には法華経の教えに叛いたことによる罪悪感と,自分の幸せよりも他人の幸せを優先するという賢治の性格によるものもあったと思っている。

 

賢治は,恋の顛末を童話として記録に残していたと言われている。例えば,澤口(2018)はこの恋の顛末を『シグナルとシグナレス』(1923)という童話にして新聞で発表したと言っている。金属と電燈が付く新式の信号機・シグナルには賢治が,木とランプのシグナレスには恋人が投影されているという。私は,大正12年(1923)に新聞で発表された童話『やまなし』に登場する移入種と思われる魚と先住の小生物クラムボンに賢治と恋人が,また翌年に第一次稿を書き,死の間際まで推敲を重ねて第四次稿まである童話『銀河鉄道の夜』の主人公たち(裕福な家の子であるカムパネルラと狩猟民の子であるジョバンニ)にも賢治や恋人が色濃く投影されていると考えている(石井,2021e,f)。

 

ちなみに,クラムボンは,アイヌ語で「kut・岩崖, ra・低い所,un・にいる, bon・小さい」(kut ran bon)に分解できる。川底の石の下に生息するカゲロウの幼虫ことであろう(石井,2021e)。カゲロウの幼虫はニンフ(妖精)とも呼ぶ。すなわち,移入種(移住者)の魚(賢治)が先住の妖精であるカゲロウ(恋人)に恋をした。しかし,魚はカワセミによって天空へ連れ去られて恋が終わる。このとき,恋人の化身である樺の花も水面に落下する。

 

破局後,賢治は再び「人のために尽くす」ことを決意する。大正15(1926)年に花巻農学校を依願退職し,昼間は周囲の田畑で農作業を,夜は私塾(羅須地人協会)などで農民に稲作指導をしたり,無料で肥料設計事務所を開設して農民の肥料相談に乗ったりするようになる。また,昭和6(1931)年に東北砕石工場の嘱託技師になり東北の酸性土壌を改良するため炭酸石灰の普及に奔走したりした。しかし,病弱であり,また昭和3(1928)年に両側肺浸潤と診断されたりしたにも係わらず体を酷使し続けた賢治は,昭和8年9月21日急性肺炎を起し吐血し37歳の若さでこの世を去った。

 

賢治は,恋を諦めたことに納得していたのであろうか。賢治が亡くなる10日前に,花巻農学校時代の教え子で小学校の教諭になっている柳原昌悦に手紙を出している。賢治の最後の手紙には以下の言葉が書かれてある。

 

私もお蔭で大分癒っては居りますが,どうも今度は前とちがってラッセル音容易に除こらず,咳がはじまると仕事も何も手につかずまる二時間も続いたり,或は夜中胸がぴうぴう鳴って眠られなかったり,仲々もう全い健康は得られさうもありません・・・・私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病,「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか,器量とか,身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ,じぶんの仕事を卑しみ,同輩を嘲り,いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ,空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず,幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては,たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です・・・どうか今の生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに,しっかり落ちついて,一時の感激や興奮を避け,楽しめるものは楽しみ,苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。(下線は引用者,以下同じ)   

 

手紙の最初の下線部にある「私のかういふ惨めな失敗」とは,「慢心」のため「空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこと」をしなかったので,別の言葉に置き換えれば「現実の生活に身を置くことをせずに理想ばかり追い求めていた」ので「健康」を害してしまったということであろう。さらに,それを「蜃気楼が消えた」と表現した。

 

「空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこと」は,幼い賢治を寝かしつけるときの母の言葉「ひとというものは,ひとのために何かしてあげるために生まれてきたのス」に通じる。また,以下述べる恋人が賢治に話した言葉とも重なる。

 

昭和6(1931)年頃と思われる「雨ニモマケズ手帳」に記載された文語詩〔きみにならびて野に立てば〕の下書稿には,「きみにならびて野にたてば/風きらゝかに吹ききたり/柏ばやしをとゞろかし/枯葉を雪にまろばしぬ(中略)「さびしや風のさなかにも/鳥はその巣を繕(つぐ)はんに/ひとはつれなく瞳(まみ)澄みて山のみ見る」ときみは云ふ/あゝさにあらずかの青く/かゞやきわたす天にして/まこと恋するひとびとの/とはの園をば思へるを」(宮沢,1985)とある。

 

この詩の「きみ」が誰を指しているのかについては諸説がある。私は,この「きみ」は賢治の相思相愛で異国の地で亡くなった恋人であると思っている。そして,この詩の下線部分は恋人が賢治に実際に言った言葉と思われる。この「風のさなか」の「風」は「近親者たちが結婚に反対している様」を示している。「山のみ見る」の「山」とは「自分よりも他の人の幸せを優先」する「空想のみの生活」ことを言っているのであろう。すなわち,恋人は近親者に反対されても自分と結婚して欲しかったが,純粋な心をもつあなたは他人を幸せにすることしか考えていなかったと言っている。

 

すなわち,「私のかういふ惨めな失敗」には病気になってしまったということだけでなく,恋人を失ったことも暗に含んでいるように思える。

 

手紙の最後の下線部にある「一時の感激や興奮」は賢治自身の法華経を初めて読んだときの身が震えるほどの感動と関係していると思われる。柳原も賢治の授業や何らかの書物で感動した経験があったのであろう。それ故,賢治が手紙で教え子に,自分の「一時の感激や興奮」に基づく失敗を避けるという意味を込めて,理想だけを考えるのではなく,それが楽しさだけでなく苦痛を伴うことがあったとしても現在の地に着いた生活を護るように諭したのだと思われる

 

余談だが,柳原への手紙で,賢治が理想のみの生活をしていたから病気になったと言っているが,そんなことあるのであろうか。科学者でもある賢治にしては不可解な表現である。賢治が誤解していると思えるが,類似している表現を賢治の父が言っているのを見つけた。

 

医師で賢治の親友でもある佐藤隆房は,自著『宮澤賢治-素顔のわが友-』の中で,羅須地人協会時代(桜の時代)に語ったとされる父・政次郎の言葉を紹介している。

 

父親がある道者に「賢治の病気はどうして出来たのですか」と聞いたところ,「悪用不足に因る」と言われ,「賢治,お前の病気は悪用不足から来ているということだぞ。つまりきれいなことばかりやろうとしたために起こった病気なんだ。勝海舟が言ったことがある。おれは横着なる故に長寿だが,鉄舟は横着が出来なかったから早世した。横着な心が三分無いものは危なくって用をさせることが出来ない,とな,お前もよく考えたらよいだろう」と。後になって父親は・・・「私は二十年来,賢治が宙に浮かぼうとするのを引きとめて,地に足を着けさせようと努力したのですが,それは失敗で笑止の至りです」と人に話しました。(鉄舟とは山岡鉄舟のこと)

 

多分,賢治は父の言葉が記憶に残っていて理想のみの生活をしていたから病気になったと書いたのかも知れない。

 

賢治の臨終にあたって,父は賢治に残されたたくさんの原稿について,どうするのか尋ねている。賢治は,父に「それらは,みんな私の迷いの跡だんすじゃ。どうなったって,かまわないんすじゃ」と話したという。また,父は,「もし賢治が,本にもして出してくれなどと言ったら,最後の一喝をくらわせようと心中きめておりましたじゃ」と賢治の亡くなったあとに話したとも言われている。父は賢治の「私の迷いの跡だんすじゃ」という言葉を聞いて初めて褒めたという。また,いつの話しだかは分からないが,母には「この童話は,ありがたい,ほとけさんの教えを,いっしょうけんめいに書いたものだんすじゃ。だから,いつかは,きっと,みんなで,よろこんで読むようになるんじゃ」と話したという(森,1974)。

 

賢治は,大正10年に国柱会の高知尾智耀に法華文学を書くように勧められてから死ぬまで13年間,たくさんの童話を書いた。また,菩薩行もした。賢治は,確かに母の言葉通りに生きていたが,賢治がそれで満足していたかどうかは疑問である。臨終の際に父に国訳妙法蓮華経一千部をつくって配るように頼んだが,同時に法華経をもとにして書いた童話の原稿は迷いの跡だと述べていた。多分,迷いの跡だと父に言った言葉が賢治の本意であったと思われる。けっして父から褒めてもらいたくて言ったのではない。賢治は菩薩行をしながらも,年齢を重ねるうちに空想ではなく地に着いた現実的な仕事,あるいは駆け落ちしてでも妻を娶るなど自分の幸せにもっと眼を向けておけばよかったと後悔することもあったと思える。

 

参考にしたブログと引用文献など

石井竹夫.2021e.童話『やまなし』は魚とクラムボンの悲恋物語であるhttps://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/20/090540

石井竹夫.2021f.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅳ)-橄欖の森とカムパネルラの恋- https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/07/084943

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

宮沢清六.1991.兄のトランク.筑摩書房.

森 荘己池. 1974.宮沢賢治の肖像.津軽書房.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治 青春の秘唱“冬のスケッチ”研究.十字屋書店

佐藤隆房.2000.宮沢賢治-素顔のわが友-.桜地人館.

澤口たまみ.2018.新版 宮澤賢治愛のうた.夕書房.