宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『若い木霊』(5) -鴾の火と法華経(安楽行品)の関係について-

Keywords:安楽行品,髻中明珠,黒い鴾,暗い木立

 

本稿では,「法華経」の「四要品」の一つである「安楽行品第十四」の教えが以下の〈鴾〉が〈若い木霊〉を連れていった「桜草のかげらふ」の中,あるいは〈鴾〉と〈若い木霊〉の会話の中に隠されているかどうか検討する。

 

5.安楽行品の教えと「黒い鴾」,および鴾の火との関係

「安楽行品(あんらくぎょうほん)」では,「法華経」を広めるために心がけるべき4つの行法(四楽案行)が説かれている。第1に行動と交際の範囲を厳守せよ(人々の集まる娯楽の場所や色街あるいは女性に近づくな)。第2に他人を非難し敵視せず,また他人と論争するな。第3に依怙贔屓(えこひいき)するな。そして第4に他人を信仰させ,さとりを達成しうるように成熟させるべし。という教えである(坂本・岩本,1994)。

 

童話では「四楽案行」のうち特に第1の「女性に近づくな」の教えが書かれているように思える。「安楽行品第十四」には「若入他家。不与少女。処女寡女等共語。」(若し他の家に入らんには,小女・処女・寡女等と共に語らざれ。),「若為女人説法。不露歯笑。不現胸臆。」(若し女人の為に法を説かんには,歯を露わにして笑まざれ,胸臆を現わさざれ。)とある。

 

〈若い木霊〉は4番目の丘の上を飛んでいる〈鴾〉を見つける。この〈鴾〉は,羽の裏が「桃色」にひらめいている。〈若い木霊〉は〈鴾〉が自分の求めている「鴾の火」を持っていると思い,〈鴾〉に「少し分けて呉れ」と懇願する。〈鴾〉は,「鴾の火」のある場所を知っているらしく〈若い木霊〉を丘の「南」に位置する「桜草がいちめん咲い」ていてその中から「桃色のかげろふのやうな火がゆらゆらゆらゆら燃えてのぼって」いる場所(以下「桜草のかげらふ」)に連れて行く。

そこには桜草がいちめん咲いてその中から桃色のかげろふのやうな火がゆらゆらゆらゆら燃えてのぼって居りました。そのほのほはすきとほってあかるくほんたうに呑(の)みたいくらゐでした。

 若い木霊はしばらくそのまはりをぐるぐる走ってゐましたがたうたう

「ホウ,行くぞ。」と叫んでそのほのほの中に飛び込こみました

 そして思わず眼をこすりました。そこは全くさっき蟇(ひきがえる)がつぶやいたやうな景色でした。ペラペラの桃色の寒天で空が張られまっ青な柔らかな草がいちめんでその処々にあやしい赤や白のぶちぶちの大きな花が咲いてゐました。その向ふは暗い木立で怒鳴や叫びががやがや聞えて参ります。その黒い木をこの若い木霊は見たことも聞いたこともありませんでした。木霊はどきどきする胸を押へてそこらを見まはしましたが鳥はもうどこへ行ったか見えませんでした。

「鴾(とき),鴾,どこに居るんだい。火を少しお呉れ。」

「すきな位持っておいで。」と向ふの暗い木立の怒鳴りの中から鴾の声がしました。

「だってどこに火があるんだよ。」木霊はあたりを見まはしながら叫びました。

「そこらにあるじゃないか。持っといで。」鴾が又答へました。

 木霊はまた桃色のそらや草の上を見ましたがなんにも火などは見えませんでした。

「鴾,鴾,おらもう帰るよ。」

「そうかい。さよなら。えい畜生。スペイドの十を見損っちゃった。」と鴾が黒い森のさまざまのどなりの中から云ひました。

 若い木霊は帰らうとしました。その時森の中からまっ青な顔の大きな木霊が赤い瑪瑙(めのう)のやうな眼玉をきょろきょろさせてだんだんこっちへやって参りました。若い木魂は逃にげて逃げて逃げました

 風のやうに光のやうに逃げました。そして丁度前の栗の木の下に来ました。お日さまはまだまだ明るくかれ草は光りました。

 栗の木の梢(こずえ)からやどり木が鋭するどく笑って叫びました。

「ウワーイ。鴾にだまされた。ウワーイ。鴾にだまされた。」

                 (宮沢,1986)下線は引用者

 

〈鴾〉が〈若い木霊〉に分け与えようとした「鴾の火」とは何か。多分,それは〈鴾〉自身がときめく「番(つがい)」の対象となる「黒い鴾」であろう。物語の〈鴾〉が「トキ」(Nipponia nippon)のことであるとすれば,この〈鴾〉の羽は通常白く裏側が桃色であるが,繁殖期になると〈鴾〉は首の周りから出る分泌物をこすりつけることで,頭から背中にかけて黒灰色になる。この黒灰色型羽色の婚姻色は1月末から始まり3~4月で完成すると言われている。

 

では,〈若い木霊〉が飛び込んだ「桜草のかげらふ」の中とはどんな所であろうか。飛び込んだ「桜草のかげらふ」の中は,天井(空)には,「ペラペラの桃色の寒天」で張られ,地は「まっ青な柔らかな草がいちめんでその処々にあやしい赤や白のぶちぶちの大きな花が咲い」ていて,向こう側には「怒鳴や叫びががやがや聞えて」くる「暗い木立」が見える所である。これらは〈若い木霊〉が「桜草のかげらふ」の中に飛び込む前には〈若い木霊〉には見えていなかったので,飛び込んだことによって突然に出現したように思える。〈若い木霊〉は,この「黒い木立」を形成している「黒い木」を見たことも聞いたこともないことから,〈若い木霊〉にとって「桜草のかげらふ」の中の世界は「異空間」あるいは「幻想世界」のものと思われる。

 

これまで,多くの賢治研究家が〈若い木霊〉が飛び込んだ「桜草のかげらふ」の中の世界を「大人の世界(伊東,1977)」,「修羅の世界(中地,1991b)」,「『彼方』の暗黒・深淵(天沢,1993)」,「人間界より下方世界(鈴木,1994)」の象徴などと解釈してきた。鈴木が言う「人間界よりも下方世界」とは地獄・餓鬼・畜生・修羅を象徴した世界のことである。筆者はこの場所の空が「ペラペラの桃色の寒天」とあるのは〈蟇〉が言ったように「性の象徴」を現しているように思え,また「あやしい赤や白のぶちぶちの大きな花」は女性の白と赤が基調の化粧や遊郭の朱色の格子や外壁が連想されるので,この異空間の「桜草のかげらふ」の中は色街がイメージできる。

 

また,「桜草のかげらふ」の向こうは怒鳴りが聞こえてくることから人々の集まる歓楽街もイメージされているように思える。〈若い木霊〉が飛び込んだ世界が「修羅の世界」なのか,あるいは「人間界よりも下方の世界」なのかは分からないが,〈若い木霊〉にとっては,賢治と同様に「みんな」を「ほんたうのさいはひ」に導こうとする願いから砕け疲れた世界だと思われる。

 

『春と修羅』の「小岩井農場」(1922.5.21)には「もしも正しいねがひに燃えて/じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする/それをある宗教情操とするならば/そのねがひから砕けまたは疲れ/じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする/この変態を恋愛といふ/そしてどこまでもその方向では/決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を/むりにもごまかし求め得やうとする/この傾向を性慾といふ」(下線は引用者)とある。

 

菩薩になりたかった賢治にとって最も「ときめくもの」あるいは「欲しいもの」は「じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする」もの,別の言葉で言えば「自分のさいはひ」と「みんなのさいはひ」をもたらすものであると言っている。「官能を刺激するもの」は「自分のさいはひ」だけに結びつくものである。さらに,官能を刺激する「恋愛」や「性欲」は,「みんなのさいはひ」を求めていく過程で「砕けまたは疲れ」たときにやむを得ず求めてしまうものとしている。

 

「桜草のかげらふ」の中は「闘争」を好む世界であるあるとともに,前述した詩「小岩井農場」の「決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を/むりにもごまかし求め得やうとする/この傾向を性慾といふ」の「恋愛」や「性欲」が支配する世界でもある。〈若い木霊〉は〈鴾〉に騙されて「みんなのさいはひ」ではなく「畜生界」の「性欲」や「修羅界」の「争い」で苦しむ世界へ連れて行かれたのかも知れない。

 

賢治の友人である森(1974)は賢治の身内(妹シゲの夫・岩田豊蔵)から「いつか賢さんが一関の花川戸という遊郭へ登楼してきたといって,明るくニコニコ笑って話しました」という話を聞いている(森,1974)。事実かどうかは定かではないが,登楼があったとすれば妹トシが亡くなる前のことだという(1922年11月以前)。〈鴾〉は〈若い木霊〉を「南」の方角へ連れて行ったが,一関は花巻の「南」に位置する。

 

また,賢治は稗貫農学校の教諭になった頃に,花巻高等女学校の音楽教師・藤原嘉藤治と親しくなり,レコードを聴くなど音楽熱が高まっていた。時期は定かではないが(1921年12月以降),二人で毎週土曜日に女学校などでレコード鑑賞会を開くようになっていた。このとき鑑賞会に花城小学校の若い女性教諭達が7~8人集まっていたという(佐藤,1984)。つまり,当時賢治は多くの若い女性と出会っていたように思える。

 

では,なぜ〈若い木霊〉には,〈鴾〉が与えようとした「鴾の火」が見えなかったのだろうか。〈若い木霊〉は,〈蟇〉や〈桜草〉の独り言の中に出てくる「鴾の火」,あるいは〈かたくり〉の葉に現れた「鴾の火」は認識することができたのに〈鴾〉が示した「鴾の火」は見ることができなかった。なぜだろうか。

 

それは見たことも聞いたこともないという「黒い木」に秘密が隠されているように思える。この「黒い木」は,〈桜草〉の「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる」という独り言の中の「髪毛の向ふ」と関係していると思われる。「髪毛の向ふ」とは「お日さん」が沈むところであろう。「お日さん」を「如来の言葉」すなわち「法華経」とすれば,「髪毛の向こう」は「法華経」が隠されているところなのかもしれない。「安楽行品第十四」の「髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ)の譬え」には「法華経」の譬喩である宝珠(ほうじゅ)が頭の「髻(もとどり)」の中に隠されていることが記載されている。すなわち,「黒い木」は〈若い木霊〉にとっては「髻」の髪の毛であろう。「髻」は髪の毛を頭の上で束ねたところである。

 

「髻中明珠の譬え」とは,転輪聖王という王が闘いで活躍した兵士に城や財宝を与えて讃えたが,自分の束ねた髪の中に隠した宝珠だけは大きな功績がある者にだけしか与えなかったという譬え話である。この話で転輪聖王は「如来」で,兵士は衆生,城や財宝は法華経以前の仏の教えで,「髻」の中の宝珠は「法華経」である。法華経は諸経の中で最も優れていて高度なものだから,少しでも遊びや快楽の要素が含まれているものに近づこうとする者には理解できないとする教えである。

 

だから「桜草のかげらふ」の中に飛び込んだ〈若い木霊〉には,背景にある「暗い木立」で〈鴾〉が「すきな位持っておいで」と差し出した「鴾の火」すなわち繁殖期の「黒い鴾」が見えなかったのである。「黒い木」とは転輪聖王(如来)の「髻」の髪の毛であろう。すなわち,〈若い木霊〉は「宝珠」(法華経)が隠されている如来の「髻」の中に飛び込んだのである。〈若い木霊〉が飛び込んだ「桜草のかげらふ」とは〈若い木霊〉にとっては如来の「髻」であり,〈鴾〉にとっては繁殖期の雌の〈鴾〉のいる「遊郭」やトランプ遊びができる娯楽の場所である。

 

〈鴾〉はこの童話では,鈴木(1994)が指摘しているように仏教で言うところの第六天の魔王波旬の役割を担っているように思える。「六天(六欲天)」とは欲望に囚われる世界のことである。日蓮宗の宗祖である日蓮は,魔王波旬を,仏道修行者を「法華経」から遠ざけようとして現れる「魔」であると説いた。すなわち,魔王波旬の化身である〈鴾〉が修行中の〈若い木霊〉が「法華経」に近づくのを妨害しているようにも思える。

 

〈鴾〉が「えい畜生。スペイドの十を見損っちゃった。」※※と言うが,この「スペイド」は繁殖期の〈鴾〉を背中側から見たときの姿がトランプの黒いスペイドの形に似ていることによると思われる。また,「十」という数字は,遊郭に働く女性だけでなく,前述したレコード鑑賞会に集まった花城小学校の7~8人の若い女性教諭達がイメージされていたのかもしれない。〈鴾〉は〈若い木霊〉が欲していたものを自分が欲していたものと同じと思ったのであろうか,それとも〈鴾〉が始めから〈若い木霊〉を騙そうとしたのだろうか。多分,後者であろう。〈若い木霊〉を修行中の菩薩とすれば,〈若い木霊〉にとって「ほんたう」に「ときめく」ものは「自分のさいはひ」というよりは「みんなのほんたうのさいはひ」へ導くものだったのかもしれない。

 

〈鴾〉は,騙すつもりで繁殖期の黒い〈鴾〉を差し出したのに,〈若い木霊〉がそれを見つけることが出来なかったことに落胆している。だから〈若い木霊〉は〈やどり木〉から「ウワーイ。鴾にだまされた。」と言われたのである。しかし,〈若い木霊〉は自分では気づいていないかもしれないが「安楽行品」にある「女性に近づくな」の教えを学んだのである。

 

また,2番目の丘のところで〈若い木霊〉は,〈栗の木〉に耳をあてても何の音もしないことから,〈栗の木〉につく〈やどり木〉に対して「おい。この栗の木は貴様らのおかげでもう死んでしまったやうだよ」と非難していたが,森から引き返した後では「ふん,まだ,少し早いんだ。やっぱり草が青くならないとな」とやさしい言葉をかけるようになる。「安楽行品」から「他人を非難し敵視せず」ということを学んだからと思われる。

 

4つの丘を下った窪地あるいは草地にいる生き物の言葉と法華経の関係は第1表に,そして4つの窪地あるいは草地にいる生き物にとっての「鴾の火」とそれに対する反応は第2表に示す。

 

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以上のように,〈蟇〉や〈桜草〉の独り言と〈かたくり〉の葉の文字のような模様の中に,また〈鴾〉が〈若い木霊〉を連れていった「桜草のかげらふ」の中,あるいは〈鴾〉と〈若い木霊〉の会話の中に「法華経」の「四要品」の教えが隠されているのは明らかなように思える。次稿(6稿)では「黒い森」の正体と,〈若い木霊〉がこの森から出てくる「大きな木霊」見て逃げ出してしまう理由について検討する。(続く)

 

参考・引用文献

天沢退二郎.1993.宮沢賢治の彼方へ.筑摩書房.東京.

伊東眞一朗.1977.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」論.国文学攷 74:12-24.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

宮沢清六.1991.兄のトランク.筑摩書房.東京.

森荘已池.1974.宮沢賢治の肖像.津軽書房.靑森.

中地 文.1991b.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(中).日本文学 76:50-63.

坂本幸男・岩本 裕(訳注).1994.法華経(上)(中)(下).岩波書店.東京.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治 青春の秘唱“冬のスケッチ”研究.十字屋書店.東京.

鈴木健司.1994.宮沢賢治 幻想空間の構造.蒼丘書林.東京.

 

※:未亡人のことで「やもめおんな」と読む。

※※:「スペイドの十を見損っちゃった」という表現は,先駆形では「二十銭の切手を一杯損しちゃった」となっていた。明治5年発行の20銭の桜切手も中央部分に二重円線の蔓草模様が描かれていて,蔓草模様の四隅が羽ばたいている4疋の鳥の姿に見える。

 

本稿は未発表レポートです。

宮沢賢治の『若い木霊』(4) -鴾の火と法華経・如来寿量品の関係について-

Keywords:春の光,ほんたうのこと,24時間の明暗周期,如来寿量品第十六,沈んでまた昇る,良医治子

 

本稿では,「法華経」の「四要品」の一つである「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六」の教えが以下の〈桜草〉の独り言の中に隠されているかどうか検討する。下記引用文の下線部分が推定された仏の教えの部分である。

 右の方の象の頭のかたちをした灌木(かんぼく)の丘からだらだら下りになった低いところを一寸越(こし)ますと,又窪地がありました。

 木霊はまっすぐに降りて行きました。太陽は今越えて来た丘のきらきらの枯草の向ふにかゝりそのなゝめなひかりを受けて早くも一本の桜草が咲いてゐました。若い木霊はからだをかゞめてよく見ました。まことにそれは蛙(かえる)のことばの鴾の火のやうにひかってゆらいで見えたからです。桜草はその靭(しな)やかな緑色の軸(じく)をしずかにゆすりながらひとの聞いてゐるのも知らないで斯(か)うひとりごとを云ってゐました。

お日さんは丘の髪毛(かみけ)の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。

 そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった。

 さあ,鴾の火になってしまった。

 若い木霊は胸がまるで裂けるばかりに高く鳴り出しましたのでびっくりして誰(たれ)かに聞かれまいかとあたりを見まはしました。その息は鍛冶場(かじば)のふいごのやう,そしてあんまり熱くて吐いても吐いても吐き切れないのでした。

                (宮沢,1986)下線は引用者

 

4.如来寿量品第十六の教えと〈桜草〉の独り言,および鴾の火との関係

3番目の丘を下ったところの窪地には〈桜草〉が咲いている。その〈桜草〉の独り言である「お日さんは丘の髪毛(かみけ)の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった。さあ,鴾の火になってしまった。」は,「法華経」の「如来寿量品第十六」に対応していると思われる。

 

「如来寿量品第十六」には如来の寿命の長さは無限で尽きないということを分かりやすく説明するための「良医治子(ろういじし)の誓え」が記載されている。この譬えとは,名医が「方便(巧妙な手段)」を使って毒を飲んで苦しんでいる子供達を「良薬」で助ける話である。

 

学識があって賢明であり,あらゆる病気の治療に優れた手腕のある医者には,大勢の子供がいた。この名医が外国に行って留守の間に,子供達は毒のために苦しんでいた。そこに父親の医者が帰ってきて,直ちに「良薬」を調合して与えた。子供達のうち,意識の転倒していない者は直ちにその薬を飲んで苦しみから解放されたが,毒が回って意識の転倒している子供は,「良薬」を見ても疑って飲もうとしなかった。そこで名医は巧妙な手段を使って「我今衰老。死時已至。是好良薬。今留在此。汝可取服。勿憂不差。作是教已。復至他国。遣使還告。汝父已死。」(私は老いて死期が近い。ここに良薬を置いておくから飲みなさい。治らないと疑ってはいけないと言い残して他国に行き,使者を遣わして「父は死んだ」と伝えさせた)。

 

意識の転倒していた子供達は,父の死を聞いて頼る人がいない身の上になったことを嘆き悲しみ,意識を取り戻し,ついに「良薬」を飲んで苦しみから解放された。そこで「其父聞子。悉已得差。尋便来帰。咸使見之。」(父(良医)は子供達が苦しみから解放されたことを知って,直ちに戻って皆の前に現れた)(坂本・岩本,1994)という譬(喩)え話である。父である如来の寿命は無限であるが,方便によって死んだと見せて,衆生に「悟り」(ほんたうのさいはひ)に対する求道心を起こさせるとしている。そして衆生が求道心を回復したら再び現れるというものである。

 

衆生に「如来は死んだ」と思わせなかったらどうなるのであろうか。「如来寿量品第十六」にある有名な「自我偈」(寿量品後半にある5文字で1句となる詩の形で書かれた部分)には「以常見我故 而生憍恣心 放逸著五欲 堕於悪道中」(もしも常に私に会えるとなれば,奢(おご)りの心が生じて,放逸(ほういつ)し五欲に執着して,悪道の苦しみの中に墜ちてしまう)とある。

 

〈桜草〉は,サクラソウ科の多年草である「サクラソウ」(Primula sieboldii E.Morren)

で高原や山地のやや湿った草原や開けた森林,河川敷の草原に見られる。太陽の光が射し込む場所を好む。花は深く5枚に深く裂けている(合弁花)。淡紅色(桃色)でまれに白花もある。岩手山の麓には沢山の自生地があったという。現在,野生の群落を見ることはまれになっている。園芸店で「サクラソウ」として売られている植物としてはセイヨウサクラソウ(Ppolyanthus),オトメザクラ(P malacoides プリムラ・マラコイデス)などである。

 

童話で「桃色」の花が咲く〈桜草〉は「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。そして沈んでまたのぼる」とつぶやく。これを現代の植物学で解釈してみたい。太陽エネルギーを利用する光合成植物は,太陽が「沈んでまたのぼる」という1日のリズムに合わせて生きているように思われる。これまでの研究では,24時間の明暗の周期変動が植物の生育をもっとも促進するとされている。例えば,トマト(Solanum lycopersicum L.)の乾物量は,人工光源のみを用いた栽培において12時間あるいは48時間よりも24時間の明暗周期(明暗期比1:1)下において多くなる。理由として,植物には光照射により同化が促進される相と抑制されるまたは促進されない相からなる約24時間の内生リズムが存在するからだとされている。トマト以外でもカワラケツメイ,エンドウ,ピーナツ,ダイズで同様な結果が得られている(戸井田ら,2003)。

 

では明暗期比1:1以外ではどうなるのか。大橋(2008)の日長時間(1日のうちの明るい時間)を4,8,12,16,20および24時間(連続24時間照射)にしてトマトの苗を栽培した研究によると,トマトの生長にとって16時間日長が最適であり,それ以上だと生育が悪くなり24時間日長ではクロロシス(葉のクロロフィルが不足し黄色あるいは白色化する)が発生するという。しかし,大橋は,太陽光強度よりも弱い強度で照射するとホウレンソウなどでは連続24時間照射の方が明暗周期を設定した場合に比べて生育が旺盛であったという事例も挙げている。これは植物が受けた積算光量の増加に伴った光合成速度の増加によるものと考えられている。ただこの方法だと早く花芽を形成してしまい商品価値は少ないらしい。

 

大橋(2008)は,太陽光にエネルギーを依存する光合成生物にとって重要なのは,光周期の「明期」の長さではなく,中断されない「暗期」の長さだと述べている。すなわち,植物にとって重要なのは太陽が沈むということである。寿命が無限である「如来」を太陽に,5欲に執着する「衆生」を花弁が5裂し「桃色」の花を咲かせる〈桜草〉に,方便としての「如来の入滅」を「太陽が沈む」に置き換えれば,大橋の述べていること,あるいは〈桜草〉の独り言は「法華経」の「如来寿量品」の教えと類似しているように思える。

 

〈若い木霊〉は,〈桜草〉の独り言を聞いて「胸がまるで裂けるばかりに高く鳴り出し・・・その息は鍛冶場のふいごのやう,そしてあんまり熱くて吐いても吐いても吐き切れなく」なってしまう。同様の反応は,これよりは多少弱い反応だが〈若い木霊〉が〈蟇〉の独り言を聞いたときにも起こっていた。この〈若い木霊〉の生理的とも言える反応を,これまでの研究者達は「若い主人公の中に目覚めた官能の象徴に対しての反応」すなわち「性的な興奮反応」と捉えていた。しかし,激しい運動をしなくても,「性的な興奮反応」と同様のものは,病的にはパニック障害で,また病的でなくても書物を読んだり演劇を見たりして感動したときなどでも生じる。パニック障害は,突然理由もなく激しい動悸,息苦しさ,発汗,手足の震えなどに襲われることを特徴としていて,交感神経の興奮によるものとされている。

 

賢治も書物を読んで激しく感動した経験を持っている。賢治の弟の清六は,賢治が盛岡高等農林学校へ進学するための受験勉強をしていた頃(大正3年秋,賢治18歳)の兄について,賢治は,島地大等編纂の『漢和対照妙法蓮華経』にある「如来寿量品第十六」を読んで感動し,驚喜して身体がふるえて止まらず,この感激を後年ノートに「太陽昇る」と記していた(下線は引用者)。」と述べている(宮沢,1991)。おそらく,賢治は,「如来寿量品第十六」に真実(=「ほんたうのこと」)が書かれてあると確信したと思われる。

 

多分,このとき激しい動悸と息苦しさも経験したと思われる。また,賢治は「如来寿量品第十六」だけでなく「方便品第二」にも感銘を受けたと思われる。大正7(1918)年6月27日に母親を失って意気消沈している友人の保阪嘉内に「保阪さん,諸共に深心に至心に立ち上り,敬心を以て歓喜を以てかの赤い経巻を手にとり静にその方便品,寿量品を読み奉らうではありませんか」(下線は引用者)と手紙を書いている。つまり,〈若い木霊〉は,〈蟇〉や〈桜草〉の独り言の中に賢治と同じように「方便品第二」や「如来寿量品第十六」の教えを感じ取り感動して興奮したのだと思える。

 

しかし,誰もが「方便品第二」や「如来寿量品第十六」を読んで歓喜するとは限らない。大部分の人達は,「法華経」を「ためになることが書かれてある」と言われ強制的に読まされても眠くなるだけだと思われる。賢治のように人に尽くさずにはいられない「利他的」な性格があってのことであろう。〈若い木霊〉には賢治が投影されている。人に尽くさずにはいられず,またその方法に苦慮している者が,ある書物(法華経)で出会い,その中に自分が求めていたものが書かれてあると確信したからこそ歓喜したのである。なぜ賢治が自分よりも他者を優先するようになったかについては前報(石井,2018)で自分なりの見解を述べているのでそれを参照してほしい。

 

〈桜草〉の独り言にはもう一つ難解な用語がある。「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる」の「髪毛の向ふ」とは何か。なぜ「髪毛」という言葉が出てくるのか理解しがたい。国語事典で調べても「髪毛」には頭部に生える毛以外の意味はない。詩集『春と修羅』の「第四梯形」(1923.9.30)には,「あやしいそらのバリカンは/白い雲からおりて来て/早くも七つ森第一梯形(ていけい)の/松と雑木(ざふぎ)を刈(か)りおとし」とある。多分,「丘の髪毛」は「丘の木立」という意味で使っていると思われる。「木立」を「髪毛」とわざわざ言い換えているので,このあと(次稿)に「木立」が「髪毛」と同一の意味で使われているものが出てくるのであろう。

 

次稿(5稿)では,「法華経」の「四要品」にある最後の「安楽行品第十四」の教えと「鴾の火」との関係について述べる。(続く)

 

参考・引用文献

石井竹夫.2018.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-リンドウの花と母への強い思い-.人植関係学誌.18(1):25-29.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/13/085221

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

宮沢清六.1991.兄のトランク.筑摩書房.東京.

大橋(兼子)敬子.2008(更新年).植物の環境調節(日本植物生理学会みんなのひろば).2021.2.24(調べた日付).https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=1845

戸井田宏美・大村好孝・古在豊樹.2003.明暗の非周期変動下におけるトマト実生の生育.生物環境調節 41(2):141-147.

 

※:現在,太陽は,理論的な計算だが,約100億年の寿命があるとされている。太陽系が生まれたのは46億年前なので,太陽はあと50億年今と同じように輝き続けることができるとされている(「国立科学博物館の宇宙の質問箱」より)。賢治が太陽の寿命を無限と考えていたかどうかは定かではない。ホモ・サピエンス(現生人類)が誕生したのが20万年前とすれば,残りの寿命が50億年とされる太陽は,人類にとっては無限といってもよいのかもしれない。

 

本稿は未発表レポートです。2021.9.16(投稿日)

宮沢賢治の『若い木霊』(3) -鴾の火と法華経・観世音菩薩普門品の関係について-

Keywords:春の光,観世音菩薩普門品二十五,かたくりの葉の模様,太陽の高さ

 

本稿では,「法華経」の「四要品」の一つである「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)第二十五」の教えが以下の2番目の丘の向こうの窪地に咲く〈かたくり〉の葉に現れる文字のような模様の中に隠されているかどうか検討する。下記引用文の下線部分が推定された仏の教えの部分である。

 そしてふらふら次の窪地にやって参りました。

 その窪地はふくふくした苔(こけ)に覆はれ,所々やさしいかたくりの花が咲いてゐました。若い木だまにはそのうすむらさきの立派な花はふらふらうすぐろくひらめくだけではっきり見えませんでした。却(かへ)ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せわしくあらはれては又消えて行く紫色むらさきいろのあやしい文字を読みました。

はるだ,はるだ,はるの日がきた,」字は一つずつ生きて息をついて,消えてはあらはれ,あらはれては又消えました。

そらでも,つちでも,くさのうえでもいちめんいちめん,ももいろの火がもえてゐる。

 若い木霊ははげしく鳴る胸を弾(はじ)けさせまいと堅く堅く押へながら急いで又歩き出しました。

                     (宮沢,1986)下線は引用者

 

3.観世音菩薩普門品第二十五の教えと〈かたくり〉の葉に現れる文字,および鴾の火との関係

2番目の窪地の〈かたくり〉の葉に現れるあやしい文字「そらでも,つちでも,くさのうえでもいちめんいちめん,ももいろの火がもえてゐる。」は,観世音菩薩普門品第二十五の「具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身 種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅」に対応すると思われる。

 

観世音菩薩とはサンスクリット語では「あらゆる方角に顔を向けたほとけ」という意味である。観世音菩薩普門品第二十五には,観音の力を念じれば菩薩はどんなところでも一瞬のうちに現れて,念じた者の苦しみを無くしてくれるということが記載されている。また,観世音菩薩普門品第二十五には,観世音菩薩は一切衆生を救うために相手に応じて「仏身」,「声聞身」,「長者」,「阿修羅」など,33の姿に変身すると説かれている。

 

これは,「法華経」に帰依して菩薩になりたかった賢治の「東ニ病気ノコドモアレバ・・・西ニツカレタ母アレバ・・・南ニ死ニサウナ人アレバ・・・北ニケンクヮヤソショウガアレバ・・・」という詩「雨ニモマケズ」の世界である。手帳に書かれた「雨ニモマケズ」の詩の最後の言葉は「ソウイウモノニワタシハナリタイ」である。さらに,この言葉に続いて,手帳には南無無辺行菩薩,南無上行菩薩,南無多宝如来,南無妙法蓮華経,南無釈迦牟尼佛,南無浄行菩薩,南無安立行菩薩と「文字曼陀羅」のようなものが書き込まれてある。この「文字曼陀羅」の中心にある「南無妙法蓮華経(法華経の教えに帰依するという意味)」という字は他の菩薩名や如来名の文字よりも大きく書かれてある。

 

〈かたくり〉は,ユリ科多年草の「カタクリ」(Erythronium japonicum Decne.;第1図)のことで,早春に広葉樹林の林床に姿を現す。「カタクリ」の花は淡い「紫」の6枚の花弁が妖精を思わせるように反り返っている。長楕円形の葉には濃い「紫」の斑紋がある。広葉樹の葉が茂り太陽光が林床に届かなくなる初夏には枯れる。スプリングエフェメレル(春の妖精)と呼ばれる。

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第1図.カタクリ(ブログ名の背景図に採用した植物でもある).

 

〈かたくり〉にとって「鴾の火」は,太陽が高くなり大地を照射する面積が増す春の光なので,「そらでも,つちでも,くさのうえでもいちめんいちめん,ももいろの火がもえる」(下線は引用者)ようになる。冬に,日陰だったところにも春の日が射すようになる。すなわち,春の光(ももいろの火=仏)はどんなところでも照射(出現)する。

 

大乗仏教の経典の1つである「観無量寿経」には観世音菩薩の身体は「紫」がかった金色とある。紫色の花と葉を持つ〈かたくり〉は観世音菩薩の変身した姿であり,〈若い木霊〉は葉の紫色の斑紋を菩薩の言葉として読んだ。〈若い木霊〉は,〈かたくり〉の葉に明滅する仏の教え(観世音菩薩普門品第二十五)を読み取り,「はげしく鳴る胸を弾けさせまいと堅く堅く押へる」ことになる。(続く)

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

 

本稿は未発表レポートです。2021.9.15(投稿日)

宮沢賢治の『若い木霊』(2) -鴾の火と法華経・方便品の関係について-

Keywords:春の光,蟇,譬喩品第三,方便品第二,三車火宅,鴾の火

 

本稿では,最初に「法華経」の「四要品」の一つである「方便品(ほうべんぼん)第二」の教えが以下の最初の丘を下った窪地にいる〈蟇〉の独り言の中に隠されているかどうか検討する。下記引用文の下線部分が推定された仏の教えの部分である。

  一疋(ぴき)の蟇(ひきがえる)がそこをのそのそ這はって居りました。若い木霊はギクッとして立ち止まりました。

それは早くもその蟇の語(ことば)を聞いたからです。

鴾(とき)の火だ。鴾の火だ。もう空だって碧(あお)くはないんだ。

 桃色のペラペラの寒天でできてゐるんだ。いい天気だ。

 ぽかぽかするなあ。

 若い木霊の胸はどきどきして息はその底で火でも燃えてゐるやうに熱くはあはあするのでした。

                    (宮沢,1986)下線は引用者

 

2.方便品第二の教えと〈蟇〉の独り言,および鴾の火との関係

〈蟇〉の独り言は「方便品第二」と関係すると思われる。「方便品第二」は,如来登場の目的が語られている。「方便品第二」の冒頭で,釈迦(仏)が弟子の舎利弗(しゃりほつ)に次のように語る。

           

「諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。・・・吾従成仏已来。種種因縁。種種譬喩。広演言教。無数方便。引導衆生。令離諸著。所以者何。如来方便。知見波羅蜜。皆已具足。」(坂本・岩本,1994;著(じゃく)は「あれやこれやに心を奪われている…束縛」と訳されている;下線は引用者)

 

現代語訳すれば,「仏の智慧(ちえ)は深遠で見極めがたく理解しにくい。・・・吾は,仏になって以来,様々な実例や色々な譬え話を引き合いにして,広く教えを説いてきた。巧みな手立てを数えきれないくらい使って,衆生(万人)を仏の道に導き入れ,もろもろの煩悩(ぼんのう)の執着から離れさせてきた。なぜなら,仏は,色々な手立てを使って悟りに導き,智慧を授けて悟りに至らしめる道を,既に悉(ことごと)く備えているからである。」となる。すなわち,「方便品第二」では「如来がこの世に登場したのは煩悩に縛られている衆生を救うためである」と説かれている。

 

どのように救うかは「方便品第二」の次の章である「譬喩品(ひゆほん)第三」の「三車火宅」という譬え話で具体的に説明されている。ある時,長者の邸宅が火事になった。中にいた子供達は遊びに夢中になっていて火事に気付かず,長者が説得しても外に出ようとしなかった。そこで長者は子供達が日頃からほしがっていた「羊車(ようしゃ)」,「鹿車(ろくしゃ)」,「牛車(ごしゃ)」という「三車」(子供達のときめくもの)を示して外に誘い出し,出て来た時には全員に同じ「大白牛車(だいびゃくごしゃ)」という車を与えた。「家宅」は苦しみ多い三界(欲界・色界・無色界),「子供達」は三界にいる様々な段階にいる衆生,そして「長者」は仏である。 

 

衆生は十界(地獄,餓鬼,畜生,修羅,人間,天上,声聞(しょうもん),縁覚(えんがく),菩薩,仏)に生きる者達を言うが,この譬喩では特に「悟り」の求道者である「声聞」,「縁覚」,「菩薩」を指す。「羊車」と「鹿車」は自分だけが悟りの境地に達することができる「声聞」と「縁覚」のための車で,「牛車」は自分だけでなく仏を除く衆生を「悟り」の境地に導くことができる菩薩のために用意された車である。そして「大白牛車」は「三車」を統一したもので一切衆生を「悟り」の境地(本当の悟り)に導く車である。すなわち,修行中の者達でも種々の境遇・段階があるので,「悟り」に導くときでは一気にではなく1段ずつステップを踏んで確実に上がれるようにしている。「三車」は「法華経」以前に説かれた教えで「大白牛車」は「法華経」のことであると言われている。

 

「悟り」を賢治がよく使う「ほんたうのさいはひ」という言葉に置き換えれば,「方便品第二」は,1人を「さいはひ」にすれば良いというものではなく,衆生(万人)すべてを「ほんたうのさいはひ」にすることが必要であると説かれている。また,「譬喩品第三」では,どんな境遇の人でも,どんな段階(レベル)にある人でも,その場所から衆生(万人)を「ほんたうのさいはひ」にする如来の境地に到達する道筋がついていないといけないということを主張しているように思える。

 

童話では,種々の境遇あるいは段階にいる衆生を擬人化された植物や動物あるいは主人公の〈若い木霊〉に置き換えている。賢治は植物も衆生の中に入れている。衆生に相当する〈蟇〉と〈かたくり〉と〈桜草〉は,この童話では「自分のさいはひ」だけを求める「声聞」や「縁覚」あるいは地獄,餓鬼,畜生,修羅,人間,天上に住む者達であり,〈若い木霊〉は「自分のさいはひ」だけでなく「みんなのさいはひ」を求める「菩薩」に設定されているように思われる。また,〈若い木霊〉には「菩薩」になりたかった賢治自身が投影されているように思われる。物語では「ほんたうのさいはひ(悟り)」に導くものは,「大白牛車」ではなく「鴾の火」である。

 

最初の丘を下ったところの窪地にいる〈蟇〉にとって「大白牛車」に相当する「鴾の火」は,温度を上昇させ冬眠からの目覚めを促す春の光と「桃色のペラペラの寒天」であろう。変温動物である〈蟇〉は,春の光を土の温度上昇で感じ取り「ほかぽか」になって土の中から外へ這い出してくる。現代科学では,土の温度が6℃以上になることが必要だという。もしも春の光で十分に大地が暖かくならなければ,〈蟇〉は地上に出られない。まさに温度を上昇させる春の光は〈蟇〉にとっては生死を分かつ重要なものと思われる。「土の中」は苦しみ多い三界,〈蟇〉は三界にいる様々な段階にいる衆生,そして「春の光」を如来とすれば,〈蟇〉の独り言である「鴾の火だ。鴾の火だ。・・・桃色のペラペラの寒天でできてゐるんだ。・・・ぽかぽかするなあ。」には「如来がこの世に登場したのは苦悩の中にいる衆生を救うためである」という「方便品第二」の教えが込められているように思える。

 

〈蟇〉にとって「桃色のペラペラの寒天」とは何であろうか。多分,〈蟇〉が感じる「鴾の火」とは春の光と思われるが,この〈蟇〉が雄なら冬眠から目覚めたばかりの痩せ細った繁殖期の雌の〈蟇〉も同時にイメージされているように思える。すなわち,〈蟇〉にとって「鴾の火」は春の光であり,また「官能の象徴」でもあるようだ。 

 

一方,仏教徒として修行中の〈若い木霊〉は,〈蟇〉から「鴾の火」についての独り言を聞いて,「胸はどきどきして息はその底で火でも燃えてゐるやうに熱くはあはあ」する。〈若い木霊〉の胸をときめかし,息を「熱くはあはあ」させる「鴾の火」とは何であろうか。〈若い木霊〉にとっては,〈若い木霊〉が男性であるなら〈蟇〉と同じように〈若い女性の木霊〉が候補に挙がるが,修行中ということを考慮すれば「みんなをさいはひ」に導く「法華経」のことであると思われる。

 

また,後述するが〈かたくり〉にとって「鴾の火」は,太陽が高くなり照射面積が増す春の光,すなわち「ももいろの炎」であり,〈桜草〉にとっては,「沈んではのぼるお日さん」の春の日射しであろう。すなわち,「方便品」や「譬喩品」に書かれてあるように,物語では「ほんたうのさいはひ」に導く手段が衆生の境遇・段階に併せて異なって見えているようになっている。 

 

日蓮が文永12(1275)年3月に曾谷入道に宛てた手紙(「曾谷入道殿御返事」)に「方便品第二」に関係して,次の「如来寿量品第十六」にある「自我偈(じがげ)」(5文字で1句となる詩の形で書かれた経)を読むように勧めている。賢治も読んだと思われる。

 

方便品の長行書進せ候先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし,此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり,例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり,此の経の文字は盲眼の者は之を見ず,肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり」 

(日明,1904)

 

この経(自我偈)の文字は,1字1字が「仏」の言葉であるが,「悟り」とは無縁の我等凡夫の肉眼にはただの文字にしか見えない。例えば餓鬼は恒河(ガンジス川)を火と見,人間は水と見,天人は甘露と見る。水は同じでも見る者の果報(前世の報い)よって別々である。それと同じように,この経の文字は盲目の者はこれを見ることができず,肉眼の者は文字と見,自分だけでも「悟り」を得ようとする二乗(声聞と縁覚)は虚空(何も妨げるものがなく全ての物が存在する空間)と見え,自分と自分以外の衆生を「悟り」に導こうとする菩薩は「無量の法門」(仏の教え)と見え,仏は1つ1つの文字を金色の釈尊と見るのである。仏教ではこの教えを「一水四見(いっすいしけん)」と呼ぶ。「自我偈」だけでなく「法華経」に書かれてある全ての言葉が「仏」の言葉であろう。

 

教え子の伊東清一が賢治の講演(大正15年2月27日)を記録した講演筆記帳には,「同じ水を/人は水と見る/餓鬼(がき)は火と見る/天は瑠璃(るり)と見る」という記載がある(宮沢,1977)。

 

すなわち,「法華経」の「方便品(あるいはその次の章である比喩品)」に記載されている万人を「さいはひ」にするのは,「車」の最高位にある「大白牛車」(「法華経」のこと)であるが,最初は「三車(羊車,鹿車,牛車)」のように種々の境遇・段階にある者達には,それぞれ異なったものが与えられる。最高位の「車」に相当する「鴾の火」も,異なった境遇・段階にある〈蟇〉,〈かたくり〉,〈桜草〉,〈若い木霊〉には,あたかも別々に用意されているものに見えている。例えば,冬眠から出てきたばかりの雄の〈蟇〉にとっては「官能の象徴」である「痩せ細った繁殖期の雌の蟇」に見え,〈かたくり〉や〈桜草〉にとっては光周期を起す「太陽」に見え,賢治が投影されている〈若い木霊〉なら,「無量の法門(仏の教え)」に聞こえるのである。

 

〈若い木霊〉は最初の丘のかげに立っている「柏の木」に「おゝい。まだねてるのかい。もう春だぞ,出て来いよ。おい。ねぼうだなあ,おゝい。」と叫ぶが「柏の木」はしんとして静まりかえっている。その後に,〈若い木霊〉は〈蟇〉の独り言を聞いてギクッとして立ち止まる。なぜギクッとしたのであろうか。多分,活動を停止している「柏の木」を目覚めさすために使った「春だぞ,出て来いよ」という脅迫的な手段が間違っていたことに気づいたのだと思う。同じように,冬眠している〈蟇〉に「春だぞ,出て来いよ」と言っても出て来ないだろう。

 

「柏の木」や〈蟇〉を目覚めさせるのは「春だぞ,出て来いよ」という言葉ではなく,「柏の木」や〈蟇〉にとっての「鴾の火」すなわち「春の十分な陽光」を与えることだったと思われる。実際に,〈若い木霊〉は4つの丘巡りを終え自分の木に帰る途中で,「しいん」と静まり返っている「栗の木」を見つけるが,〈若い木霊〉は「春だぞ,出て来いよ」とは言わず,「ふん,まだ,少し早いんだ。やっぱり草が青くならないとな。」と呟く。「譬喩品第三」の「三車火宅の譬喩」のことを言っているのだと思う。〈若い木霊〉は,〈蟇〉の独り言を聞いて「方便品第二」や「譬喩品第三」の教えを理解したのだと思われる。

 

以上のように,〈若い木霊〉は,〈蟇〉の独り言を聞いて「胸はどきどきして息はその底で火でも燃えてゐるやうに熱くはあはあする」が,これは「方便品第二」の教えを理解できた喜びを表現したものと思われる。(続く)

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1977.校本宮沢賢治全集14巻.筑摩書房.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

日明(編)・小川孝栄(訂).1904.日蓮上人御遺文.祖書普及期成会. 

坂本幸男・岩本 裕(訳注).1994.法華経(上)(中)(下).岩波書店.東京.

 

本稿は未発表レポートです。2021.9.14(投稿日)

宮沢賢治の『若い木霊』(1) -「四」という数字が意味するもの-

Keywords: 文学と植物のかかわり,法華経,一水四見,柏,四要品

           

賢治の童話に『若い木霊』というのがある。制作年度は確定されていないが,大正11年(1922)11月の妹トシの死以前に書き始められたとされている(中地,1991a)。

 

木の精霊である主人公の〈若い木霊〉が,自分の木から抜け出して早春の丘の木々や黄金の〈やどり木〉に呼びかけながら野原や窪地をさまよっている。4つの丘とその間にある窪地や「黒い森」が物語の舞台となる。

 

〈若い木霊〉は,そこで〈蟇(ひきがえる)〉と〈桜草〉の独り言や〈かたくり〉の葉に現れる文字のような斑紋から「桃色」の「鴾の火」に関する情報を入手して胸が高まり呼吸が荒くなったりする。しかし,〈若い木霊〉には自分をときめかす「鴾の火」の正体が分からない。〈若い木霊〉は4つ目の丘で羽の裏が「桃色」にひらめく〈鴾〉を見つける。〈若い木霊〉は,〈鴾〉が「鴾の火」を持っているというので,〈鴾〉が案内する場所について行く。〈鴾〉が案内したところは〈桜草〉から「桃色」の「かげらふのやうな火」が燃えていて,〈若い木霊〉はその中に飛び込むが「鴾の火」は見つからない。「桃色」の火の中から見ると向こう側には「暗い木立(黒い森)」があり,そこから赤い瑪瑙のような眼をした〈大きな木霊〉が出てくるが,〈若い木霊〉はそれを見て逃げ帰ってしまう。というのが童話の粗筋である。

 

この童話は,制作年度が定まらないだけでなく,出だしの文書が欠如していたり,「鴾の火」や〈大きな木霊〉や「暗い木立(黒い森)」の正体について明かされていなかったりしているので全体の意味が取りにくく謎の多い作品の1つとしても知られている。

 

これまで,多くの賢治研究家がこれら難解な用語を解読し,物語の底にある本意を明らかにしようとした(伊東,1977;中地,1991a;青木,1992;鈴木,1994)。この童話には,舞台が早春の「丘の窪(くぼ)みや皺(しわ)」であったり,繁殖期の〈蟇〉が「桃色のペラペラな寒天」と独り言を言ったり,〈若い木霊〉の息が「熱くはあはあ」したりするなど,性的な欲望の対象物やエロスを喚起するような表現が多く出てくる。そこで,多くの賢治研究家は,この物語が「性の目覚め」を題材にしたものと解釈している。

 

例えば,伊東(1977)は「鴾の火」を「若い主人公の中に目覚めた官能の象徴」とし,「黒い森」を「思春期の官能に目覚めたばかりの若い木霊の前途に広がる,未知の世界,つまり大人の世界,の象徴」とし,〈大きな木霊〉を「成熟した大人」と解釈した。そして,「黒い森」から逃げたのは「早すぎた目覚め」と「鴾の火(性)に対する無知」によるものとした。

 

中地(1991a,b)は,「鴾の火」は伊東と同じで「性の目覚めの象徴」としたが,「黒い森」は性の目覚めが引き起こした「修羅の世界」であるとした。そして,〈若い木霊〉が「黒い森」から逃げ帰ったのは「性の目覚めを体験し,それに執着したために不気味な幻想世界(修羅の世界)を呼び起こして驚いたから」とした。

 

鈴木(1994)は,「鴾の火」には「性のシンボル」以外に「性のシンボル」としての意味を超えた「至高善」としての意義を有した何かも考えるべきだと主張している。鈴木は,童話『若い木霊』を法華文学の1つとして捉えていて,「至高善」としての「仏」の教えが説かれているとしている。また,「黒い森」に関しては「人間界より下方世界,つまり地獄・餓鬼・畜生・修羅,を象徴した世界」のことで詩「小岩井農場」における「爬虫がけはしく歯を鳴らして飛ぶ」,「侏羅や白亜のまっくらな森林」と同質なものとしている。この世界は,鈴木によれば仏教における第六天の魔王波旬によって支配されていると見なされている。そして,〈若い木霊〉が「黒い森」から逃げ帰った理由として,魔王波旬の眷属(けんぞく)になってしまうことへの恐怖を挙げている。ただ,鈴木は「至高善」としての「仏」の教えがどのようなものかについては語っていない。

 

筆者は,「鴾の火」という言葉で興奮するのは〈若い木霊〉だけではなく,擬人化された〈蟇〉や〈かたくり〉や〈桜草〉も「鴾の火」で興奮したり,あるいは生き生きと活動できたりすると思っている。他の研究者達は,この擬人化された〈蟇〉や〈かたくり〉や〈桜草〉について何も言及していない。「鴾の火」は「ときめくもの」あるいは「さいはひ」に導くものであり,それは1つではなく,〈若い木霊〉,〈蟇〉,〈かたくり〉,〈桜草〉にとってそれぞれ異なるものであると思っている。

 

筆者は,多くの研究者に難解と評価されている童話『銀河鉄道の夜』を自分なりに解釈するに当たって,そこに登場する植物から沢山のヒントもらった(石井,2020)。賢治作品に登場する植物は,単に風景描写として配置されているのではない。意味が取りにくい文章に遭遇したとき,その近くに配置されている植物を調べることによって解決したこともある。作品中の植物には,登場する意味が付与されている。

 

本ブログ記事は,7つの「稿」に分け,それぞれの「稿」で,登場する植物を入念に調べ童話『若い木霊』の謎を読み解いていく。筆者は,この童話が「性の目覚め」を扱った文学ではなく,法華文学の1つであるという鈴木の解釈を支持するものである。本稿では,童話の謎を解くキーワードである「四」という数字ついて解説する。2稿~5稿では,本稿のキーワードによって,この物語には「法華経」の教えが書かれたあること,並びに「鴾の火」が〈若い木霊〉だけでなく物語に登場する〈桜草〉や〈蟇〉や〈かたくり〉や〈鴾〉にとって何を意味しているのかについて明らかにする。6稿では,「黒い森」の正体について,および〈若い木霊〉が「黒い森」から出てくる〈大きな木霊〉を見て逃げ出してしまう理由について新しい解釈を提示する。7稿では,なぜ物語にヤドリギと栗の木が登場するのかについて考察する。

 

1.物語は「四」という数字がキーワードになっている。

賢治は,1920年に田中智学によって創設され,日蓮主義を奉じる国柱会に入会している(賢治24歳)。多分,賢治は『若い木霊』を執筆していた頃も熱心な法華経教徒であったと思われる。多分,主人公の〈若い木霊〉には修行中の菩薩(あるいは賢治)がイメージされていると思われる。

 

〈若い木霊〉は,最初の「丘」にやってきたとき,「ふん,日の光がぷるぷるやってやがる.いや,日の光だけでもないぞ。風だ。いや,風だけでもないな。何かかう小さなすきとほる蜂(すがる)のやうなやつかな。ひばりの声のやうなもんかな。いや,さうでもないぞ。をかしいな。おれの胸までどきどき云ひやがる。ふん。」と呟く。この呟きには,〈若い木霊〉にとって4つの「丘」や「窪地」に,仏教を修行中の主人公の胸をドキドキさせるものが隠されていることが暗示されている。

 

〈若い木霊〉は,その後,ずんずん草をわたって行き,〈柏〉の木が立っているところに来る。そして,訪れたという証として〈柏〉の木の下にある枯れた草を4つだけ結ぶ。

 丘のかげに六本の柏(かしわ)の木が立ってゐました。風が来ましたのでその去年の枯れ葉はザラザラ鳴りました

 若い木霊(こだま)はそっちへ行って高く叫びました。

「おゝい。まだねてるのかい。もう春だぞ,出て来いよ。おい。ねぼうだなあ,おゝい。」

 風がやみましたので柏の木はすっかり静まってカサッとも云ひませんでした。若い木霊はその幹に一本づつすきとほる大きな耳をつけて木の中の音を聞きましたがどの樹(き)もしんとして居りました。そこで

「えいねぼう。おれが来たしるしだけつけて置かう。」と云ひながら柏の木の下の枯れた草穂(くさぼ)をつかんで四つだけ結び合ひました

 そして又またふらふらと歩き出しました。丘はだんだん下って行って小さな窪地になりました。そこはまっ黒な土があたゝかにしめり湯気はふくふく春のよろこびを吐はいてゐました。

                    (宮沢,1986)下線は引用者

 

〈柏〉はブナ科の「カシワ(Quercus dentata Thunb.)のことであろう。「カシワ」の葉は,童話で「去年の枯れ葉はザラザラ鳴りました」とあるように,新芽が出るまで古い葉が落ちないという特徴がある。また,古来より「カシワ」には樹木の「葉を守る神」あるいは樹木を守護する神が宿るといわれる。神聖な樹木である。すなわち,木の精霊である〈若い木霊〉は,樹木を守護する神の下で草を4本結ぶことになる。〈若い木霊〉の前途に宗教的な出会いが予見されている。この「四つだけ結ぶ」とは何を意味しているのだろか。ほとんどの研究者は,この「四つだけ結ぶ」という言葉に言及していない。筆者は,この「四つだけ結ぶ」の「四」という数字は,物語が「法華経(妙法蓮華経)」と関係しているということを示していると思っている。

 

賢治が大切に所持していた赤い経巻である島地大等の『漢和対照 妙法蓮華経』には大等の丁寧な解説が付いていた。解説の中の「法華大意」には,「所謂方便品は法華迹門(しゃくもん)の眼目なり,寿量品は法華本門の精要なり。安楽品は法華修行の行要を説き,普門品は化他無窮の應用を示す。此経の極要四品に在りて盡(つ)きざるなし」と「法華経の四要品」についての記載がある。すなわち,「法華経」は28品(ほん)あるが,特に方便品(ほうべんぼん)第二,如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六,安楽行品(あんらくぎょうほん)第十四,観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)第二十五の4品が重要なものであると言っている。

 

賢治もこの4品が重要なものと思っている。賢治は大正7年(1918)3月13日に盛岡高等農林学校の親友・保阪嘉内が学籍除名処分されたとき,嘉内あて書簡(3月20日前後)に「妙法蓮華経 方便品第二,妙法蓮華経 如来寿量品第十六,妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十四」と安楽行品を除く3品を書き送って慰めている(観世音菩薩普門品は赤い経巻では第二十五となっている)。賢治が書簡で安楽行品を除いたのは,除名処分を受けた嘉内にはふさわしくないと考えられたためと言われている(田村,2005)。

 

物語には「4つの丘」が登場し,最初の丘で「草穂を四つだけ結ぶ」というように「四」という数字が意味ありげに登場してくる。多分,童話『若い木霊』には「法華経」でもっとも重要なものとされる「四要品」の教えが書かれているように思われる。

 

次稿(2~5稿)では,物語に登場する植物や動物の独り言などを入念に調べることによって,本稿で示した推測が正しいかどうか検証してみる。(続く)

 

参考・引用文献

青木美保.1992.宮沢賢治「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」論.比治山女子短期大学紀要 26:7-16.

石井竹夫.2020.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅰ)-宗教と科学の一致を目指す-.人植関係学誌.19(2):19-28.(ブログ; https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/04/145306 )

伊東眞一朗.1977.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」論.国文学攷 74:12-24.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

中地 文.1991a.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(上).日本文学 75:16-33.

中地 文.1991b.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(中).日本文学 76:50-63.

鈴木健司.1994.宮沢賢治 幻想空間の構造.蒼丘書林.東京.

田村公子.2005.島地大等が宮沢賢治に与えた影響.琉球大学留学生センター紀要2:23-39.

 

本稿は未発表レポートです。2021.9.13(投稿日)

春の妖精たち

「春の妖精」とは,雪解けとともに春一番で地上に姿を現し,初夏の樹上の若葉が出揃う前に姿を消してしまうはかなくも愛らしい植物たちのことをいう。「スプリング・エフェメラル(春の短い命)」とも呼ぶこともある。カタクリ,サクラソウ,フクジュソウ,ニリンソウ,ヒトリシズカ,ミヤマネコノメソウなどがある。

 

多くは多年草で,姿を消すといっても地上部の花と葉の部分だけで,地下の部分は地下茎などの形で翌春まで休眠する(カタクリは種子で増える)。

 

「春の妖精」が見られる地域は,主として真冬に葉を落とす落葉樹の林あるいは森林地帯である。時期は地域にもよるが2月下旬から4月中旬の落葉樹に葉がない林の中が明るい40日~70日の短い期間だけである。

 

この春一番で咲く花を,詩的な言葉で表現した童話を紹介する。宮沢賢治の『若い木霊』(1922年以前の作と言われている)という作品である。木霊と書いて「こだま」と読む。森の霊みたいなものだろうか。ここで登場する「妖精」はカタクリとサクラソウである。「こだまが落葉樹の柏や栗の木の幹にすきとおる大きな耳を当て,水を吸い上げている音を聞こうとするが聞こえない。まるで眠っているようだ。しかし,地表ではカタクリやサクラソウの花がもうすでに咲いている」という内容である。

 それから若い木霊(こだま)は,明るい枯草の丘の間を歩いて行きました。

丘の窪(くぼ)みや皺(しわ)に,一きれ二きれの消え残りの雪が,まっしろにかゞやいて居(お)ります。

      (中略)

「おいおい,栗の木,まだ眠(ね)ってるのか。もう春だぞ。おい,起きないか。」

 栗の木は黙ってつめたく立ってゐました。若い木霊はその幹にすきとほる大きな耳をあててみましたが中はしんと何の音も聞こえませんでした。

 若い木霊はそこで一寸(ちょつと)意地悪く笑って青空の下の栗の木の梢(こずえ)を仰いで黄金(きん)色のやどり木に云ひました。

「おい。この栗の木は貴様らのおかげでもう死んでしまったやうだよ。」

 やどり木はきれいにかゞやいて笑って云ひました。

「そんなこと云っておどさうたって駄目(だめ)ですよ。眠ってるんですよ。僕下りて行ってあなたと一緒に歩きませうか。」

       (中略)

 そしてふらふら次の窪地(くぼち)にやって参りました。

 その窪地はふくふくした苔(こけ)に覆はれ,所々やさしいかたくりの花が咲いてゐました。若い木だまにはそのうすむらさきの立派な花はふらふらうすぐろくひらめくだけではっきり見えませんでした。却(かへ)ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せはしくあらはれては又消えて行く紫色のあやしい文字を読みました。

「はるだ,はるだ,はるの日がきた,」字は一つずつ生きて息をついて,消えてはあらはれ,あらはれては又消えました。

               (『若い木霊』 宮沢,1986)

 

落葉樹がまだ活動を始めていない,早春の明るい林のなかでカタクリの可憐な花が咲いている情景が見事に描き出されている。カタクリの葉の表面にある紫色の模様が「はるだ,はるだ」と春を告げる文字に見えてくるというのも賢治らしい表現だ。「ポラーノの広場」でも白ツメクサの花に算用数字が書かれてあった。

 

自生のカタクリは,残念ながら大磯では見ることはできない。大磯で見られる「春の妖精」は高麗山のニリンソウ(第1図),ヒトリシズカ(第2図),ミヤマネコノメソウなどである。県立大磯城山公園でも植栽だが栗の木の下でフクジュソウ(第3図)を見ることができる。2月中旬ごろにまず花が咲き始め,花が終わりかけたころに葉が繁りはじめる。葉を含め地上部が姿を消すのは4月~5月にかけてであろうか。

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第1図.ニリンソウ.

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第2図.ヒトリシズカ.

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第3図.フクジュソウ.

 

フクジュソウに限らず「春の妖精」たちは,なぜ初夏までに葉まで枯らす必要があるのであろうか。植物研究家の多田多恵子が面白い説を出している。

 初夏を迎えると,木々は一斉に緑葉を広げ,林は急速に暗く閉ざされる。林床にはわずかな透過光と木漏れ日しか届かなくなり,その状態が秋まで続く。林床の植物はこうなると光を満足に受けられず,葉の光合成量も減ってしまう。もし葉がつくり出すエネルギーよりも,葉が維持費として消費するエネルギーの方が多くなれば,植物は葉を枯らした方が得になるはずだ。

          (『したたかな植物たち』 多田,2019)

 

賢治は,1922年に相思相愛の恋をしたとされる。この恋愛は1年ほどでしか続かず,周囲の反対もあって破局している。恋人は破局後に渡米し,3年後に異国の地で亡くなった。賢治は,この短命だった恋人を「妖精」に喩えることがある。童話『やまなし』(1923.4.8)では,恋人を渓流の石の下にいる「カゲロウ」の幼虫(英語で妖精を意味するnymphy)に喩えた(shimafukurou,2021)。また,恋人が亡くなって1か月後に書かれた詩〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕(1927.5.14)では,「枯れた巨きな一本杉が /もう専門の避雷針とも見られるかたち/・・・けふもまだ熱はさがらず/Nymph,Nymbus,Nymphaea ・・・ 」(宮沢,1986)(NymbusはNimbusの誤記?)とあるように,枯れた巨きな一本杉を亡くなった恋人に喩えて「Nymph,Nymbus, Nymphaea ・・・」と呟く。 

 

「春の妖精」に出会ったら,ただ見惚れているだけでも良いし,賢治のように詩などの創作に興じたり,多田みたいに経済論的に植物を論じたりするのもよいと思う。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/08/095756

多田多恵子.2019.したたかな植物たち.筑摩書房.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004年)に収録されている報文「春の妖精たち」を加筆・修正にしたものです。

復活と再生のシンボルとしてのヤドリギ

冬に樹木の高い枝を見ていくと,こんもりと小さな枝と葉のかたまりが毬(まり)状になっているのを見ることができる。これがヤドリギ(宿り木;Viscum album L. subsp. coloratum Kom )である(第1図)。冬でなくても注意深く観察すれば見つけることは難しくない。県立大磯城山公園でもごく普通に見られる。名前が示すように寄生植物で,主にケヤキ,エノキ,サクラなどの落葉樹に寄生し,鳥を媒介にして木から木へと移り地面に下りることはない。ただし,葉緑素を持ち光合成もするので半寄生植物である。

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第1図.ヤドリギ

 

ヤドリギは,草にも見えるが,これでもれっきとした木の常緑樹で,2~3月に花が咲き,晩秋に黄色い実が熟す。果実は多量の粘液質を含んでいるので粘りがあり甘いらしい。ヒレンジャクやヒヨドリがこの実を好んで食べる。鳥が食べた後に堅い種子と一緒に消化しきれなかった粘液質を糞として排泄するので,この鳥の糞が金魚の糞のように糸を引いたようになり,糞は種子と一緒に鳥の行く先々で新たな枝にへばりつき,そこに新しい命を誕生させる。

 

欧州ではヤドリギは古くから神聖な植物とされ,ケルト人などが宗教的な行事に使用してきた。ヤドリギを夏至や冬至の夜に黄金の鎌(かま)で切り取り祭壇に供えたという。理由は,前述したように宿り主である落葉樹が葉を落とした後でも,青々とした葉を持ち続けるので,一旦は枯れたように見えた木が,あたかも再生したかのように見えるからである。北欧の神話の中にも登場してくる。オーディン(知恵・詩・戦い・農業の神)の息子バルドルが一旦は悪神ロキによってヤドリギの矢で殺されるが,その後復活する。ちなみに花言葉も「困難に打ち勝つ」とある。我が国でも賢治がこれらのことを知っていたとみえ,『水仙月の四日』(1922.1.19)という童話の中でヤドリギを不死あるいは復活と再生のシンボルとして使っている。

 

童話『水仙月の四日』の内容は,山村で生活している少年がカリメラ(砂糖菓子)を作るために砂糖を買いにいった帰りに猛吹雪に出くわして遭難してしまうというものである。東北地方の猛吹雪は,「八甲田死の彷徨」という新田次郎のドキュメントタッチの小説でも紹介されているように頑強な軍人でも死へ至らしめるほど迫力のあるものだが,本作品はその迫力に加えて全編,美しい詩的な言葉も加えて展開していく。

 

少年は赤い毛布(けっと)に包まっているが,寒さと疲れで猛吹雪の中で倒れてしまう。読者は少年が倒れた段階で死を予感すると思われるが,作者は,吹雪になる前に雪童子(ゆきわらし)という雪の妖精を出現させ従者の雪狼(ゆきおいの)に大きな栗の木から黄金色のヤドリギの毬を取らせ少年に投げつけ,死という結果にはならないことを暗示させる。その後,妖魔である雪婆んご(ゆきばんご)が現れ猛吹雪となる。ヤドリギを少年に拾わせた雪童子は雪婆んごから守るため,必死になって少年に倒れたまま動かないように叫ぶ。

 雪婆んごがやってきました。その裂けたやうに紫な口も尖(とが)った歯もぼんやり見えました。

「おや,をかしな子がゐるね,さうさう,こっちへとっておしまひ。水仙月の四日だもの,一人や二人とったっていゝんだよ。」

「えゝ,さうです。さあ,死んでしまへ。」雪童子はわざとひどくぶつかりながらまたそっと伝ひました。

「倒れてゐるんだよ。動いちゃいけない。動いちゃいけないつたら。」

 狼(おいの)どもが気ちがひのやうにかけめぐり,黒い足は雪雲の間からちらちらしました。

「さうさう,それでいゝよ。さあ,降らしておくれ。なまけちゃ承知しないよ。ひゅうひゅうひゅう,ひゅひゅう。」雪婆んごは,また向ふへ飛んで行きました。

 子供はまた起きあがらうとしました。雪童子は笑ひながら,もう一度ひどくつきあたりました。もうそのころは,ぼんやり暗くなって,まだ三時にもならないに,日が暮れるやうに思はれたのです。こどもは力もつきて,もう起きあがらうとしませんでした。雪童子は笑ひながら,手をのばして,その赤い毛布(けっと)を上からすっかりかけてやりました。

「そうして睡(ねむ)っておいで。布団をたくさんかけてあげるから。そうすれば凍えないんだよ。あしたの朝までカリメラの夢を見ておいで。」

 雪わらすは同じとこを何べんもかけて,雪をたくさんこどもの上にかぶせました。まもなく赤い毛布も見えなくなり,あたりとの高さも同じになってしまひました。

あのこどもは,ぼくのやったやどりぎをもってゐた。」雪童子はつぶやいて,ちょっと泣くやうにしました。

                                  (『水仙月の四日』 宮沢,1986)下線は引用者

 

あくる朝,吹雪も止み,村の方からお父さんらしき人が駆けつけてくるが,雪童子は少年の上に積もった雪を取り払い,語りに「子どもはちらっとうごいたやうでした」と言わせて物語が終わる。引用文にもあるように,雪童子が「あのこどもは,ぼくのやったやどりぎをもってゐた。」と泣くようしながら呟くのが印象的である。100%生きているという保障はないのだが,子供がヤドリギを持っていたということで,死ななかった,あるいは死んだとしても生き返ったということが読者に伝わるようにしてあると思われる。

 

「水仙月の四日」という日にちに関しては,諸説がある。私は,その中でもキリスト教における「復活祭」の当日のことを指しているという谷川雁の説を支持したい(伊藤,2001)。「復活祭」とは,十字架にかけられて死んだイエス・キリストが3日目に復活したことを記念する祭である。春分以後の満月直後の日曜日に行われる。童話『水仙月の四日』にも「しずかな奇麗な日曜日を,一そう美しくしたのです」という一文がある。賢治が生きた時代では1920年の復活祭は4月4日(日)であった。2021年も4月4日(日)である。

 

ヤドリギは宗教的な復活と再生のシンボルとしてだけでなく,実際の生活にも役立っていた。賢治が生活していた東北地方では,冷害などで不作のときヤドリギから餅を作って食べたという記録が残っている。また,薬草としても,利尿,降圧作用を目的とした漢方療法以外に民間療法的に強壮や産後の回復に使われた。多分,果実などには粘液質以外に多量のデンプンが含まれていて栄養価が高いからと思われる。このように,食料や医薬品が不足していたときには,体力や健康を復活させるためにも利用された。

 

参考・引用文献

伊藤光弥.2001.イーハトーヴの植物学 花壇に秘められた宮沢賢治の生涯.洋々社.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004年)に収録されている報文「復活と再生のシンボルとしてのヤドリギ」を加筆・修正にしたものです。